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東南アジア陸路縛り旅 ②ベトナム編



ホーチミンから始まる

ホーチミンのタンソンニャット空港

早朝にダナンを発った飛行機は、まだ日も登って間もない午前中の内にホーチミンに到着。
昨日の失敗の反省を活かして空港からはバスで中心部まで向かい、昨晩から目をつけて予約していたホステルのチェックイン時間まで荷物を抱えたままブラブラして過ごす。

ここホーチミンもまた、ダナン同様にバイク天国であることを告げるかのように路上の至る所から聞こえて来るクラクション。
その騒音をBGMにしながら両替所に向かい、ベトナムの通貨であるベトナムドンを手に入れる。ダナンでは全てクレカで済ませていたが、やはりこれからカードが使えない場面に出くわすこともあるだろうし、せっかくの海外で現地通貨に一度も触れないと言うのもなんだか寂しいではないか。

ベトナムドンを目にしてまず驚くのは、その桁数。
500000VND(50万ベトナムドン)札とか普通に出て来る。いきなり50万のお札なんて渡されてどうしようかと戸惑う事になるが、日本円にすれば3000円ちょいだ。
一応現存する最小額の紙幣である100VNDで一円にもならないと言うのだから、ベトナムで流通しているのは紙幣がほとんどで、財布がすぐパンパンになってしまうのも頷ける。
さらに、その100VND札を除く全ての紙幣のデザインがホーチミン氏で統一されている為、慣れない外国人からしてみれば、毎度毎度0の数を注意深く数えないとそれがいくらの紙幣なのか判別できない。氏も氏で、額が上がるほどに表情も笑顔になっていく、などの分かりやすい変化をつけてくれればいいものを、全て同じ表情で押し黙っているのだ。
まあそれだけホーチミン氏がベトナムで崇拝されているということの表れなのだろう。何せ都市の名前になるくらいなのだから。

これがベトナムで最も愛されるホーおじさん

日本史だって曖昧なのに、世界史、それも東南アジアの歴史なんて知らないよ、という歴史嫌いのあなたの為に簡単に噛み砕いて説明すると、ホーチミンはフランスの植民地だったベトナムを独立に導いた革命の指導者だ。
故にベトナム建国の父と呼ばれ、国民からは尊敬と愛情を込めてホーおじさんと親しまれている。

わざわざ私が撮らなくても同じ写真が無数に見つかる

因みにこのホーチミン氏の銅像の後ろに聳え立つ壮麗な建物は、まさにフランスの植民地時代に現地のフランス人の為に造られた市庁舎である。
銅像と共に撮影すればその収まりの良さと共に歴史を表現する一枚として、ホーチミンに来れば皆が皆それを撮影する、大阪でグリコのあれを撮るのと同じくらい定番のフォトスポットになっている。

そんな定番スポットを大きなリュック背負って彷徨いてれば、誰がどう見たって来たばかりの旅行者だし、もしかしたら両替所から出てきた時から目をつけられていたのかもしれないが、原付に乗って登場したオッサンが片言の日本語で急に話しかけてきた。
「ドコイキタイ?」
「んー?いや別にアテもなく歩いてるだけっすよ。分かる?ジャスト、ウォーク」
「コノミチ、アルク、アブナイ。ムコウノミチ、イキナサイ」
「あー、そうなん?おっけー、ありがとう。センキュー」
適当にあしらってそのまま進もうとすると、オッサンは原付に乗ったまま私の後ろを着いてくるではないか。嫌な予感がした。
「ワタシ、ガイドシタ。チップ、ヒツヨウ」
あー、出たでた。ほらね。
しばらく無視して歩き続けたが、オッサンは原付でどこまでも着いて来る。走って撒こうにも相手は原付だし、こっちもそんなことに体力を使いたくない。いい加減しつこいので、適当に一番安いベトナム紙幣を渡して去ってもらおうとしたら、
「ノーノー。ニホンのマネー、プリーズ」
ふむ。確かにベトナムで小銭は珍しいし、もしかしたらコインを集めてるマニアなのかも知れない。こんな強引な手法に屈するのも腹が立つけれど、ここは蒐集家の彼の為に私が一肌脱いでやろう。
そう思って握っていたベトナム紙幣を財布にしまい、代わりに私の小銭入れから100円玉を取り出して彼に差し出した。どうだ、しかも1円なんてケチなモンじゃなく、ピカピカに輝く100円玉だぞ。
「ノーノー。カミのマネー、プリーズ」
はぁ???
こいつ千円要求してんのか?
これには普段温厚な私でもちょっとカチンときたので、渡そうとした100円玉も握り締めたまま無言で立ち去った。オッサンはマネーマネー言いながら原付で着いて来るが、完全に無視。どこまでも着いてくりゃええ。そんなメンタルでずっと歩き続けていたら、気が付けばいつの間にかオッサンはいなくなっていた。ちょうどお腹も空いてきたのでそのまま適当な店に入って勝利の昼ご飯。


ホーチミンに泊まる

宿泊予定のホステルに到着。個室を一部屋あてがわれるホテルと違って、ホステルでは大部屋に複数設置された二段ベッドのうちの一段を唯一の個人スペースとして与えられる。勿論同室するのは見ず知らずの他人。無理な人には絶対無理な宿泊施設だけれど、当然ホテルよりも遥かに安上がりだし、こういう施設ならではの出会いもある。
さて、今回はどんな出会いが待っているのだろう。ワクワクしながらチェックインして部屋へ向かうと、そこに待ち受けていた先客は恐らくカップルだと思われるアジア人の男女と、国籍不明の女子二人組。
せめてカップルはホテル泊まれやと思わなくもないが、黙って自分に割り振られたベッドによじ登り、この機会に荷物も整理し始める。
日中の観光をひとしきり終えてホステルに到着したばかりの私と違い、ざっと見た感じの彼女たちの荷物の散らかり具合から察するに、カップルも女子達も今日がチェックイン初日という訳ではなさそうだ。だと言うのにこんな晴天で観光日和の日中にずっと部屋で過ごしているのは、一体何をしにベトナムまで来ているんだろうか、と自分の事を棚に上げつつ非難の目でそれぞれお喋りに興じるルームメイトたちを見つめていた。全くもって余計なお世話だ。

軽い休憩程度に留めるつもりだったのに、自分で思ってたよりも疲れが溜まっていたようで不意の眠りから覚めた時にはもうすっかり夜。ずっと駄弁っていた同室の若者たちもどこかに出掛けていた。彼女らの後を追うように、私も夜の街へぶらりと繰り出す。

夜のブイビエン通り

ホーチミンのナイトスポットと言えばブイビエン通り。通りの左右に大音量で音楽を流すクラブやバーが何軒も連なり、お祭り騒ぎのようになっている。
ナイトスポットと聞いてバンコクのナナプラザやソイカウボーイのような、エッチなお店ばかりが連なって右を向いても左を向いても大胆な格好をした客引きのお姉ちゃんたちが声を掛けて来る、と言うのを想像していたので思ったより健全なブイビエン通りにちょっと肩透かしを喰らう。もちろんそう言う店が無いわけではないのだが。

夜の街を歩くのが好きだ。
明らかに買ったんだろうな、という地元の女を2人両脇に侍らせてのそのそ歩く巨漢の白人、これから出勤するのか派手な格好で一心不乱に歩いてゆくお姉さん、見慣れない景色に興奮しながらシャッターを切りまくる外人夫婦、何をしにこの国に来たのか聞かなくても分かるハゲた中年日本人の二人組。
夜の闇が包み隠す底のない欲望をギラギラしたネオンが照らし出す。その合間を縫うように歩き回り、欲望の残り香を嗅ぐのが好きだ。
別に女を買わなくたって、お酒を飲まなくたって、その混沌の中に紛れ込むのが楽しいのだ。

夜のブイビエン通りを満喫したら、"普通の"マッサージ屋へ行って、日本を発ってから散々酷使してきた足をマッサージしてもらい、適当に晩御飯を食べてこの日の観光は終了。
結構遅くなってしまったな、と思いながらホステルに帰ったのだが、まだルームメイト達は誰も戻って来ていなかった。
そうか、夜遊びが彼らの主目的だったんだな、と妙に納得し、大部屋でありながら誰にも邪魔されることなく眠りつける贅沢さを噛み締めつつ就寝。

翌朝、この日はホーチミンでの一番の目的とも言える戦争証跡博物館へ行くために早起き。なんと朝7時半から営業している。
パンパンだった足も昨日のマッサージのおかげで全快。流石は本場のマッサージといったところか。
まだ涼しい朝の道を歩きながら、全ての事に合点がいった。そうか、彼女たちはただ怠惰に日中を過ごしていたわけじゃなくて、「これ」こそが東南アジア観光のコツなのだ。
まだ気温の低い朝の内から日中の観光を済ませ、耐え難い暑さの昼間はエアコンの効いた屋内で過ごし、夜になってまた涼しくなったら夜遊びに出掛ける。これが東南アジアの過ごし方。
何も考えてなさそうだった若者達から意外にも学びを得ることが出来た事に感謝しつつ、更なる学びを求めて博物館へと向かった。

ベトナム戦争の資料を残す戦争証跡博物館

今回の旅のルートにベトナムが含まれることが決定した瞬間からもうこの博物館に行く事は確定しており、旅に出るまでの一週間ほどでベトナム戦争に関する本や映像による予習をしっかり行ってきた。その甲斐あって日本語の説明の無い展示でもしっかり鑑賞する事が出来たし、様々な展示が訴えてくる戦争の悲痛さも並並ならぬものがあった。

ベトナム戦争終結の象徴

戦争証跡博物館からすぐ近くにあるここ統一会堂は、解放軍の戦車がフェンスを破って突入し、サイゴンが陥落して戦争が終結したことからベトナム戦争終結の象徴とされ、当時の大統領邸としての様子を残したまま公開されている。
博物館と併せて見応え抜群の観光を終え、帰り道で適当にお昼ご飯を済ませると、そのままそそくさとエアコンの効いたホステルへ逃げ帰った。

屋外のテーブルで食べるお洒落なランチ


ホーチミンに留まる

夜になり気温も涼しくなってきたので早速今夜も街へ繰り出す。今夜はホーチミンに存在するジャパンタウン、日本人街へ行ってみる事に。

日本町、とあるのが見えるだろうか

いくら日本人街だと言っても、無料案内所があるのは流石に笑う。なにもそこまで再現しなくても。外国のチャイナタウンを訪れた中国人もこういう気持ちになるんだろうか。
客引きも日本語だし、夜の店も日本人に馴染みの深いキャバクラタイプが多い。
自ら訪れておいてなんだが、せっかく外国に来ているのに日本語が聞こえたり目に入ったりするとちょっとゲンナリしてしまうタイプなので、雰囲気だけ楽しんで早々に退散。
ついでに、と寄ってみた蕎麦屋さんのお蕎麦も日本と大して変わらない味がしてすごいと思ったのと同時に、一体自分は何をしているんだろうという気になった。
こういうのは異国に何ヶ月も囚われて日本が恋しくなった時に来るべき場所だ。

日本じゃ打てないようなハイレートがあるらしい。私は怖くて行ってないけれど

不意に強烈な日本ラッシュを浴びせられた私は、ベトナムにいながらベトナム感を求めて再びブイビエンを彷徨っていた。
しかしご飯は済ませてしまったし、一体どうしたものかと途方に暮れていた所、ちょうど"普通じゃない"マッサージのお姉ちゃんに捕まり、あれよあれよという間に店内へ。
こんな安易なベトナム成分補給に屈するなんて…という気持ちはあったが強引にグイグイ腕を引いてくるお姉さんの力に抗えなかった、という事にしておこう。

軽くシャワーを浴びて通されたのは、薄暗い大部屋をカーテンで仕切っただけの一画。お姉ちゃんに促されて硬いベッドに横になると、そのままマッサージが始まる。カーテンの奥からは先客の、どうやら交渉中らしい外人と嬢との会話がぼそぼそ聞こえてくる。うーん、ベトナム!

事が済むと、一緒に写真を撮ろうと言われてお姉ちゃんとツーショット。写真送るから、の流れで自然にLINEを交換。
日本の風俗は知らないが、こっちじゃお決まりの流れだ。こうして写真を撮る事で女の子はお客さんの顔を思い出せるし、その国にいる間はしょっちゅう営業のLINEが飛んでくるので理にかなっている。
中には日本に帰ってからしばらく経った後も、髪色変えてみたなんていう日常の雑談を送ってくる娘もいるのだが、このお姉ちゃんは私がベトナムにいる間しか連絡してこなかったのでキッチリしている。いや別に寂しいとかじゃないけど。

ブイビエンのマッサージ屋さんにて

翌朝、2泊お世話になったホステルをチェックアウト。特にホーチミンにこれ以上の用があったわけじゃないのだが、たまたま見つけた宇宙船のようなホテルに泊まってみたいが為にもう一泊する事に。
こういう自由さも一人旅の醍醐味である。

少し狭いが気分はもうスターウォーズ

日本でいうところのカプセルホテルの様なシステムだが、カードキーでロックを解除するシステムと派手な照明が演出するSF感にテンションが上がる。
昼間は宇宙船内でダラダラ過ごし、日が暮れれば涼しい夜の街へ。ベトナムの過ごし方もすっかり板についてきた。

明日はいよいよ国境越えなので、景気付けにとお酒も飲んだりして楽しい夜を過ごす。遅くなり過ぎない内にホテルに帰り、いざ宇宙船に乗り込もうとするも、カードキーが反応せずドアが開かない。
おや?船を間違えたか?
しかし何度確かめてもカードキーに表記されている番号と開けようとしているドアの番号は一致している。接触不良だろうか。
仕方ないのでカードリーダーの調子を見てもらおうとフロントへ向かうと、そこには「外出中、用事があれば下記番号へTELを」という札が。しかし私の携帯のSIMは電話には非対応である。せっかくのほろ酔い気分もすっかり覚めてしまった。

さて、どうしようかと誰もいないフロントに立ち尽くしていると、ちょうどこれから出掛けるつもりらしい白人の青年が上から降りてきて、困り果てた顔の私にどうかしたのかと声を掛けてくれた。身振り手振りも交えてカードキーが壊れて部屋に入れない上にフロントに人が居ない、ということを伝えると青年も、そいつぁお手上げだな、ご愁傷様、みたいな表情とジェスチャーをしてそのまま出掛けて行った。あ、見捨てられた。

仕方ないのでベランダの喫煙所で座りながらフロントが帰ってくるのを待つ。ひたすら煙草を吸い続け、いよいよ空が白んで来た頃になってもフロントは帰って来なかった。
寝るのは諦めるとして、流石に座って煙草を吸うのにも疲れたので、なんとか開かないだろうかとドアの前で色々試していると、ちょっと力を入れただけで何事もなくドアは開いた。
セキュリティどうなっとんねん、とは思うが今は船に戻れたことが何より嬉しい。倒れ込むようにベッドに横になり、ベトナムで過ごす最後の夜を安堵の溜息で包み込んだ。


国境を越える

一波乱あった宇宙船ホテルをチェックアウトしてバスターミナルへ。
ようやくベトナムドンを日本円に換算して計算するのにも慣れてきた頃だけれど、ここで次のカンボジアに備えて米ドルへ両替。
カンボジアにも勿論リエルという独自の通貨はあるのだが、驚くべきことにカンボジア国内では米ドルとリエルの二種類の通貨が使え、なんなら米ドルの方が流通している。ただし硬貨は出回っておらず、米ドルで支払った代金のお釣りがリエル紙幣になって返ってくることになるという少し変わった国だ。
これまた計算がしち面倒臭くなりそうだが仕方ない。

カンボジア行きのバスに乗り込み、初めての陸路国境越えに期待と不安で胸が一杯になる。いよいよだ。
ホーチミンの大きな道路を走っていたバスはしばらくして大きな建物のある場所で停まった。ここがベトナムとカンボジアの国境、モクバイ国境。

果たして何事もなく無事に通過出来るのだろうかと心配していたが、このバスは他社より少し高いだけあって面倒見のいいガイドさんがいてくれた。これがどれだけ素晴らしいことか、後から身をもって実感することになる。
手続きは全てバス会社がやってくれるので、パスポートをガイドさんに預けてゲートを通過するだけ。
カンボジアに入国した途端、ここまで通ってきたベトナムと比べて明らかに整備されてない道ばかりになり、赤土も目立つようになる。砂埃も凄い。
ホーチミンからずっと続いている道だと言うのに、国境を越えただけでここまで様変わりするのかと驚きつつ、再びこみ上げて来た新鮮な旅の感触に胸を震わせていた。

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