社会運動に参加して気づいたこと(僕が地域活性団体を立ち上げようと思った理由その3)

前回の記事「成田空港問題との出会い」では、僕が社会運動に関心を持ったきっかけなどについて書いた。

今回は2015年夏、安保法制(法案)を巡り国内が二分する中、僕が安保法制に関心を持った理由と安保法制に反対する学生団体で活動した時のことについて書く。

2015年夏。安保法政の審議が国会で進み、国内が安保法案の話題で「賛成」「反対」に二分するなど、日本の政治は大きく揺れた。当時僕は中学2年生だった。その当時成田空港問題に関心を持っていて、安保法案の話題が連日ニュースで取り上げられる中、高校生がデモで声をあげている姿をニュースで目撃した。僕にとってどこかで「他人事」と捉えていた安保法案の問題だったが、高校生が声をあげている姿を見て大きく変わった。

それから、その高校生の団体が「渋谷」で活動していることを知った僕は、衝動的に渋谷行きのバスに飛び乗った。まあ当然のことだが、渋谷に行ってもその団体の姿を見つけ出すことはできず、その日は帰った。

全く計画性のかけらもなくて笑える行動だが、帰りのバスの中でその団体のことについて調べ、ツイッターを見つけてフォローした。そのツイッターの投稿に、夏休みに勉強会を開催すると書いてあったので、その勉強会に参加することにした。

これまで何も活動してこなかったし、政治など全く興味がなかった僕としては、参加するのにとてもハードルが高かったのだが、緊張より好奇心が勝ったのでいくことにした。でも一人だと怖いので、半ば無理やり友達を連れて(笑)参加することにした。

勉強会の内容は中学二年生当時の僕にとって、正直半分くらいしか分からなかったが、なんとか頑張って内容を理解しようとした。

そして、その勉強会で、本当に偶然だったのだが、小学校時代の友達のお母さんと会った。それ以来、その高校生団体のことを色々と説明してくれたり、その高校生団体などが主催するイベントを紹介してくれたりした。

そこでの知り合いとの偶然の出会いがきっかけに、その高校生団体への興味と安保法案を巡る一連の動きに興味を持つようになっていった。当時、色々な意味で右も左も分からなかった(笑)僕は、ネットや本などを通して安保法政について、中学生の自分なりに学んだ。

ただ、今から振り返れば、TwitterやFacebookなどを始めとしたSNSやネットを主な情報源としたことで、今まで政治に全く関心のなかった僕は、安全保障の知識や「賛成」「反対」双方の主張をあまり知る機会がなく、単純かつ先鋭的な思考に陥ってしまっていた。このような言葉を使用することが適切かは分からないがいわゆる「ネトサヨ」と言われる人たちに分類されるだろう。つまり安保法政において言えば

安保法政は安倍晋三を始めとする安倍政権が戦争をするために立案した法案で、これが通れば戦争になるらしい。だから安倍を倒して野党を応援すれば全てが解決する。

といった考え方である。もちろん当時と今とで僕の安保法案に対する考え方は全く変わっていない。しかし当時の僕は一つの「意見」「見解」だけを情報収集して、これが絶対正しい意見だと「断定」していたところがあった。このような「絶対にこれが正しい」といった考えはファシズムを生み出す。

やはり今から考えると、「賛成」「反対」双方の立場から色々な意見を聞ける場所があればよかったなとも思う。近年のファシズム政権の元でそれを行うのはかなり難しいかもしれないが、対話なき政治には未来はないだろう。色々な考え方の人々が立場を超えて対話できる場所を作る必要がある。逆に、それがファシズムの暴走を止めるための1つのきっかけになるかもしれない。

毎日国会前のデモに参加した日々

2015年夏は毎日のように、国会前には数万人の安保法案に反対する市民が集まり、声をあげていた。気がついたら僕も1人でそこに毎日足を運んでいた。そして喉が枯れるまで声をあげていたのだ。

しかし安保法案は衆参で強行採決され、遂に「安保法政」となってしまった。あの当時の虚無感と多くの人が反対する中での強行採決を目の当たりにした僕は政権に対する大きな怒りを覚えた。国民を軽視する姿勢がどうしても許せなかった。

その後、前出した高校生団体「T-nsSOWL」 メディアなどで大きな注目を集めた「SEALDs」の活動に大きな関心を持つようになっていった。

そして10月に渋谷で行われたSEALDsの街宣で、T-nsSOWLのメンバーに声を掛け、遂に僕はT-nsSOWLのメンバーとなった。まだ中学2年生だった当時のことを振り返ると、あまりにも未熟で(今でも未熟だが)思い出すのも恥ずかしい。

そういった流れで僕はT-nsSOWLに入って活動を始めるようになったのだ。


国会前抗議行動の主催者になって気づいたこと

T-nsSOWLに入ってからは僕の日常の9割は政治に染まった。ほぼ毎日のように渋谷でMTGをして、深夜まで作業をしていた。ただ、そんなことができたのも僕が政治以外やることがなくて暇だったからかもしれない。

ただ、毎日がめちゃくちゃ忙しい日々になっていったのは確かだ。やはり周りが年上の高校生だったからか、中学2年生の僕はそれについていくのに必死だったというのもある。

 2016年5月からは国会前抗議行動をT-nsSOWLの一員として主催した。その当時は、遂に国会前の主催者側にまわったのだという気持ちと、責任感とで、とても感慨深かった。

しかし、実際に国会前を主催するということは、僕が考えていたことより何倍も大変だった。国会前を主催するということは500人・1000人の参加者を5人から10人くらいでまとめなければならないということだからだ。

まず、国会前を主催するにあたっては、SNSでの拡散・発信が重要になってくる。Twitter、Instagram、Facebook、LINEなど使えるSNSを全部活用して拡散する。それに合わせ動画やステートメントも作成する。次に資材の手配(プラカードの作成・スピーカー・トラメガ・登壇者に配る水、参加者に配る飴・カンパ袋)などを集める。

国会前準備中

国会前抗議行動の様子

毎週開催すると、警察の方たちとも顔見知りになる。(笑)警察があらかじめコーンを配置してくれるので、それに沿って参加者スペースに登壇を置いて、資材を置く。僕たちの方が準備が早く終わったことが会ったので、まだ準備をしていた警察の人たちに「手伝いましょうか?」と聞いたのだが、丁寧にお断りされてしまったのはとても懐かしい話だ。(笑

1960年代の学生闘争は、ごく一部の学生ではあるが過激化し、罪のない現場の警察官・機動隊などに多くの死者が出てしまった。その歴史を見ながら、どんな時でも、闘うべきは現場の警察官ではなく、本当の権力者である政権である、という姿勢は崩してはならないという強く思う。

2016年7月の参院選がやってきた

そんな感じで、あっという間に時はすぎ、2016年7月の参院選がやってきた。今でも僕には選挙権がないので(現在17歳)当時14歳だった僕に、選挙権などあるはずがない。でも投票はできなかったが、僕の人生で最初の「選挙」であったことは間違いない。これほどまでに思い出深い選挙はないだろう。

2015年の安保法制の可決を受けて、各市民団体の大きな方針としては、野党共闘による3分の1以上の議席の確保。安倍政権が最終目標として掲げている憲法改正の阻止であった。

選挙期間中、18歳未満の僕たちにできることはかなり限られているので(18歳未満は特定の候補者を応援できない)、僕たちは選挙期間中、右翼・左翼などのイデオロギーに捉われず「選挙に行こう」ということを訴えた。都内のいたるところで選挙促進運動を展開してとにかく選挙戦を盛り上げようと各地を駆け回った。

とにかく当時は、駅などで歩いている人に片っ端から声を掛け、選挙の行き方を書いたパンフレットを配るなど、草の根的活動を地道に続けた。果たして結果がどれだけ出たのかは正直分からないが、当時の僕はとにかく必死だった。

選挙の結果は、憲法改正ができる3分の2議席を与党に取らせてしまい、野党は敗退した。

政治で変えられることと変えられないこと

2015年夏の安保法制可決をきっかけに、政治活動・政治運動に参加し、多くを「政治」に費やしてきた。実際その中で色々な人と出会い、色々なことを学んだ。しかし一方で日本における「政治」の限界を実感するようになっていった。

野党は見事に解体され、与党の権力はさらに拡大を続ける。しかもその中で一部の野党は、与党と馴れ合い政治を行なっており、右から左まで、ある種の大政翼賛会的な体制が出来上がっているといっても過言ではない。

そのような中で、日本においては政治=国会 といったイメージが強い。しかし果たしてそれで良いのだろうか?国民の政治離れが進む背景には、政治が国会の中だけで行われており、国民がおいていかれいる、と思っているからではないか。

元を辿れば「政治」とは権力のためでもないし、誰かの利益を守るためでもない。「政治」とは国民1人1人が平和で安全に暮らせるために社会をよりよくしていくことである。

それを実現するためには「議会」や「政党」の力だけでは無理だろう。むしろ「議会」や「政党」ではないところから政治を変えることはできないだろうか?そう考えるようになっていった。

次回は「まちづくりにおける政治」をテーマにして、政治活動を通し、まちづくり・地域活性の団体を立ち上げようと思った理由について説明していきたい。


また、昨年2018年1月1日東京新聞「こちら特報部」で、「元高校生活動家×現代の10代」といった内容で1960年の安保闘争に参加した元高校生活動家との対談が掲載された。当時の活動家が安保闘争に活動に参加した背景や、僕が2015年安保に関わるようになったきっかけなどを詳しく掲載していただいたので、是非ご一読を。

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