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2022年は振り返らない。振り返って美談にしたくないから。

みなさま。あけましておめでとうございます。

2023年という新しい年の始まりは別府の街で仲間と過ごしておりました。今年は、仕事の兼ね合いもあり年末の親族の集まりには合流せずにのんびり過ごしておりました。

本年も何卒よろしくお願い致します。

今日伝えたいこと

結論:2022年は振り返りません。
理由①:自分には人にちゃんと伝わるような言語力を持ち合わせていない。
理由②:自分と向き合う時間が足りていないので、言葉が表面的。
理由③:1年目のペーペーが伝える言葉でも、業界のイメージになるから。

この論文のように構成は書き切った後に出てきました。
最近の自分のトレンドは、人に伝わる文章よりも自分の頭から溢れてきた文章を書き残すこと。すなわち綺麗な文章よりグチャグチャの文章。グチャグチャでいいじゃないか。下手に綺麗な文章よりも。
では。


友達や知り合いが2022年を振り返っている投稿を見て自分もリノベヤで働いた一年をちゃんと文字にして残すべきなんだろうなぁと10月頃から画策しておりましたが、いまいち手が進まない。

なんとなく、理由が後付けになっている気がして。自分の本心かと言われたら怪しかったからです。

この1年をちゃんと振り返れば、振り返ることができると思います。でも、それは、建築や大工っていう仕事を知らない人に向けた言葉しか伝えることはできず、書いているうちにただの頑張りました!っていう美談にしかならないと思ったからです。ただの美談を書くために1万文字も読みたくはないですよね。笑

美談になってしまった事の違和感。そして、それを見た人が自分たちなりの解釈をする違和感。その解釈は自分の想像の外にあり、自分の伝えた言葉が勝手に翻訳されて出力される違和感。なんていうんですかね。

綺麗事は誰にでも言えると思います。でも、その辛さや苦しさは当事者にしかわからず、「大変だね。」という言葉ですら相手と自分とを比較した時の相対的な評価の一部でしかないのです。勝手に比較されて勝手に翻訳さた言葉を感想として受け取る事が何よりも怖い。自分の言葉には一種の力があります。自分のいる建築という業界がどういうものかを第三者が知ることができる力です。

だから、偏見にまみれたこの業界に自分の言葉はその業界の中の人の言葉として理解されるんです。

別に辛くないことも書き方や相手の受け取り方次第では、「大変だね」と言われたり、当たり前のことが「すごいね」と言われたり。別に、すごくはないしそれが当たり前で数千年の間受け継がれてきたものがそこにあるんです。それを俺みたいな1年目の感想で変に受け取って欲しくない。だから、総評はしない。それだけです。

無理に、綺麗な文章じゃなくても自分の思ったことをブワー!!!って吐き出す場所としてこれからはnoteを使っていければと思うので、みなさま何卒よろしくお願い致します!!!!

ゆーさく



バイト以外でお金を稼いだことがないです。少しでも入れて頂けたら旅中に美味しいご飯が食べられます。美味しいもの食べたいなぁ