機会費用を意識しよう

機会費用?

私が大学で学び最も心に残っているのが機会費用という考え方でした。全然難しい話ではなく、むしろ大学生になるまでとくに考えなかったことが悔やまれる感じです。私は経済学として学びましたが、何にでも通用する考え方で、簡単に言えば、「これをしなければ、あれができた。」できなかった方をチャンス(機会)を失った(費用・損失)と見るわけです。物事を判断するときにいろいろな選択肢の中からどれかを選ばなければならないのですが、その決定は切り捨てた他のものと同等以上の価値があるものを選んだだろうか?例えば限られた予算の中で何を購入するか?など日常に普通に転がっている葛藤に「選ばなかった方を失った損失」という視点ができたのは私にとって大きな効果がありました。

リスクを考えるという大損失

嫌なことが予想されるのでやらないほうが良い。一見、賢い正論のように聞こえるのですが本当でしょうか?機会費用という側面で考えてみましょう。やることによって得られる何かとやらないことで得られる何か?どちらか価値の高いほうを選択するのが機会費用を考えると正しい選択になります。そして、多くの場合はリスクを恐れて「やらない」方を選択すると、何も得られないので、「やる」方の利益を単に失っただけになってしまいます。「何もしなければ何も起こらない」は間違いで、「やらない」を選択するたびに機会費用が無駄に発生しているのです。つべこべ言い訳して何もしないというのはそういう事です。

リスクではなく課題と言い換えよう

何か目標を設定し、その障害となるものを「リスク」と考えて避けることを考えてしまうと単に機会費用が発生することなってしまいます。目標があるのに何もしないからです。ではリスクではなく「課題」と言い換えたらどうでしょうか?目標達成の障害は「課題」です。この課題はクリアできるものだろうか?できるとしたらそのコストは?費用対効果は?などなど考えが発展していきます。この課題は絶対無理だ!となったら違うルートを探して別な課題にぶち当たり、そこでも試行錯誤があり・・・と繰り返す中で捨ててきたものは機会費用ではなく「蓄積された価値」です。価値あるものは巡り巡って役に立つこともあります。リスクがある!やめよう!は何も生み出さないのです。

この話・・・実は…

この話は悩みある若者のために書いてます。彼はとても悩み心が押しつぶされそうになっています。長年、彼を見てきた私が思う事それを私の頭の整理のために書いてます。彼の祖父が「リスク」を考える傾向がとても強く「リスクがあるからやめろ」と言ってしまうのです。彼の祖父も生き方が不器用なタイプでご自身の色んな経験から孫子のために語っているので責めることはできません。しかし若者はこれまでいろんなことをやれずに来たため、努力して成功するような達成感に飢えてると私は見ています。「やらない」ということで知らずに支払ってきた莫大な機会費用は「できない」に変化して彼の前に現れる。通常の誰でもある承認欲求をはるかに超える渇望。それが彼の悩みの正体だと思っています。恐れずに挑戦して欲しい。機会費用を考えてみてほしい。君は選んだ選択肢と選ばなかった選択肢が等価交換以上で有益なものになっているか?人生には逃げたほうが良いこともあります。逃げたほうが有益な状況なら自信を持って逃げて良いんです。リスクを恐れて逃げ出しただけだと君の心は曇っていくのではないかい?自信を持ってこっちの方が価値があるからこうしたんだ!そう考えてほしいな。

もう一人の自分

「ただ逃げただけ」。それって自分の深層心理は見抜いてます。ず~~~~っと引きずります。ちょっとずつ乗り越える経験を積んでいこうか。おそらく君は今現在が辛いのではなく、未来があることが怖いのでしょう。もう一人の自分が「お前はいつも逃げてるだけで本当は何もできないやつ」というのでしょう。その幻は自信とともに消えていきますよ。自分の選択に対する自信、課題はクリアできるという自信。いま、君に必要なのはリスクを考えるのではなく課題のために一歩踏み出す勇気だよ。


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