見出し画像

76.(20/365) 背中を押す言葉。

日々仕事をしていると、自分にとってきつい出来事もある。
「まじかよ。」「うそやろ。」そんな言葉が口をついて出そうになる。
家に帰っても、頭のどこかにその出来事が巣食って、何をしていても、なんか気になってしまう。
そんな状態が続くと、翌日からの仕事にも影響が出たりして、そのことがまた良くない出来事を引き寄せたりして悪循環に陥ってしまう。

そんな時、自分の背中を押す言葉は、あなたにとってどんな言葉だろうか?
身近な誰かの言葉かもしれないし、有名なあの人の言葉かもしれない。
倒れそうになる自分を支える。
ためらう自分の背中を押す。
挫けそうになる自分を奮い立たせる。
そんな言葉がきっと1000人いれば、1000通りあるんだと思う。

ぼくにもそんな言葉がいくつかあるのだけれど、その中で最近知った言葉でぼくの背中を押してくれる言葉がある。

三歩進んだと思ったら、四歩下がる。
その七歩の歩みを、僕は書き残すようにしている。
「偶然の散歩」/森田真生

「三歩進んだと思ったら、四歩下がる」
身の回りを見れば、これに当てはまる出来事の多さに心が折れそうになることがある。
数学の式で表すと、3−4=−1となるのかもしれない。
こんな日々を繰り返すと、−1が積み重なって、取り返しのつかない負の数が、自分の負債のように感じられたりすることもある。

昨年出会ったこの言葉は、そんなぼくの煩いをふわっと軽くしてくれる。
結果としては−1かもしれない。
けれど、「進む」は自分から見て「前」をどう定義するかにもよる。
ならば、3ー4=−1と、結果だけにフォーカスすることもできるし、3の位置へ移動して、そこから反対方向に4移動する、そのプロセスとしての7にフォーカスすることだってできるはずだ。
そんな見方の転換をぼくに教えてくれたのがこの言葉だ。
一見マイナスに見えることが見方によってプラスに見えるのは、絶望と希望が表裏一体であると言っているようにも感じる。
ただの数字に、数式に、まるで命が吹き込まれたようで、この言葉を知って以来、ことあるごとに思い出す。
今では自分にとっての大切な言葉の一つである。

結果を受け止めることももちろん、大事。
しかし、それ以上に、自分がその結果に至るまでにどんなプロセスをたどってきたのか、そこに納得はあるのかを見つめることも大事だ。

これからもそんな自分の歩みの軌跡を大切に、ときには立ち止まっても良いから歩み続けることをやめない自分でいたいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?