誰かのために我慢をしても、本当に欲しいものは手に入らない
今日、仕事で見ていたある作品に出てきたAちゃんという女の子のキャラクターに衝撃を受けた。仕事中なのに感情が大きく揺さぶられてしまった。
いろいろあるのでそのままは書けないのだけど、かいつまんで言うと、Aちゃんは他人のために自分を犠牲にすることを続け、限界がきて、壊れてしまう女の子だ。怖い。そして、少しわかる、と思ってしまった。
「いくら我慢しても、欲しいものは手に入らない、それどころかどんどん遠ざかってしまう」
というような内容のことをAちゃんが言った。
ぐさり、とこころに刺さった。
誰かのために我慢をすることが一時的にその誰かを助けることはあるかもしれない。その場の空気がよくなることだって確実にある。だけど、我慢している側が満たされることはない。だって「我慢」をしているのだから。自分を殺しているのだから当然自分の欲しい状態、したいことからは遠ざかっていく。
わたしは争いは嫌いだ。けんかするくらいなら我慢したい。自分のせいで誰かが不機嫌になるのは自分が不機嫌になるよりもずっと気まずい。我慢できることなんだから、そしてそれが誰かのためになるんだから、我慢してしまおう。いいことなんだ。そうやっていくつもの場面を切り抜けてきた。
だけどその結果、壊してしまった人間関係があるのも事実だ。Aちゃんは物語の中で壊れ、他人をも壊した。わたしは現実に生きているからそこまで自分を壊せない。もちろん他人を壊すなんてありえない。だけど、我慢して感情を殺すことで、自分の感情以外のなにかも殺してきた気はする。「このひとにはわかってもらえない」「伝えても意味がないから我慢してしまおう」そう思うことはコミュニケーションの放棄だ。我慢を重ねた結果、関係を維持できなくなってしまった人もいた。喧嘩別れではなく、黙って離れた。
我慢することは心を閉ざすことに似ている。
「もういいよ、感情を殺そう、我慢しよう」そう思うことで欲しいものが手に入るはずがない。だって諦めているのだから。欲しいもの、思い描く理想の状態からどんどん遠ざかるのは当然だ。
Aちゃんは物語の中で似たような存在を見つけ、希望を抱き、挫折し、他者との経験を重ねながら、少しずつ成長していく。
わたしもAちゃんを見つけてよかったと思う。急に我慢しないキャラに変わることはできないけど、我慢してもほしいものは手に入らない、ということは覚えておきたい。そして、本当にたいせつな相手にこそ、我慢せずに自分の気持ちやしたいことを伝えなくてはならないことも忘れずにいたい。
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