見出し画像

年賀状の結末

社会に出て働くようになってから、ありがたいことに常に忙しい、そんな職場ばかりだった
そうゆう業種を選んでいたからそうなんだけど、なんでも仕事のせいにできた。

親戚達の集まりや、同級生らの集まりには、
仕事の休みがないから参加できないわー、残念、、と綺麗に断れたし、なにかとイベントがあるときはたいてい仕事が忙しい時期。
みんなが休みで浮かれてるときは、決してそことは交わらない生活ができていた。

年賀状もそのひとつだった。

10代の頃は毎日会ってる友達にでも、せっせと手書きの年賀状をしたためてた。
20代になると年賀状はどこへやら、メールで簡単なやりとり。

それが30代には一気に写真付きの年賀状が届くようになる。
もちろん送ってくれた友達には
「年賀状ありがとう!仕事がバタバタしてて出せてないけどごめんね!」
とメールで返信して終わり。

もうこんなにおっきくなって〜とそれはそれで楽しんで見れるのだけれど、それを見た私の親は「みんなちゃんと家庭を持って子どもも大っきくなってるのに、、」と小言が返ってくるのだ。
それを聞くたびに胸が痛んだし、返す言葉がなかった。

そんな中、人生で唯一、一般事務をしていた頃、
こんなにも休みと時間があるんだから…と、ふと思い立って年賀状を作った年があった。

今時パソコンで簡単にできるのねーなんて思いながら、せっせと作って刷ってひと言添えたりしたのだけど、出来上がってなんだか違和感。。

絵柄とかめちゃくちゃいい感じなのに、なんで?

よく考えてみると、私が感じた違和感は、差出し人の自分の名前のところだった。

変わらない実家の住所に、私1人の名前。

これだ…

みんなは結婚して住所も変わって、新しい家族の連名でくるのに、なんなら子供の年齢やペットまで入れ込んでくるのに。

こんな私の年賀状、意味なくない⁉︎
なんの挨拶なん?こんなのまだ私は独り身ですよーっていうただのお知らせじゃね?

ということで、その年を最初で最後にし、今後年賀状廃止!を誓ったのだった。

そして40を目前にそろそろハードワークも体力的に無理だと感じ、将来を見据えた職場に転職したものの、今度は職場の年賀状を作れと。

プライベートでは年々年賀状も減っていき、どこかの飲食店や美容院からの挨拶文が大半を占めてきて、このペーパーレスの時代にわさわざどうもだよ…と感じてるのに、まだこの職場は出すのか…。

ほんとに廃止にしたい。
身近なところからでもやっていこうよ。
メールやLINEで送れるやん。

横澤夏子が出ている『楽々明細』のCM、
好きだわー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?