「見たこともない、誰かに救われること」
顔も名前も、どこに住んでいるかも知らない”誰か”に救われたことがある。
それも、何度も。
それは、同じ人ではなく、いつも違った”誰か”だ。
それは本の一文であったり、テレビから流れてくる音楽であったり、たまたま見かけた駅中の広告だったり。ネットの中にある無数の文章にだってそれは、ある。
でも、それは意図的に”誰か”を救おうとしたものではなく、
価値観の押しつけでもなく、そっと置かれていることが多い。
それにあくまで自分が”勝手に救われている”のだ。
それは偶然、神さまとすれ違うような、そんな気持ちに似ている。
(私は、神さまに会ったことがないので、わからないけれど)
そのとき、私はいつだってこう思う。
「救ってくれて、ありがとう」
そうやって心の中でつぶやいて、
人ごみに紛れるようにいってしまう神さまにぎこちない会釈することにしている。
また、会えたらいいね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?