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『バッハに想うこと』渡邉辰紀

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2023年5月27日(土)にかつしかシンフォニーヒルズで開催する音楽会、
「J.S.バッハと共に」~渡邉辰紀チェロ独奏~への、奏者自身による寄稿文です。転載転用は固くお断り致します◎youkouconcert.ltd.,
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バッハは何故チェロ1本で弾く曲を書いたのでしょう。

わざわざ「無伴奏」と銘打っているように、当時の単旋律楽器の曲にはベースラインを低音楽器(チェロ、ヴィオラ・ダ・ガンバ等)で、その上にチェンバロやオルガンでコード(和音)をつけて「伴奏する」のが通常でした。

「無伴奏」というのは、メロディがあって単にそこに伴奏を付けていないということではなく、メロディの中に同時にバスの機能を持つ音や対旋律(広義の意味ではハモリ)を想像させる音が含まれていたりするということなのです。

さすがに真意の程は作曲家本人に伺ってみないとわからなのですが、おそらく単旋律楽器1本で曲足りうるものを作れるか試みたかった、あるいは挑戦してみたのではないか(バッハは無伴奏の曲をヴァイオリンやフルートにも書いています)。

そしてこれはもう本当に私の勝手な想像ですが、「究極の自由」を求めて・・・ということではないかと思うのです。

例えば和音が実際に鳴っていると自分の意識に聴こえてくる和音はその和音しかありませんが、鳴っていなければ無限に(無限はちょっと言い過ぎかもしれませんが)頭の中で鳴り得るのです。

もちろんなんとなく和音が導かれるメロディやベースラインがそこにはあるのですが、その和音がどのような和音かは、演奏者や聴く人に委ねられるのです。

落語で例えると、噺家は御隠居さんしか演じていないのにそこには熊さんや八つぁん、あるいはおかみさんのような人物が話の内容からイメージできるといった感じでしょうか。

そしてバッハはそのような狭義の自由にとどまらず、それを通して無限の表現の自由を我々に与えてくださり、且つ自分自身も求めていたのではないかと、そのように思われてなりません。


バッハは「無伴奏チェロ組曲」を第1番〜第6番まで計6曲書いています。「組曲」とは西洋音楽の器楽曲の形式で同じ調性による数楽章(多くは舞曲)からなる器楽曲のことで、一般にはアルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグの4種の舞曲。このチェロ組曲の場合はそれに加えて、すべての組曲がプレリュード(前奏曲)から始まり、サラバンドとジーグの間に第1, 2番ではメヌエット、第3, 4番ではブーレ、第5, 6番ではガヴォットという舞曲が入ります。というわけで1つの組曲の中に6曲ずつ、1番から6番まで合わせますと計36曲入っていることになり、全部弾くと正味で2時間を超えます。
本日は1番から3番、そしてシャコンヌですので19曲演奏することになります。
組曲の中の曲を簡単に説明致しますと、

【プレリュード】前奏曲
「今からこの調の組曲が演奏されますよ♪」という、特に形式の無い言わば「前菜」のような曲。「前菜」と書きましたがバッハの組曲の場合プレリュードが一番ボリュームがあって内容も充実しています。

【アルマンド】
「ドイツ風」の意味を持つが起源は不詳。一応舞曲ということではあるがその機能は早くから失われている。

【クーラント】
フランス起源の舞曲。「流れるような」という意味があり3拍子の曲ではあるが、あまり「1. 2.  3.」という拍子感が明確ではなく、文字通り「流れるような」曲。

【サラバンド】
おそらく中南米起源と言われている。国や時代によりテンポ等が大きく異なるようだが、現 在ではサラバンドといえばゆったりとして荘重な3拍子の曲として演奏される。

【メヌエット】
フランス起源の3拍子の舞曲。主に貴族の間で流行した。

【ブーレ】
フランス・オーベルニュ地方起源の、2拍子の軽快で陽気な舞曲。

【ジーグ】
イギリス、アイルランド起源の6/8、9/8、 または12/8拍子の軽快な舞曲。バッハの組曲の中には3/8拍子のものも見られる(2番、3番、5番)。


そして最後に【シャコンヌ】です。
シャコンヌもやはり踊りの曲でスペインやイタリアで大流行したらしく多くの人が作曲していますが、本日演奏するシャコンヌは、実はチェロの曲ではなく「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」という、やはり6曲から成る曲集のパルティータ第2番の最後の曲にあたります。

そう、この曲はヴァイオリンのための曲なのです。

当然のことながら、ヴァイオリンの曲をチェロで弾くことにはかなりの困難がつきまといます。
世の中には物凄く上手なヴァイオリニストが五万といるというのに何故ヴァイオリンの曲をわざわざチェロで弾くのか・・・

答えは簡単です。

私が弾きたいからです。

あまりにも簡単な答えですみません。もちろん異論は多々あることは重々承知で申しますが、私はヴァイオリンのこの曲集よりも、チェロ組曲の方が後で書かれた分(バッハはヴァイオリンの方を第1巻、チェロの方を第2巻としている)、「自由さ」の度合いが高いと感じています。それは多分「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」の方がより「きちんと」書かれているからかもしれません。
チェロ組曲の方は、要らないものを全て削ぎ落とした「究極の自由」が体現できる音楽だと思うのです。ですがこのシャコンヌは、完成度、気高さ、崇高さ、スケールの大きさという点で「チェロ組曲」を上回ることは勿論、音楽史上でも類を見ない傑作です。

この曲をなんとか弾きたいという思いを若い頃からずっと持っていました。そして「チェロで弾けばヴァイオリンにはない別の魅力を引き出すことができるかもしれない」と無謀にも考えてしまったのです。

実は私は20年前カザルスホールでのリサイタルで1度演奏したことがあります。20年の時を経た今、さらに円熟度を増した演奏を、私は自分自身に期待しておりますが、果たしてどういうことになるのでしょうか。乞うご期待!(笑)

と色々ぐだぐだと書いて参りましたが、皆さまは難しいことは考えずに
(私はコンサートでよく言うのですが)
豪華な旅館には色々な「お湯」がありますね。例えば「薬湯」とか「打たせ湯」とかetc.
「バッハ」という1つの源泉から、本日は楽しい「お湯」が19もあります。その1つ1つにたっぷりと浸ってくつろいでいただく・・・
そんな感じで今日のこの「J.S.バッハと共に」を楽しんでいただけましたら、幸甚の極みでございます。

本日はご来場心より感謝申し上げます。ありがとうございます!




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