「死にたい」っていつでも言っていいよって言ってくれてた人に言えなくなってしまった

死にたいって思ったら、いつでも言っていいからね、って言ってくれてたお友達に、言えなくなってしまった。なんとなく。別にけんかしたとか何かあったとかそういうわけじゃなくて、わたしが勝手に遠慮して連絡しづらくなってしまった。きっかけは、その人が結婚したこと。

別に結婚したからって何が変わるわけじゃない。ただ、いま連絡していいのかな?こんな話していいのかな?っていう遠慮はできてしまった。なんにも怪しいところのないカンケイだけど、いちおう、異性だし。新婚さんにガンガン連絡するの、気がひけるでしょ。

その人とはお互いつらいときにつらい気持ちを吐き出しあっていた。きっかけは、2011.3.11。そのとき彼は被災地にいた。震災後のストレスやつらい気持ち、やりきれなさ、やり場のない怒り、彼のいろんな気持ちをきいた。わたしは遠く離れたところにいたけど、それはそれでストレスで、誰にも言えない気持ちを彼に聞いてもらっていた。同郷だったこと、つらいときの波長が合ったこと、男女の関係でないこと。だからお互い遠慮せずにいろんなこと言い合えてた気がする。

特に、悲しみやつらさの波長が合っていたことは大きい。悲しいとか死にたいって言った時に、「どうしたの?」じゃなくて「そうだよね」って言い合えていた。自然に。

死にたいっていうか、なんなんだこの人生、生きるのがもういいや、って思うことがわたしも彼もよくあって、そういう時に、誰かに「もういやだ」って言えるだけで楽になってた気がする。彼も言ってくれるからわたしも言えた。絆って何よ?誰も救われてないじゃない。みたいな話をしてた。

あの日、震災の前と後で変わってしまったものが確実にあって、そのことに対する意識も共有できていたと思う。当たり前だったものが突然消えてしまうという事実。頼りになると思っていたものが何の役にも立たないと知ったこと。わたしたちは急にいろんなことを失っただけでなく、悲しくてどうしようもない現実があることに気づいてしまったんだと思う。

もちろん悲しい話だけじゃなくて、みた映画の話や、おすすめの音楽などの話もしていた。同郷なので地元の話もよくしていた。

彼は震災を機に離婚していて、恋愛や転職もうまくいかなかった時期もあって、だから今回結婚して幸せになれたことはとても嬉しい。別に疎遠になる必要ないんだけど、なんとなくつらいことを言いあう関係とは違うようになっていく気がする。彼の悲しい波長が消えていく気がするから。というか消えていってほしい。

そうだ、きっと遠慮してしまうのは、しあわせなひとに悲しい話をしたくないから。それはたぶんいいことだと思うし、しあわせな話をたくさんできるようになればいいんだよね。時間は流れてく。わたしも前に進みたい。

おめでとう、ありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?