ワイドショーはバラエティ番組なんだと気づいた

祝日の朝。

子供達は学校に行かないので、朝からテレビを見ていた。


子供たちが見ていたのは、普段の私が自分から選ぶことはないような番組。

いわゆる朝の情報番組、ワイドショーと呼ばれるテレビ番組。

いつだったかワイドショーのコメンテーターに同調して怒っている人の話を書いたような気がするけど、まさにその番組で、そのコメンテーターが出演していました。


ちょっと興味本位で見ていたのだけど、なんとも気分を害する内容でした。

なぜ「朝の情報番組」の多くは、「怒りを誘うような発言をしている人の映像」を集めて2割増しくらいに盛って放送するのだろう?

もしかしたら、「恐怖や怒りの感情」を共有したくて作成しているのかもしれないけど、私が見ると怒りしかない。でも、その怒りは番組制作の方向に向かう。

「なぜ、ちゃんと調べない?」
「なぜ、一方向からの発信のみにする?」
「なぜ、議論せずに時間で区切る?」
「なぜ、素人の意見を重大な発言のように扱う?」

最初は驚きとがっかりした気持ちだったけど、徐々に怒りが湧いてきた。

祝日の朝から気分を害するのは本当に嫌なので、子供にいってテレビを消してもらった。


以前話したことのある人も怒っていたけど、あの怒りは私のとは違う種類の怒りだ。

あの方は「内容に共感して、コメンテーターの怒りに同調して」怒っていました。

会話の中でハッキリそういっていました。


それに対して、私の場合は「番組構成」への怒り。

視聴者にどんなメッセージを届けたかったのだろう??

怒り?

その怒りはどこに向けた怒り?何に対しての怒り?


目的のよくわからない「情報番組」を私は見るのをやめましたけど、ああいうのを喜んで、真剣に見ている人もいる。

その情報を鵜呑みにしている。

頭を使わずに。


世の中は楽な方楽な方へ向かおうとしていますよね。

技術革新とか商品開発、サービス開発の類いは、「人がいかに楽をするか」の方向で発展してきました。


最初は肉体的なことでしたね。

機関車、電車、自動車、飛行機、新幹線、工場のロボット、エレベーターとか。

運動(移動)を楽に効率よくできるように発展しました。

その結果、人の体力は落ちましたね。


コンピューター、AIとかのおかげで計算や記憶の面で楽ができるようになったら、人の知性?思考力?頭脳?が落ちていっている気がするのです。

考えないように考えないように、時代は進んでいるように感じてしまうんです。

これは何かしらのデータを見つけたわけではなく、個人の感覚なので根拠はないのですけど。


「ちょっと考えたらわかるでしょ?」
「どうしてそんなことするの?」
みたいな内容の出来事をニュースで知ったりすると、人は考えなくなったのだなあ、と感じるわけです。

なぜ考えなくなったのか、自分なりに考察していたらたどり着いたのが、技術革新だったわけです。


人が考えなくなってきているから、テレビとか雑誌とか「見てもらうコンテンツ」は、「考えないでも良いようなコンテンツ」に変化していったのだと思います。

考えないで、感情にダイレクトに訴えかけるモノに変化したのだろう、と。

それは情報番組ではないですね。エンターテイメントに近づきますし、フィクションに近づきます。

朝の情報番組は、ワイドショーは、バラエティ番組ですね。。


日頃、人を笑わせる仕事をしている人がコメンテーターみたいなポジションでテレビに呼ばれるようになった理由はそういう部分もあるのでしょう。(制作費による部分もあるでしょうけど)

その考え方に従えば「全力 脱力タイムズ」のような番組が「情報番組」と呼べるのかもしれません。あの番組は好きです。(バラエティ番組の枠)


人はどんな情報に触れているか、どんな知識に触れているか、で変わってきます。

人は情報の集合体みたいなモノですから。

情報は選びましょうね。

自分が目にしている情報によって自分が作られていると自覚できた瞬間に、情報を選べるようになると思います。

欲しい情報を自分で選びましょう。

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