【日記】名を名乗るということ

日大アメフト部の一連の事件で問題の選手が、顔を出さない謝罪などないと言うことで、実名と顔を出して謝罪会見を行った。
私はこの会見で納得することができた。身を晒すから許してくれということではなく、自身をかけて謝りたいという誠心誠意の表れだったと思ったからだ。

名前と顔というのはその人間の看板である。というのは、私が勝手に信じて柱にしていることで、それを真ん中に置いて判断をして間違ったことはない。

別に本名でなくてもいい。人生と覚悟を背負わせて看板として使っている名前と顔を信用することにしている。

そうすると自分のルールができてくる。
何か問題が起きた時、きちんと名乗らない人のいうことは聞かない。顔と名前の一致しない人は優先度を下げる。初対面で名乗らない人はそれなりのお付き合いに止める。などなど。
こういうことを決めておくと、余計なものに煩わされなくて済むのだ。

例えば、身近なところで言えばSNS。
情報の信ぴょう性は名前と顔を晒している人のものを一番重く扱う。
逆にどんなにいいことを言っていてもハンドルネームのどこの誰かわからない投稿はそれよりも優先度を下げるし、その程度のものとしておく。

もちろん、顔の見えないどこの誰かもわからない人たちだって同じ人間で尊重しない理由にはならないし、それは理解している。
が、私が大事にして守れる範囲なんてせいぜい自分の手を広げた程度以内だ。

そこをないがしろにして「だって、みんなそう言ってるよ?」は、私を動かさないし、動かない。目の前にいる、あなたの意見だったら私は素直に聞く。

血の通う距離を間違えてはいけない。
あの潔い謝罪に、私はもう一度それを教えられた気持ちになった。

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ありがとう!ラッキー歌手は星野源
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上川ゆう

進まぬクロールのような日々の記録

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