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誰の眼にも隠されていないが誰の眼にも触れない #001 yoko Hatano

いつもお世話になっております。榎本です。
写真プロジェクトを始めたものの、いつもいろんな事を迷ったり
選んだ事を後悔したり、躊躇したりして生きてるわけですよ。人間だもの。
写真は後で作品にして纏めて発表しようと思ってましたが、発表できるのがいつになるかわからないので先に記録として記事にすることにしました。
ここに写真を載せることにします(もちろん掲載許可をとってあります)

最初に連絡をくれた人

buzzfeedの取材記事(籏智記者)が2023年1月9日にリリースされた後に
たくさんの人が読んでくれました。(現在buzzfeedのニュース部門は閉鎖になっておりますが、記事のアーカイブはまだ残る模様)

その中で連絡をくれた方がいました。波多野暁生さんでした。

 波多野さんは一人娘のお嬢さんを交通事故(事件)で亡くしています。
青信号の横断歩道をお嬢さんと一緒に横断中に、赤信号を無視した暴走車により、お嬢さんは自分のすぐ横で亡くなりました。そして、ご自身もかなりの重傷を負いました。自分の子供を亡くしている私でさえ、想像を絶する体験をされたと思います。

 彼はbuzzfeedの記事を見てご連絡してくれたのですが、実は被害者支援都民センター が被害者支援の為に行なっている、「行動認知療法(カウンセリング)」を受けておりました。その担当医が飛鳥井望先生なのですが、実は私も同じ被害者支援都民センターで同じ「行動認知療法」を飛鳥井先生から受けておりました。以前、先生がNHKのTV取材の番組で「行動認知療法(喪失からの回復について」のテーマ時に実例としてその時に記録映像を残してあったのですがそれを使用してもらいました。(もちろん私の許可済みです)この療法を受けるときに説明がわりにこの番組をざっと見てもらうみたいですが、それを波多野さんは見ていたので私に興味を持ったのだと思います。

 しかし、ご連絡をいただいてからも私もいろんな事があり、また写真を撮ることで、話す事で、相手にフラッシュバックをさせる事にならないか?
本当にこの写真プロジェクトを実行する事が正しいのか?など自分の中で色々と考えることがあり、その為に思考停止していたりと、かなり時間がかかってしまいました。しかし、やっととりあえず このままだとダメだ
「動いてみないとわからない」と考えて
最初の一人目にお会いする事が出来ました。

写真を撮ってもいいですよ

ご自宅の近くの駅まで早めにつきました。ニュース記事を読んでいたので、事故現場が自宅と近いのを知ってたので先に見てました。(我が家と同じです)近くに歩道橋がありそこから事故現場を見ながら、ぼんやりとどんな話をしようかと思ってました。自宅から歩いていける場所が事故現場で、そしてそこから逃げないでそのまま暮らしている事を想像すると、自分と同じだなと思ってました。とりあえず写真は撮らないで、話を聞こうと最初はそう思ってました。

事故現場の横断歩道 誰かが亡くなっても車も人も時間のように流れていく

 少し早いのですがご連絡してみると、まだご用意ができてないという事(私が早く来すぎた)だったので時間を潰すそうと思ったのですが、奥さんの方が「話しましょう」といってくださり自宅の近くの公園で待ち合わせしました。この小さな公園では、お父さんが2歳くらいの女の子を遊んでました。なんかシュールだなと思ってその親子を見てました。奥さんとは同じ母親として一気に話が出来ました。色々な事が私と共通点がありすぎて、話すことが「わかります!」と頷く事ばかりでした。

お嬢さんのお部屋を見せていただく

アトムのポスターはお父さんの実家にあったもの。
お人形の家は主がいないのは全員彼女と一緒に送ってあげたとの事。

 お嬢さんのお部屋の中に入れてもらい、一つ一つ丁寧に見せてもらいました。どんなものが好きで、どんなに勉強を頑張っていたとか(中学受験予定だった)彼女のお母さんはとても一生懸命私に話してくれました。楽しそうに。そして着ていた洋服とか、読んでいた本とか漫画とか。
まるでお嬢さんはこれから学校から帰ってくるので、本人が帰ってくる前にお見せしないと怒られちゃう!と急いで私に伝えてくださる感じでした。
私は「うんうん」とうなづきながら聞いてました。まだ3年ですもの。わかります。うちは17年経ってますが、きっと同じように話すと思います。
同じですよ。息子ももうすぐ保育所から帰ってくるから急いで話さないと。

この部屋の持ち主の携帯

その後は、ずっと3人で話しました。お二人の話を聞くのもありましたが、気がつくと、自分も泣きながら話してました。会えないのに、この携帯の持ち主に会いたかったなとか。そして私の息子にもあってほしかったなと思ったら、泣けてきました。
「うんうんわかるわかる」
私はそれしか言ってなかったかもしれません。

「事故現場の前で写真を撮っていいですか?」

 しばらく話をした後に、もうそろそろ帰る時間になり、ふと「写真を撮ってもいいですか?」と聞いて見ました。「私はいいですよ」と暁生さんが答えてくれたので、
図々しくも「あの横断歩道のところではきついですか?」と
聞いて見ました。
「いいですよ」と答えが返ってきました。
「いくの辛くないですか?」と聞くと
「大丈夫ですよ」と言ってくれました。
今度は暁生さんに案内してもらって、あの横断歩道へ行きました。
歩きながらポツポツと話しました。事件があって、その後やろうとしてた事、やった事。刑事裁判、民事裁判の事。同じように、私も事件があった後に、社会を変えるためにやろうとした事、しなかった事など話しました。

事件があってから波多野さんが行政に働きかけて(かなり苦労して)
防犯カメラを設置


事故現場には小さな「名前入り」のお地蔵様

今の自分の気持ちはなんですか?

 波多野暁生さんはnoteやTwitterで自分の心や考えを書いてます。以前からそれを拝見して思ってたのですが、聞いて見ました。

「怒り」が今 自分を動かしてますか?
「悲しみ」よりも?

こう答えてくれました。

「そうですね 怒りかも」

「犯人に対して?社会や行政に対して?それ以外に?」

困ったように黙り込んでしまったのですが
こう答えてくれました。

「。。。。自分にですよ」

事故現場の前で

私はいつも思う。神様はいないと思う。

こんなに子供を愛して、真面目に生きている親子から(私も含む)
子供を奪うのはどうしてなのか?
耐えられる試練に耐えられるくらい「よくできた人間」だから
選ばれたのか?
いやそうだとしたらみんな選ばれたくなかったと思う。
違う人を選んでくださいと
何度思ったか。

みんな死に物狂いで生きてるんですよ。
その生き様を見てほしいです。
下手くそな写真で本当に申し訳ないです。

また次の人を撮ります。連絡をお待ちしてます。

But I sitll have to live. 私に死ねと?

48歳からの写真作家修行中。できるかできないかは、やってみないとわからんよ。