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ジュプ・エ・ポァンタロン (4)大学 入るのやめる?

 孝子はすこしだまってしまった。
 カズエが
「どうしたの? なにかあったの?」
「今日はがっかりしたことばかり。ガイダンスはありきたりだし、手続きの説明も大学のウェブサイトに掲載してあった以上のことは無かったし。わざわざ東京まで出てきて聞かなければならない話し?」
「そうよね。がっかりよね」
「ぼくもそう思った」
 ショウもやっと話しの輪に入ってきた。
「冒頭の挨拶のあの教授が原論の講義をするらしいんだ。卒業に必要な単位の一つだから全員が必ず受講して合格しなければならないらしい」
「でも、棒読みでしょ。あの教授の本を買って要点をまとめておけば、テストだけで単位は取れるんじゃない?」
「テストはそれで通るかもしれないけど、授業への出席はきちんとカウントしているらしい。欠席が多いとテストを受けられないし、それも厳密に出席をつけていて代理出席はアウトだっていう噂だよ」
「あの調子で授業されたんじゃ、辛いわね。できればあの教授の授業は避けようと思っていたのだけど。どうしよう」
「我慢して受けるしかないってことなんじゃない」
 喫茶店のおかあさんが料理とアルコール抜きのカクテルを持ってきた。ヴァージンカクテルと呼ぶことも教えてもらった。ホワイトソーススパゲティは卵を加えればカルボナーラになる。トマトソースのピッツァは玉ねぎやプロセスチーズをのせていたが、バジルやモッツァレラチーズにし、トマトソースを生の甘いトマトに変えればマルゲリータになる。シェフのおとうさんが開店当初、日本人に合わせてアレンジした料理で、京都を旅行した時に老舗の喫茶店で出会ったメニューがヒントになっていると話してくれた。孝子もショウもすぐ平らげてしまった。

 お腹が落ち着いたところで、孝子が切り出した。
「私、大学に入るのやめようと思ってるんだ」
 カズエもショウも何を言い出したかというビックリした顔になった。
「今日のガイダンスの様子だと、大学で得られる知識はウェブ以上にはならないんじゃないかと思って。どこでもアクセスできるウェブの情報を超えるものが無いんだとしたら、わざわざ東京に出てきた意味がないわ。でも…」
 カズエは
「そうよね。今日の話しを聞く限りはそう思うわよね」
と答えた。
 ショウはスマホを動かしながら
「先輩たちによる大学情報を検索しているのだけど。評判は悪くはないんだよな。今日の内容は確かにひどかったよね。ウェブ上で学部長と学生課のデータが欠落しているのかな?」
 カズエは
「まだ、結論を出すのは早くない? もう少し様子を見てからでもいいと思うのだけど」
 孝子には別の理由があった。
「私、大学に入りたくて東京にきたわけじゃないの。東京に出てくるための手段として大学を選んだだけ。何か自分でできるんじゃないかと思って。東京だとそのきっかけがあるんじゃないかと考えていたの」
「そう」
「でも、やはり、結論は早すぎると思うな。あの二人だけで判断しなくてもいいと思うよ。面白そうな授業がありそうだから、一通り受けてみてからでもいいんじゃないかな」
「実はクラスの雰囲気にも幻滅したのよ。あの男子三人組よ。だまして居酒屋に連れていくっていう行動が許せないのよね。ほんとうにがっかり」
「それもそうよね。でも世の中、そういうことってたくさんあるんじゃない。回避するための要領も覚えておかないと」
「でもこれから私が目標としていることへ集中したいから。邪魔になるような精神状態になることは避けておきたいわ」
「そう」
 カズエもショウも黙ってしまった。三人組のことについては二人も意見は同じだ。孝子もカズエもショウもお店が出してくれた甘いヴァージンカクテルをほとんど飲み終えていた。カズエが
「コーヒーを頼まない?」
 もう少し時間をかけて孝子と話し合いたい。
「そうね。そうしましょうか」
 孝子は自分の考えを曲げるつもりはなかったが、この三人でおしゃべりを続けてもいいかなと思った。カズエの提案に賛成した。
「おかあさん。コーヒーを三ついただけますか?」
「あら。カクテルのおかわりでもいいけど。それじゃー、ミルクがたっぷり入ったカフェラテを持ってきましょうか」
 ショウがその間もスマホで検索を続けていた。
「もう一度調べているんだけど、この大学の評判は悪くないんだよね」
 カフェラテが出てきても検索を続けていた。
「これだ。やっと裏サイトにたどり着いた」
「裏サイト?」
 カズエが乗り出してきた。
「あの大学のあの学部の悪口が書いてあるサイトがないかと思って」
 スクロールを続けると
「やはり、評判は悪くないよ」
「あらそう」
 
 三人はカフェラテを飲みながら、裏サイトに書き込まれていた悪口を読んでいた。
「学部長と学生課は頭が硬くて、融通が効かないらしい。学部長が担当する原論は必須科目に入っているから、学内での立場は安泰らしい。学生の反発もなく授業内容をブラッシュアップすることもなく、サークルによって十年前の虎の巻が先輩から代々引き継がれているところもあるらしい。学生側からしても楽に取れる単位だから、文句も出ないんだろうな」
「他の先生たちは」
「二人以外の先生たちの評判もいい。新しいことを取り入れようとする雰囲気があって、前向きな学生たちの評価は高いようだよ。今日の二人は入学して一年目だけの付き合いだから、その単位を取ってしまえば、もうおさらばと思っている先輩たちが多かったみたい。ゼミの希望者も少ないようだよ」
「ほら、孝子。拙速に学校を辞めないほうがいいわよ」
「でも、あの男子三人組にはもう会いたくないわ」
「そうね。その問題もあったわよね」
 また、沈黙が続いた。テラス席の眺めからは太陽の存在が完全に消えてしまっていた。それに代わってマンションやオフィスの点々とした灯りがきれいな夜景を作り出していた。

「孝子。明日はどうするの?」
「学校は休むつもりでいる。休日にやろうと思っていたことを前倒しで実行してみようと思うの」
「どんなことなの?」
「んー。まだ、秘密。差し障りがなくなったら教えてあげる」
「わかった。それじゃー、孝子。こうしてくれる。私たち、三日に一度ここで会うことにしない? その間の大学の情報を孝子に教えるから。それで大学を辞めるかどうかを判断して。授業料の半年分は払っちゃったんでしょ。決めるのは半年後でもいいんじゃない」
「そうだよ。そうしようよ」
 孝子はこの三人で会うことは悪くないなと思った。もともと東京に知り合いはいなかった。おしゃべりの相手がいるのは精神的にありがたかった。東京で学校に行かず何かに取り組むというのは、場合によっては何日も人と話すことがないことも考えられた。それがカズエのほうから定期的に会って話しをしようと提案してくれたことは孝子にとってちょっとうれしかった。
 カズエの提案に同意し、三日後の同じ時間にこの喫茶店に三人が集合することで話しが決まった。三人の話しをオブザーバーのように聞いていた喫茶店の女主人も
「孝子ちゃん。あなたたちの約束の日時の前に、何か迷ったり悩んだりしたことがあったら、ここに来てもいいわよ。私が話し相手になってあげる」
と言ってくれた。
 三人は喫茶店を後にした。

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