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一人になると考えること。

旅に出た。目的は、これと言ってない。

ただ、現実から逃げたかっただけかもしれない。誰も知らない街に行きたかった。自分の心踊るまま、自分の見たいものやりたい事だけをやる。自分の生命を感情を感じたかったのかもしれない。

1人になることは、自分にとっての最大のアウトプットになる。言葉を組み立てるのが苦手で自分の気持ちを伝えるのが下手くそで。そんな時には旅に出る。何十時間も運転して、自分の中の答えを探そうとする。伝えたい言葉伝えるべき言葉いろんなものを丁寧に拾う。けど、それを伝える相手はもういない。ごめんねや、こうするべきだった。全てが過去だった。そんな過去に戻れるなら伝えるべき言葉がいっぱいあると思う。路上で泣いていた君に、声をかけられなかった。なんで?って言われてもちゃんと言葉が出てこなかった。久しぶりに会ったのに、怒られる俺。ちゃんと伝えるべき気持ちはそこにあったのに。

久しぶりに会って、近況報告をする友達を見ていた。ゆーさくはどう?俺は言葉が出なかった。自分の感じたことを伝えることが出来ない。吃って、言葉が感情と一緒に溢れそうになる。頭が悪いとかいいとかではなく、自分が整理できてない事実を無理に整理したくない自分。この感覚は言語にするにはまだ早いと勝手に決めつける自分。嬉しかった事・悔しかった事・悲しかった事いっぱいあった気持ちをぐちゃぐちゃにしてスーツケースに詰め込んで無理やり蓋をする感じ。開ける余裕はなかった。というか空けたくなかった。開けかたを間違えれば自分が傷つきかねないから。そんなものを開けたくない。この話はまた今度。

見たことのない景色は、気づくきっかけをくれる。わかりやすいのはこの世界→日本の広さだ。新しい景色、新しい方言。県を跨ぐごとに変わっていくナンバープレートの県。いつも自分がちっぽけに感じる。でも、自分の車自分の荷物、自分の体を見る旅に自分がここにいる事を実感する。自分の足でここまで来て何をしているんだろう。そう考えるだけで、自分の存在を再確認する。

ちっぽけな発言だけど、現実目の前には車が止まっている。刺激は海外に比べれば少ない。けど、なぜかワクワクしている。新しい土地新しい場所。
ここまで来たんだったって。俺は俺の足でここに立っているんだって。

仕事でバタバタの夏休みだった。最後ぐらい誰かのためじゃなくて自分のために時間を使いたい。そんな思いつきで旅に出た。旅は、何も変えてくれない。考え方が変わるそんな刺激的な体験もここまでくると鬱陶しい。ただ、自分の意思で、自分の気分でここにいるという実感を感じたいんだ。誰に命令されたわけではなく、自分の存在を自分が肯定する。そんな当たり前を体感する旅。

好きな場所に泊まって好きなことして。お金はないけど、十分に満足している。節約で外食は控えてたのに、昼にサイゼリアを見かけてテンション上がってバカ喰いしたのも、天橋立まで行ってなんか違うなーって思ってUターンして次の目的地まで進んだのも。全部全部自分の選択と自分の行動の結果なんだって。俺って生きている。これでいいのかなって思いながらでも、生きてる。そんなしょーもない事で生を感じる。



バイト以外でお金を稼いだことがないです。少しでも入れて頂けたら旅中に美味しいご飯が食べられます。美味しいもの食べたいなぁ