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【私の音語り】100万ドルのギタリスト

夏が来ました。
そろそろ各地で夏フェスが盛んに開催されるシーズンとなりました。
日本では「FUJI ROCK FESTIVAL」や「SUMMER SONIC」を始め、全国あちこちで野外フェスが始まります。
その草分け的なイベントとしては、1969年の夏に開催されたWoodstock festival でしょう。
このイベントに出演したことで、ジミヘンやジャニスは永遠に記憶に残るアーティストになったと感じます。

そして、このWoodstock festivalにも出演していたアーティストであり「100万ドルのギタリスト」と呼ばれたJohnny Winterの命日が巡ってまいります。

私がJohnny Winterを知ったのは、とあるイベントで東京の知人の家を訪ねた時です。
彼女は若い頃、ロック喫茶通いをしていて、その当時付き合っていた人から洋楽ROCKの洗礼をうけていたのですね。
ツェッペリンやパープルを始めとした70年代のレコードを多く所持されていて、いくつかカセットテープに録音していただきました。
その中にJohnny Winterの曲が入っていたのです。

白人でありながら、アメリカ南部の泥臭いブルースを奏でるギター。
ギブソン・ファイヤーバードが彼のシンボルであり、まさにギターが歌っているといった感じ。弦を操っている姿がなんとも神々しいのです。

1990年に初来日が発表された時、嬉々としてチケットをGET。
大阪はサンケイホール(現:プリーぜプラザホール)で公演でした。
その年の1月には弟のエドガーの来日公演が開催されたので「これは間違いなく来る」と思ったものです。
しかし、直前の公演キャンセル・・・。
友人と取ったチケットを払い戻す前に、記念のコピーを取って、両面貼り合わせて大事にしまってあります。

その後2011年にまさかの初来日が実現するなんて;;しかも翌年も続けて来日。しかも初日大阪公演だったとは・・・。
今思うと行っとけばよかったと激しく後悔しております。

そして2014年の7月、ツアー中に突然の訃報;;
その一報がショックでしたし、でも心のどこかでやはり・・・と思う自分がいました。

神がかりなギタープレイの反面、Johnny Winter自身はアルビノとして生まれ、身体的には目や足が不自由で、晩年にはギターを持ち上げることも難しく、車椅子でステージに立っていました。


私はキャリアコンサルタントとして、色々な方のキャリア支援に関わることがあります。そこで大切にしているのは、その人の個性や、強みや、自分のスキルを磨くこと。Johnny Winterは、その人だけが持つ情熱があれば、ハンデなんて軽々と超えていくんだということを教えてくれたアーティストでした。

それではアリゲーターレーベル時代のプレイを2つお届けします。


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