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【7】翼を手に入れる(後)

 先天性心疾患の娘が自動車免許を取った話の続きです。自動車学校入学までの話はこちら ↓ 。

 上の子たちに免許を取らせているときに、昨今の自動車学校のシステムが私が通った頃とだいぶ違うと知った。何よりうらやましかったのは、

・お金を払うのは最初に入学するときだけ
・追加料金は各段階での修了検定に1度で合格できなかった時の再受験料だけ

これ。昔は教習が既定の時間数を超過した分だけ追加料金がかかった。私はひとの倍ぐらい乗ったから、かなり持ち出しになった。

 哀しい思い出はさておき。

 娘の自動車学校は生徒1名につき教官1名が専属で卒業まで面倒を見ることになっていた(チェンジあり)。教官はもちろん複数の生徒を担当している。しかし彼女の体調では、早朝・夜間の受講も学校でのキャンセル待機も難しい。通える時間が限られる。
 さらに私たちは、夏休みの混雑にかからないよう、できるだけ短期間で教習を終えたいと考えていた。そこで、事前に提案していただいた『VIPコース(追加料金有)』を利用することにした。このプランだと教官は固定ではなくなるが、受講のスケジュールを専任の事務の方に組んでいただける。送迎も学校の小型車を使ってdoor-to-doorにしていただけることになった。これで教習以外には極力エネルギーを使わず通える。ありがたいことだった。

 こうして全面的に協力していただき、いよいよ自動車学校通いが始まった。4月のはじめのことだった。

 月曜日が休校日、火曜日が訪問リハビリの日なので、最初はそれ以外の水曜~日曜の週5日、1日最高3コマ受講でスケジュールを組んでいただいた。娘にとっては1年半ぶりの【登校】である。はからずしも世情のおかげで静養は十分だが、ずっと外に出ない生活だったのでとにかく心配だった。ちゃんと学校の方とコミュニケーション取れる? 実際運転してみてどう? 教習車、ぶつけないだろうか、等々。
 彼女は思いのほか順調にスケジュールをこなしていった。昼食の時間が若干ずれ、服薬のタイミングに試行錯誤していたが、徐々に自力で調整した。週5日、1日3コマはキツくて体調を崩したこともあったが、「休む? 連絡してあげようか?」と言ったら「自分でできるから」と制された。そして自分で交渉して週4日、1日2コマにスケジュールを組み替えてもらっていた。世間の20歳女子と比べるといささか頼りないが、ちゃんとひとりでなんとかできている。
「……あれ、私もしかして過保護?」
 初めてそう思った。ここ何年もずっと付き添ってばかりだったからかな。少し反省。でも少し安心した。

 あまり動かしていなかった腕や肩で緊張しながらハンドルを回すので、必然的にバリバリの肩こりが発生。リハビリの先生は毎週「自動車学校どう? あ〜肩こってるね~」と言いながらマッサージしてくれた。月イチの往診の先生も、挨拶が「どうですかぁ? 進んでる?」になった。家族のほかにも見守ってくれる人がいたのは励みになった。

 クランクに手こずったが、何とか仮免の検定までこぎつけた。試験は学科と実技。しかしここで思わぬ弱点が露呈した。彼女は「試験に慣れて」いなかったのである。
 学校の待合室には学科の練習問題ができるパソコンがあり、これで一定以上の点数を取れたら受験OKとなる。しかし娘はこの時点で、学科は合格したと思い込んだ。「んなわけあるかぁ?」と思ったのだが、「絶対そうだ」と力説するので「いまどきは効率的になってるのかねぇ」と信用した。
 しかし検定の2日前に「やっぱ学科試験あったわ」ときた。……だよねぇ! 「絶対そうだ」の後ろには(と思う)が隠れていたのだ。慌てて勉強再開するも既に遅く、1回目の仮免は学科で落ちた。運転の方は合格したのに! どっちかというと逆の結果を予想してたぞ! ほんと詰めが甘い。検定料を払って、学科だけ再受験、合格したけど、「もったいなかったねぇ」ってどの口で言うてるの?
 でもしかたない気もする。中学の時は度重なる入院と手術で体調は最悪、普通高校に通うのは無理と判断して通信課程の高校を選んだ。試験はあったが作文と面接のみ。大学受験は2次試験まで受験するだけで精一杯で、模試の勉強とか直前の追い込みは二の次だった。再挑戦は半ばで挫折。試験勉強を経験する機会がなかった。だから「今後は注意するように」でこの一件は終わりにした。

 路上教習が始まった。一般道にはバスもタクシーも、怖い割り込みをしてくる車もたくさん走っている。母はこの課程で規定の倍の時間乗った。長女は街なかの交差点のど真ん中でエンストしたらしい(マニュアルだった)。さて末っ子はどうか。初日、ドキドキしながら聞いてみた。
「どこらへん走ったの?」
「○○あたり。でかい家がいっぱいあった。先生が『ここら辺は医者・弁護士エリアだ』って言ってた」
 ……なんと。初の路上で先生と会話するほどの余裕があったとは。
「怖くなかった?」
「いや、楽しかったよ」
 免許取ろうよと勧めてはみたものの、実は運転がストレスになってないか心配だった。しかし、末っ子は夫寄りの属性だった。運転が苦にならない、むしろ楽しんでる。……ッシャア! 心の中でガッツポーズ。また少し安心した。

 結局、彼女は規定の時間数より1~2時間オーバーした程度で路上教習のハンコをコンプリート。高速教習も難なくこなし(姉に「怖いぞ~」と散々脅されたが、「全然怖くなかった」らしい)卒検も一発合格で、7月の中旬、予定通り夏休みの前に卒業できた。まじめに通ったので、娘3人のなかで最短での卒業だった。

 そして8月11日、免許センターに出陣。帰省していた長女が送迎。しかし帰宅した私への第一声は「落ちました!」だった。えぇ……また?
 まさかの3点不足。なんで? 今回は学校のアプリで事前に相当勉強していたはずでは? 複雑な顔の私に委細構わず、本人は「明日も行く!」と宣言。送迎についても姉と話はついているという。落ち込んではおらず、臨む姿勢はむしろ積極的である。まあそれは良いんだが……。
 そして本日の敗因の言い訳。試験会場に入っていちばん最初に「スマホはしまって」と宣言され、直前の見直しができなかったそうだ。「やっぱり教本は持っていくべきなの?」と聞かれた。いや持ってってなかったの? 普通持ってくよ、そんで直前までパラパラ見るんだよ、最後に見たページの問題が出るかもしんないじゃん!
 あー、ほんっとに試験慣れしていない。今後の人生が心配になるほどの受験シロウトである。ちょっと注意喚起し直さなくてはいけないかも――そう感じた夏の夜だった。次の日は無事合格し、めでたくグリーンの免許証を手にした。長女よ、2日間も早起きして付き合ってくれてありがとな。


 今回の自動車学校通学で娘を久しぶりに【社会】に出してみて、いろいろ気づくことがあった。例えば、酸素ボンベを携帯しながらの社会参加は、受け入れる側の懸念と本人(家族)の心配ごとにギャップがある。向こうさんはまず「突然発作とか起こしたらどう対処する?」と心配しておられたが、こちらは「酸素ボンベ持って車運転して大丈夫?」というのが一番の心配だった。当然だ。家族は毎日一緒にいて見ているから病状もできることもわかる。でも受け入れる側にとっては予備知識もないから、「心臓病のひと」という漠然としたイメージで想像するしかない。そうなるとやはり「何かあったら」というリスクを最初に考えてしまうし、受け入れにも消極的になるだろう。
 でも丁寧に説明すれば、意外とハードルは下がる。病状や適性の個人差はあるが、そこを見誤らないで準備をすれば、けっこう受け入れてもらえるのだ。そして娘のケースが、次に同じような方が入学したときに、経験値として役立つかもしれない。そうなってくれるといいな。

 そういえば免許が取れたと報告したら、訪問リハビリの看護師さんが
「よかったね! 初めて会った時、目標は免許を取ることって言ってたもんね。目標達成だ!」
と言ってくださった。1年前の初顔合わせの時に話したことがカルテに残っていたのだ。
 世の中は相変わらず先の見えない状態だが、そんな中でも娘は、1年前は漠然とした希望でしかなかったことを現実にした。ゆっくりだけど、ちゃんと前へ進んだのだ。

 そして娘自身にも気持ちの変化があったように思う。

 今年の1月、彼女は成人式だった。例年、この機会に中学校の同窓会の話が持ち上がる。昨年の秋、その準備のために友達から連絡がきた。一応返事は返したけれど、同窓会には行かないと言う。
「酸素のチューブしてみんなに会いたくない」
 中学の時はしてなかったからね。それ以上は勧めなかった。同窓会も世情のせいでお流れになった。
 しかし最近、彼女はこんなことを言い出した。
「同窓会さぁ、会いたくない男子がいるんだよね」
「……会いたいひともいるの?」
「まあ女子には、何人かは」
「じゃあ、行けばいいじゃん。会いたくない人には近づかなきゃいいのよ」
「そうか」
「でも去年は酸素してるからやだって……」
「ああ、それはもういい。慣れた」
 去年の今頃は、外出のたびに「めっちゃ見られた」とボヤいていた。自動車学校に行って、たくさんの人の中に入って、意外とひとは自分の見た目を気にしてないと気づいたのだろう。彼女はようやく、酸素をつけなければならない自分を少しだけ受け入れることができたのではないだろうか。
 もちろん、たくさんの方に気遣っていただいたり手伝っていただいたりして、そのありがたさも実感した。だからできることはやるし、会いたい人には会いに行こうと思えるようになったのだろう。運転ができるようになったことが、そんな彼女の背中を少し、押してくれたのではないかと思う。直接聞いたわけではないけれど。


 運転免許証は、保険証や医療費受給者証という、「病気とセットになっている」ものしか持っていなかった娘が初めて手にした、自分だけの身分証明だ。たくさんの人が当たり前のようにとっているものだけど、私は、生まれた時からずっと手を繋いで走ってきた彼女が、それを手にしたことでほんの少しだけ私より前に立ち、背中が見えるようになった――そんな気がして、とても嬉しくて、感慨深い。手を繋がなくても大丈夫な、小さいけれど大きな1歩だ。
 免許を取ったからと言って娘の生活が劇的に変化したかというと、全然そんなことはない。起きている時間のうち1/3ぐらいは自室のベッドに横になっているし、季節の変わり目の寒暖差にやられて調子が悪い日もある。一定の時間勤務することが可能かどうかと問われると口ごもってしまう。まだまだ独り立ちへの道のりは遠い。
 それでもいつかは。焦らず、できることをゆっくり探していこう。時間をかければ、きっと良いご縁が見つかる、そう信じたい。

 自動車保険の変更が済んだので、娘も家の車を運転できるようになった。さっそく夫が教官役を頼まれ嬉々として承諾し、彼女は2ヶ月ぶりに運転の練習を再開した。無事に1回目の運転練習を終え、帰ってきた夫はゴキゲンで「ほかの二人より筋がいい」などと褒めている。娘も「だいぶ思い出したわ」と笑顔である。帰りにアイスを驕ってもらったらしい。甘々じゃん。まあ、私には担当できない仕事なので、よろしくお願いするしかない(しかしマウント獲ってくるのはちょっとムカつくかも)。せいぜいしっかり鍛えてもらおう。そして誕生日が来て21歳になったら、車を探しに行こう。軍資金はきっちり準備してある、任しとけ。

 もうすぐ、彼女は翼を手に入れる。
 ちょっとした日帰りの遠出ならできるくらいの翼。
 もしかしたら新しいステージへ連れて行ってくれるかもしれない。
 何があるかわからない未来だけど、
 ゆっくり、少しずつ、飛んでゆけ。

 


 

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