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YOUは何しに中国へ?ゲスト座談会#3(ひら@北京住み)

「YOUは何しに中国へ?」
中国での就業歴がある平成生まれ4名によるキャリアストーリーに続き
前回から始まりました、我々4名+ゲストを1名招いた座談会
3人目は・・・この方!

ひら@北京済み(@takayukihirarin)
北京10年目です。北京で海外起業し、プロコーチ兼研修講師、中国企業数社と提携してます。チャイナコーチ(ライフコーチング、中国語コーチングなど)
◇目次
 1,【略歴】
 2,【メンバー座談会】
 3,【最後に】

【略歴】

1973年東京生まれ。大卒後外資系レコード会社に入社後、10年以上に渡り音楽映像業界に従事してから転業し、スポーツトイ”ブレイブボード”のスタートアップで全国ヒットに成功。その後2010年から北京へ。欧州系IT企業でプロジェクトマネージャー、中国ビジネスコンサル会社で営業職を経てコーチングをベースとした異文化人材教育コンサル会社を北京で設立。この間、経験社数は10社以上。

コーチングを学び始めたきっかけは、スタートアップ事業に従事の際に、自らコーチング可のカウンセラーを雇い、とてもよく導いて頂いたおかげでスタートアップ特有のプレッシャーを緩和する上で非常に有効だったことと、中国行きを決めるときにも力になってくれて、自らも同じような仕事をしてみたいと思ったことから。

また、プロコーチは、自分がこれまで従事してきた多数の職種の中で最もクライアントに貢献していると実感できる仕事でもある。

コーチとしてはキャリアを軸にしたライフコーチングが得意。上記ビジネス経験の他に、心理学・心身統一法・ヒーリングスキルを掛け合わせたメソッドで、クライアントに最も適したリーダーシップの発揮をサポートする。

また、37歳からほぼ独学で始めた中国語もビジネスレベルで、中国企業の事業パートナーと共に研修業務の中国市場開拓も行っている。

今の働き方を一言で表すなら“ポートフォリオ・ワーカー※” 
※「ポートフォリオ・ワーカー」:「LIFE SHIFT~100年時代の人生戦略」という書籍で言われている、複数の仕事や活動を同時にこなしていく働き方。

【座談会】

光平)中国の前に、日本でのキャリアについてお伺いしたいのですが、1社目のレコード会社ではどのようなことをされていたのですか?
ひら)営業と購買をやっておりました。営業はいわゆるレコード店回り。タワーレコードのようなチェーンのチェーン店や卸売などへの販売ですね。購買は、販促物はCDで使用する資材の購買です。紆余曲折あり、24歳から社会人生活をスタートし、5年半ほど勤務しました。
航平)レコード会社への就職を決めたきっかけはどのようなものでしょうか?
ひら)洋楽かコンピレーションアルバムのディレクターになりたかったからです。
航平)音楽関係で食っていこうという夢があったのですね!
ひら)そうですね!

光平)私も洋楽好きなのでなんとなくわかります!(笑)
ひら)音楽好きですね。感情にもダイレクトに影響与えますし、映画やドラマに限らず、人生において耳にする音楽はみなBGMだと思ってます。
まめ)10年以上に渡りということは、その次の会社も音楽映像関係の会社かと思われますが、転職のきっかけは何ですか?
ひら)私が入社した年をピークに業界全体の売り上げが下がる傾向になっていきましたし、当時のコピーコントロールCDへの抵抗もありました。後は30歳前にいったん縁を切ってみるか!と離れることにしました。他の業界も含めていろんな可能性を探ることにしました。その後、2年間は色々あったので、また別の機会にお話させてください(笑) そして、CD/DVD卸業者で4年半勤めることになります。そして、ブレイブボードという商品を全国に広めるというスタートアップで勤務しました。

まめ)そして、北京にいかれるわけですが、きっかけはなんだったのでしょうか?
ひら)CD/DVD卸売の時代に戻りますが、私は国際結婚をしていて、妻が中国人です。娘が1人います。娘が1歳の誕生日を迎えた直後に、妻が中国に帰ったきり、戻ってこなかったのです。日本と中国の育児に対する隔たりにより、だいぶ疲れており、休ませるために2ヶ月程帰国させたのですが、帰ってきませんでした。
びんとう)日本で出会われた中国の方だったら、多少日本文化や外国の召喚に理解がありそうですが・・・。
ひら)ないですね・・・・。その後、仲直りしたものの帰ってはこなかったので、ある時娘に会いに上海経由で北京に行ったのですが、上海で飛行機が飛ばず、航空会社が用意したホテルで一緒になったのが、ブレイブボードの社長でした。話に共感することも多く、日本へ帰国後もご飯に誘ったりして、ちょくちょく会う機会があり、その過程で新規事業のブレイブボードの営業としてスカウトされました。レコード会社でヒットを出せなかったことに未練があったのですが、最終的にはブレイブボードを全国的に広めることができたので、ヒットを輩出することへの未練がなくなり、子どものいる中国へ移り住むことにしました。

そして、中国へ・・・・

ひら)中国に渡ったのは、2010年の37歳の時でした。これまでのキャリア、日本にある家財道具も全て断捨離したので、気分は軽くなったのを思い出します。あれで人生の悩みの半分はどこかへ行ったような気がします。当時は語学力ゼロかつ無職だったので、日本人的感覚からすれば軽く狂ってますよね。最初の3ヶ月は、語学学校に通っておりました。
びんとう)アラフォーで海外に飛び出すのはかなり前例が少ないと思います・・・!
ひら)そうですね。さすがにお金が必要になり、仕事探しを開始しました。最終的には人材紹介会社経由でとあるドイツ系のIT会社に就職することにしました。
まめ)当時はどういうお仕事が多かったですか?
ひら)記憶にあるのは、広告代理店の営業、コールセンターのスタッフ、物流系の営業ですね。IT系も比較的多かった記憶があります。ドイツ系は福利厚生もよく、面接も即決なのでよかったです。日系は時間かかって決まらないことが多かったです。
びんとう)外資だと中国語での面接ですか?
ひら)その会社は日本語を扱う仕事だったので、日本語での面接でした。仕事においては、日本語がわからないスタッフとは基本英語で交流しておりました。外資系企業ということもあってか、みんな英語ペラペラで、かなり衝撃を受けて、自分の中国語学習のモチベーションになりましたね。あと、社員の回転も非常に早く、辞めるのも入るのもとても多かったです。当時の仕事はプロジェクトマネージャーだったのですが、誰がいつ辞めてもいいようにマニュアル作りに励みました。結果的に300個程作成したと思います。
光平&まめ)すごい・・・。
ひら)その後、もう1人いた日本人が辞め、1年9ヶ月程帰国できないぐらい繁忙でした。しかし、その後、扱うプロジェクト件数も減っていき、このままではやばいと思い、転職活動を開始することにしました。結果的には、未経験だったのですが、香港系のビジネスコンサル会社に転職することになりました。
まめ)シンプルにすごいですね。
ひら)入社してからが大変でした。これまで日系企業と関わってこなかったかつ、会社の認知度がなかったので、営業にいってもみんな冷たかったんですよね。
まめ)そうなんですね。
ひら)そこで打開策として、日本大使館主催の「都道府県別対抗歌合戦」というカラオケイベントでした。ある人からのススメで、「替え歌でも歌えば?」とアドバイスされて、昔人気のあった「ガッチャマン」の主題歌のメロディを使って、歌詞を中国駐在員に刺さる内容にしてみたのです。
(※当時の動画が記事の最後にあります。)
結果は大ウケで大成功でした!その後の北京での日系企業商工会の会合に参加した時に、知らない日系企業のお偉い人たちから、たくさん名刺を頂戴して、北京の日本人社会で名が知られることになりました。前大使の木寺さんもファンだったらしく、木寺さんの送別カラオケに参加させていただいたりもしました。しかし、ノンプロシンガーとしてイベントへ呼ばれるのは増えて行ったものの、仕事はなかなか取れませんでした。決定権が北京側になかったり、大手の会計事務所に委託していたり・・・。
光平)裁量なし・・・。日系企業のあるあるですね。
ひら)現在私がやっている事業を当時の勤務先の社長に「やってみませんか?」と提案してみたら、OKをもらうどころか、残念ながら却って関係がこじれてしまいました。と同時に北京で営業に訪問できるようなところもほぼほぼ尽きてしまい途方に暮れていて、「いっそクビにでもなった方が…」と思っていたら、その願いが叶ってしまいました(笑)。当時は北京での生活をとてもつまらないものに感じてしまっていたので、日本に帰ろうかとも思いましたが、折角の機会だし、これを機に起業でもしてみようかと法定代表人をやってくれる中国人を探したら運よく見つかったので、結局起業することにしました。
光平)おおお、すごいフットワーク!
ひら)そして、そのまま内資企業を設立しました。2016年8月のことです。

これから、そして、キャリアに悩むあなたへ

びんとう)今現在も中国にいらっしゃいますが、今後日本に帰る予定はないんですか?
ひら)希望としては、日本での業務を拡大したいので、帰るというより日中を頻繁に往来できるのが理想です。そのための活動をこれから始めるところですね。
光平)ありがとうございました!これまでのキャリアを聞けて大変有意義でした。恐らく、ご自身色々キャリアで悩まれたかと思いますが、現在キャリアに悩まれている方に一言いただけないでしょうか?
ひら)これからは変化がより激しくなっていくので、当初思い描いていたようにはなかなか進んでいかないでしょう。とは言いながらも「こうあったらいいな」というビジョンだけは常に持っておいて、軌道修正が必要なときにはどんどんアップデートしていくこと。人生を点で捉えていると、苦しいことも多いけれど、線や円、立体的に俯瞰しながら捉えていると、苦しい状況でも冷静にとらえていくことが出来ます。僕のキャリアは一見全部バラバラに見えるものの、過去の全ては今に活かされています。という点においてはバラバラではありません。バラバラに見えるのはあくまで他人が見た場合であって、経験しているのはその人ひとりだけなのですから、軸はそこにあります。畑違いのところへの転職などは不安がつきものかもしれませんが、外から見た自分以上に、自分から見た世界を重視して生きてください。

だから、何をしても大丈夫です。

専門家の硬直した頭ではこの先難しいかもしれませんので、柔軟でいてほしいと思います。

「都道府県別対抗歌合戦」の動画


ひらさんおすすめの書籍(アフィはついてません)


最後に
今回はゲストを招いての座談会第3弾!
様々なお仕事を経験されて、中国でも唯一無二の経験をしてきたひらさん。私自身も今後のキャリアを悩んでいる身としては、最後のひらさんの言葉は大変励みになりました。自ら海外に出るというのは自分で何もかも切り開かなければならないということ。でも、自分のことを信じて、胸張っていきていきたいと思います。
次回のゲスト座談会も乞うご期待!!
(編集担当:光平)

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