「バタフライ・ノット」-「終着点」の先を目指して~クィアで聴き解くGARNET CROW④

前回の、「クィアで聴き解くGARNET CROW③~「最後の作品」を考える」では、「風の中のオルゴール」と「closer」が「行く者」の視点から描かれた楽曲で、「見守る者」の視点から描かれた「Nostalgia」のアンサーソングになっていることを示した。
また、「行く者」「見守る者」が、「ゆり七」というグループの中心を為す二人の「JUDY」を指す場合、それぞれの視点に立った楽曲の歌詞も「作詞 AZUKI 七」の原則に反しもう一人の「JUDY」によって描かれているのではないかという筆者の妄想を披露した。

「Nostalgia」が最後のシングル曲、そして「バタフライ・ノット」がラストライブでファンに向けて披露された楽曲であるということを知ったうえで、この2曲を連続させて聴いてみた時、筆者は大変な驚きを禁じ得ず、しばらく痺れて動けなくなってしまった程だった。
GARNET CROWがこのような「閉幕」をしたということを知ることで、初期の頃の楽曲をリアルタイムで聴いていた筆者のなかで、このグループはどのような逆境にあっても作品を通してそれを表現し、そして最後まで作品を通してそれらを語ることで自分たちの芸術性を貫き通したんだということが明らかになったからである。

GARNET CROWの作品は、結成当初から、流れ行く時やその変遷、それに伴って移ろいゆく人、そうした人々の多様性が表現されることが多いように感じられていたから、このような一貫した芸術性を最後まで貫き通してくれたことに言い知れない称賛と感謝を思ったのであろう。

前置きが長くなったが本題に入ろう。

ラストライブ初披露の楽曲「バタフライ・ノット」、曲名の意味はおそらく、紐や縄の結び方(蝶結びではないらしい)で一定の間隔を空けて結び目を作る結び方らしい。それと、歌詞から想像するに、「butterfly knot」すなわち「蝶が海を渡って行きつくその終着地(1)」を掛けているのではないかと思われる。
前回「closer」について「閉幕」と「親愛なる者」という二つの意味が掛けてあるということを書いたが、この「親愛なる者」も、もう一人の「JUDY」と共にグループを応援してくれているファンを想定した二重の意味合いがあると考えられる。「バタフライ・ノット」も、その曲調から「closer」における「親愛なる者」が持つ二重性と同様の意味が感じ取れるような気がする。
では主体となるのは「行く者」か「見守る者」か。これは『彼の見たまぼろし』というフレーズから、「見守る者」が主体であると考えたい。

(1)沖縄を始めとするシマ(島)の民間信仰では、神や死者は海の向こうにある天国、ニライカナイにいる(あるいはそこから招来される)ものだとされる。また、人間とニライカナイにいる者との使者の役目を果たすのが蝶である。

以上から「バタフライ・ノット」は、「closer」同様にもう一人の「JUDY」とグループを応援してくれているファンに対する感謝が込められており、かつ「Nostalgia」同様に「見守る
者」が主体となって語られた楽曲であると想定したい。つまりこれは、構図としては、「closer」が「行く者」によって示された「親愛なる者」への感謝に対し、「見守る者」からの「親愛なる者」に対する感謝を示したのが「バタフライ・ノット」なのである。

「見守る者」が主体となっている点で、「Nostalgia」との関係性を考えるとどうなるか。
歌詞や曲調から「バタフライ・ノット」は、「Nostalgia」にて『君』を見送った「見守る者」が、目指そうとしている「終着点」のさらに先にある場所に行き着こうと歌われた楽曲であると思われる。
「終着点」に行こうとしている者を見守る心境を綴ったのが「Nostalgia」だが、行き着こうとしている「終着点」からさらに先を目指そうとする「行く者」が、その行きついた先で真の『永遠』を見つけ、そして同時に、自分自身も本当に望んでいたことを成し遂げられる地に辿り着けるだろう(だから心配しないでとファンに呼びかける)のが「バタフライ・ノット」なのではなかろうか。
「Nostalgia」と「バタフライ・ノット」を並べて聴いた時の筆者の衝撃は、両曲のこうした関係性を無意識に感じ取った結果だったのかもしれない。

「Terminus」(終着点)のさらに先を目指すことを「親愛なる者」に告げた「バタフライ・ノット」は、もう一人の「JUDY」から発せられたもう一つの、そして正真正銘の「最後の作品」なのであろう。そしてそうであるのならば、この流れで披露された「バタフライ・ノット」を聴く限り『飛び立つ幾千の蝶が舞う』地よりメンバーが再び戻ってくることはない。

『どんな生物よりもね 人間は不安定なもの 絶え間なく降りかかる日々に 
何か探してる 舞い上がれ!浮き立ってゆけ!現実をゆけ』

ごく初期の作品であるこの楽曲が示すのと何ら変わりない意志や芸術性を最後まで維持しファンに披露し続けたGARNET CROW。
そのグループが最後に見せてくれた決意は、いまだに覆されてはいない。なぜならそれは、決意を覆さないということ自体「ゆり七」が歌詞に込めた真意であり、初期の頃からの一貫した揺るぎない芸術性を担保するものだからである。


以上、クィアな視点からGARNET CROWの楽曲を考察しては来ました。楽曲が作成された背景や真意は結局のところわかるものではないですが、「クィア」を手がかりにしてGARNET CROWの楽曲を視聴することでこのグループの新たな芸術性に気が付いていただけたのであれば、書いた者として嬉しく思います。ちなみに④についてはまったく妄想の域を出ずでした。「Nostalgia」や「バタフライ・ノット」の考察はまだまだ出来るのだろうなと思います。

最後までお読みいただいた方へ感謝申し上げます。にわかファンの戯言に最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

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