情報の値段

タイトルは当初「情報の価値」にしようかと思ったが、より金銭的な意味合いを込めるために「情報の値段」とした。

さてnote読者のみなさんに、いろんな記事のmetaっぽい話題を出そうと思う。

noteのおすすめ記事を眺めていると驚かされることがある。「こんな貴重な知見を無料で閲覧できてしまって良いのか?」という驚きである。インターネットが普及する前の時代であれば、専門書や専門雑誌を買って読むか、就職後に上司や先輩からノウハウとして叩き込まれて初めて見聞きできるような知見を、様々な分野のスペシャリストが惜しげもなく披露している。披露する側は大したことない情報だと思っているのかもしれないが、受け取る側とすればそんな貴重なノウハウを無料でもらっていいのかという気分である。

実際、情報を商品として扱って、その対価で飯を食っている人も大勢いると思う。出版業界や教育業界、IT業界でもインフラではなくコンテンツを売り物としている企業などなど。みなさんが見ているこのnoteだって公開設定時に記事を有料にすれば、読者から対価を得て情報を提供するというサービスだ。

その一方、この日本という国には「知る権利」という概念がある。これは日本国憲法第21条第1項に規定される「表現の自由の保障」を根拠として知られている概念で、表現する側にとっての表現の自由は、受け手側にとっての知る権利が対となって存在することではじめて成り立つ、という考え方に基づいている。情報の送信側が一方的に情報を送信しても、受信側にガードがかかっていて受信できないのであれば、それは送信側にとって自由が保障されていないのと同じである、だから受信側には情報を受信する権利がある、という考え方である。この考え方があるからこそ日本の公立図書館は入場料を徴収せず、市民は貧富の差を問わず情報を得ることができる。

この「知る権利」を踏まえると、実は「情報に値段をつける」「情報コンテンツを商売にする」というのは複雑な話なのである。情報を買うカネがある金持ちにしか情報提供しない、というと「知る権利」を根拠に「情報提供者は貧しい人にも提供すべきだ、我々国民には生きるために必要な情報を知る権利がある」という主張がまかり通るのである。

現場ではどうしているか。わかりやすい例で、出版社が出す本をあげてみよう。出版社は本を本屋に卸し、消費者がビジネス書を買うことで対価を得て飯を食っている。ところがそのビジネス書は公立図書館にも並び、図書館の利用者は置いてある本を1円も払わずに読むことができるのである。では出版社は丸損かというと、実際には公立図書館は出版社から本を買っていて、買うための費用は住民の税金から成り立っている。消費者である住民は「図書館で本を読む」という行為では1円も払っていないが、住民税を納めることで図書館が本を買う費用を負担しているのである。「公立図書館に行けばタダで本が読める」というのは入場料をとらないルールがあるだけで、税金という形で住民は図書館を支え、出版社の商売を支えているのである。図書館にまつわる話は別の記事で書こうと思うが、住民税を納めている人はその街の図書館(および公共施設、公共サービス)を活用しないと納税した分だけ損することを覚えておくのが良いだろう。

さてここまで読んだところで冒頭のnoteのおすすめ記事に話を戻すと、noteは公立図書館のように税を徴収して記事の執筆者に献金しているわけでもないし、無料の記事を書けば書くほど執筆者は金銭的に損をする構図に見える。「金銭的に」と書いたのは、noteで無料の記事を書いて誰かの目に留まり「このライターさん面白いよ」と評判が出て有名人になったりすれば、金銭面とは別に得をすることがありうるからである。

noteのおすすめ記事を眺めながら「無料で記事を公開しているライターのみなさんが求めているものはなんだろう、対価を期待せずにボランティア精神で無料にしているんだろうか」などと思いを馳せるのである。

そういえば私のこの記事も無料だ。

でも対価は欲しい。

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追伸:偶然にも「#お金ライター 投稿コンテスト」なるものをやってるそうなので、この記事は #お金コラム になるんじゃないかと思い投稿してみることにする。

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