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認知を変えて幸せになれるか

以前、サイケラジオ先生は「目の前の不幸に対して認知を変えることで不幸ではないと思わせるようにすることが多いけど、よくないラジね」みたいなことを言っていた。
貧乏で不幸に感じている人に対して、お金が全てではないとかお金以外の幸せがあるとか、貧乏は不幸であるという認知を変えることで幸せになるということだけど、やっぱり不幸は解決して幸せになりたい。

性欲で不幸になるなら性欲を無くせばいいは暴論で、性欲は満たされたいしパートナーと分かち合いたい。
性欲を無くせばいいのではなくて、満たされた気持ちになりたいのがそもそもの欲求のはず。
幸せになりたい欲求をなかったことにして不幸を回避する提案が外部からなされるのは無責任な他人事で暴論だなと思う。
こういう論は世の中多いなと感じていて、どこか自己責任論に通じるものがある。

面白いと感じられないのはお前がつまらないから、というのも自己責任論に通じる横暴さを感じる。
そもそも、この論は「面白いはつまらないより偉い。面白いと感じられる俺/私は偉い」という横柄さも感じる。
面白いもつまらないもどちらが上か下かなんてなくて、対になっているもののはず。
つまらないものはつまらないでいいでしょって思うんだけど、それを口にし難い空気があるし、言ったら言ったで非難されるから意味がわからない。
結局、これもつまらないものを楽しいと感じることを強要される。

「幸せを実現しましょう!」ではなく「不幸をなかったことにしましょう」をすすめられる世の中はどうなのかなと思ってしまう。

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