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若年性老害

最近、よく耳にする言葉に「老害」がある。定義があいまいな言葉のようで、単純に「害になる老人」と解釈しても問題なさそうだ。

害になる老人とは

老害。私の考える害になる老人とは、己の経験が全てに通じると信じこみ、時代にも状況にも合わないことをものすごく高いところから意見するタイプだろうか。年長者・先輩・ベテランなど呼び方は様々だが、老人の年齢になると通常、その意見を無視しにくい立場にいるため、その時代錯誤な無理難題に若輩は苦しめられる。実に迷惑だ。

温故知新

「故きを温めて新しきを知る」これができる高齢者はおそらく害になる老人にはならない。「故きを温める」だけで「新しきを知ろうとしない」のが害になる。老人は己がすでに第一線を退き、サポート部隊になっていることに気が付かないといけない。若者が故きを温めたくなった時の相談窓口でありたいものだ。無論、相談に乗るのであって指示や命令をするのは避けねばなるまい。

老人だけか?

自分の経験や価値観を他者に上から押し付ける。自分は敬われるべき存在であると信じている。なんだかとても高いところから他人を見下している。老害とはそんな感じだと思うのだが、それは老人だけだろうか?社会通念上年長者としてある程度立ててやらなければならないため煩わしさにターボがかかるので特にそう感じるのではなかろうか?何かのニュースへのネットの書き込みなど眺めていると、自分の経験や価値観で断定し、とても高いところから他人を非難し、自分は穢れなき存在のように振舞っている人々がけっこう多い。

ネット社会が転機

かつては年長者は敬われるべきであると教育され、己が年長者になったときに敬われるのも当たり前で、若年者に対して横柄な態度で当然だった。そのころに生きていた人々が老人の年齢になると老害。これは「他者に対して偉そうにして問題ない」という特権を与えられたという勘違いの産物であるといえよう。そう考えるとネットでは年長者とかもはや関係なく「他者に対して偉そうにして問題ない」と考えている層は年齢に関係なく老害ではないか?自分の頭の中の情報を根拠に他人に意見する。罵倒する。苦情を入れる。ネット社会でなければ若輩の意見として無視されるか、そもそも発言できなかったことが容易に発信できる。そして影響力を持つ。

老害の若年齢化

あくまでも社会構造(ネットの普及)による推測でしかないのだが、現実の老害に憤慨しつつも従うしかなかった世代(現在の40代~50代)はおそらく老害になる率は低いのではないかと思う。聞く耳を持っている年齢のうちにネットで老害に対するいろいろな意見を聞き、考えを改めていることが考えられるからだ。そこから年代が下がるほどに幼いころからネットに触れ、大人相手に対等以上の意見(意見であれば良いが罵倒など)し、肥大した自意識を持ってしまっている率が上がるのではないか?上から自分の知識や考えを当然のように押し付けるのは老害と変わらない。あくまでも全体的に見たらそんな傾向がみられるんじゃないかという予想であり、あなたが老害であるという話ではない。今現在、老害と言われる人物像は高齢者に限らない話になりそうだ。

世代間の対立は無意味

老人は若者を、若者は老人を批判しがちだが、老人だからとか若者だからではなく、個人の資質の問題である。あなたもわたしも対等な一個人。同じ組織に属していれば業務上の上下関係があるだけで、人格の上下はない。そこを忘れて高いところから他人に干渉し出したら年齢に関係なく老害。幼いころから他人への敬意を意識せずに他人に意見する癖がつくと若年性老害になる危険性が高まるように思う。

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