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【7】翼を手に入れる(前)

 先天性心疾患の娘が普通免許を取ったという話。

 2019年秋、体調不良と学力不足のため、彼女は浪人生活と大学受験を断念した。私の見通しが甘かったせいで、彼女の挑戦を途中でやめさせることになった。すごく後悔している。

 どんなことでも「最後までやり通した」という達成感は、次に進む力になる。だが道半ばで挫折した記憶はそう簡単に忘れられないし、ことあるごとに進む足を鈍らせる。
 年齢を重ねた私は、時間が経てば「あの時のつまずきにも意味があった」と思えるようになると知っているけれど、若い彼女には、この撤退のダメージは大きかったようだ。
 その挫折感をリカバリーしたくて勧めたのが、普通免許を取ることだった。

 先天性心疾患に由来する心不全と肺高血圧のため、娘は18歳で初めて24時間在宅酸素となった。外出の時は常にボンベを引っ張って歩くことになり、公共交通機関での移動がかなり不自由になった。
 側弯症で背骨が曲がっていることと呼吸機能が落ちているせいで、長い距離を続けて歩けずたびたび立ち止まって休憩する。しかしバスの停留所や電車・地下鉄の駅はたどり着くまで歩かねばならないし、階段の上り下りもある。エレベーターが行きたい出入口の近くに設置されているとは限らない。バリアフリーは整備されてきているけれど、すべての人に都合よくというわけにはいかないのだ。
 だからいちばん移動しやすいのは、door-to-doorの車だった。いつも誰かの車に乗せてもらうか、タクシーを使うのが定番で、申し訳なさそうに送迎してもらっている彼女を見るのは切なかった。

 残念なことに母親である私は、一応免許は持っているが全く運転に向いていない。なにせ自動車保険が有効になった20分後に車を立木に激突させた女だ。それでもかつて練習したことはある。しかし教官役の夫に「もういい(俺の愛車が壊される)」とさじを投げられた。もはや資質の問題。世の交通安全のため、私はエンジンのついたものは生涯動かすまいと固く心に誓った。
 しかし、夫は運転がうまいし好きだ。この人と遺伝子を足して2で割った娘たちなら、運転はそこそこできるのではないだろうか。あわよくば夫の適性が割合多めにきてくれるかもしれない。たぶん私が運転が上手くなるより、娘たちが運転できるようになる方が早いし安全だ。そう思って画策した結果、上の2人は首尾よく免許を取り、同居している二女は休みの日、よく妹の運転手を務めてくれていた。
 ならば、この末っ子も運転、いけるのではないだろうか。普通免許取得はゴール地点としても比較的近く、難易度もあまり高くない(個人差はある。わたしには限りなく遠い)。なにより免許と自分の車があれば、他の人の世話にならず自分の裁量で、気兼ねなく外出できるようになるだろう。やってみる価値はある。

「免許、取んない? 車運転できるようになれば、好きな時に出かけられるよ。体力とかたぶんあんまり関係ないし」
「そうなの? そうなんだ……うん、いいかもしんない。やる」

 話は決まった。まず彼女の体のことをよく知る主治医の先生に相談した。すると意外にあっさりOKが出た。医師の意見書が必要になるということだったので、さっそく書いてもらうようお願いした。
 しかしそれを受け取る直前(2019年末)に、肺高血圧と呼吸機能が悪化して入院となった。年末年始を病院で過ごし、ようやく体調と折り合いがついて退院できたのが2020年1月の後半。その時に頼んでいた意見書をいただいた。

 さっそく私たちはそれを持って免許センターに向かった。聞きたいことがたくさんあった。

★酸素ボンベは危険物扱い?
★運転者本人の携帯物なのだが、運転するにあたり許可が必要?
★ボンベを載せての運転に、特別な教習が必要?
★だとしたらその教習課程のある自動車学校は近くにあるか? 

 などなど。
 広い免許センターの中をあちこち探して、ようやく話を聞ける部署にたどり着いた。係の方はやや食い気味に話す私たちに「まぁまぁ」という感じで説明をしてくれた。

 主治医がこの免許取得を許可しているかということについては持参した意見書でこと足りた。気になっていた酸素ボンベの携帯については特に問題はないし、特別な許可も教習なども必要がないということだった。先方が気にしているのはどちらかというと、娘が突然意識を失ったり発作を起こして倒れたりということがないかどうかということだった(たしかに運転中にそんなことになれば即、事故に繋がる)。今までその類いの症状を起こしたことはないと応えた。
「はい、じゃあ今のお話をもって普通免許取得についてこちらが説明を聞いてOKを出したということにします。のちほど郵便でその旨を証明する書類をお送りしますので、それを持参して自動車学校で入学の手続きをしてくださいね」
 確認しようと来たはずが、あっという間に手続きが済んでしまった。……まぁいいか。書類が届いたら、さっそく自動車学校探しを始めよう。やる気満々だった。

 しかしそのすぐあと、世の中に大変な病気が出現した。基礎疾患持ちで肺も人より弱い彼女は、かかったら致命的だ。自粛の巣篭もり生活が始まった。
 この騒ぎが落ち着いたら……と言い続けているうちに2020年は過ぎていった。患者の数は増えたり減ったりで、繰り返される非常事態宣言。もうこれは、鎮静化することはあってもなくなることはないだろうな。私は娘に切り出した。
「そろそろ免許、取りにいかない? たぶんこれ、完全に収まるってことはないかもしれん」
「おかあさんもそう思ったか。そうだね、いきましょうか」
 意見の一致をみた私たちは、予定より1年遅れで免許取得ミッションを再開した。目標は『春に入学、夏が始まる前に卒業』

 さて、どこの自動車学校にしようか。
 退院してからずっと外出は常に誰かが同行していた娘にとっては、久しぶりのひとりでの外出になる。前の年に予備校に通うだけで体調を崩したので、出してやる方も心配ではある。自宅から徒歩圏内に自動車学校があったが、徒歩では行き帰りだけで疲れてしまうので却下となった。
 かねてから目をつけていたところがあった。勧誘のハガキにある「自宅の近くに送迎バスの停留所がなかったら、作ります!」といううたい文句が非常に魅力的。できるだけ家の近くまで迎えに来てくれるところがよかった。

 ところが今年から診ていただいている主治医(意見書を書いてくれた先生とは別の先生)に「自動車学校始めようと思って……」と話したところ、心疾患の人を受け入れてくれる自動車学校は探すのが大変らしいと聞かされた。なんと! やはりハードル高いのか。これは早めに動かないと、春からのスタート(予定)が遅れてしまうかもしれない。そこで2021年が明けてすぐ、くだんの自動車学校にメールで問い合わせた。

『心疾患もちでボンベ携帯の身ですが、免許センターでの説明は(1年も前に)終わっており、免許取得の許可もいただいております。必要なら医師の診断書も手配します。自宅の近くに送迎者の停留所を作っていただけるという点に心惹かれました。貴校に入学させていただけないでしょうか?』

 すぐにていねいな返信をいただいた。入学については特に問題はないとのこと。ただ先方が懸念していたのは、「もし受講中に娘さんの容体が急変して医療的な措置が必要になった場合、それを施せる看護師もしくは保健師の資格のある者が校内にいない」ということだった。
 なるほど、これが医者の言っていた「探すのが大変」な理由だったか! 腑に落ちた。すぐに折り返し連絡した。

 『娘は意識を失うような発作を起こしたことは今までなく、主治医もその点は大丈夫だとおっしゃっています。ご心配はあるかと思いますが、受け入れていただけるとありがたいです』

 そういうことであれば、と先方は快く入学を承諾してくださった。こうして2021年4月、世間の春休みが終わった頃、娘の自動車学校通いはようやく始まったのだった。 ≪続≫

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