「考える」と「悩む」の違い


はじめに

自分の友人の何人かには話したのだけど、最近、自己肯定感がすごく上がっている。

最初に断っておきたい。これは「自己肯定感」という言葉のチョイスが悪いせいで、自分はもともとそういう性格ではない。小さなことをこだわることも多々あるし、せっかちなところは相変わらずだ。

そんな自分の発想の転換点は、堀江貴文さんのこの記事を読んだ時だったと思う。

この記事を読んで思ったことをつらつら。


人生を振り返ると、受験勉強や部活の大会前など、多くの場面で

「勝てるだろうか」「合格できるだろうか」

と考える人が多いだろう。自分もご多分に漏れずそのタイプ。だった。なぜなら、自分は「悩んで」いたから。でも、普段の勉強やインターンをしている中で感じるのは、たいていの場合「悩み」は進捗を生み出さない。大体時間を浪費して、自己正当化をして終わってしまう。

悩みがあるなら、その解決に近づくためにはどうすればよいのか「考える」ことが、最も問題解決の近道だと思う。両者の違いを高い次元で言語化した堀江さんの言葉にとても感動した。


「自己肯定感高まるわ~」の真意

「自己肯定感」という言い方をすると「尊大」とか「自意識過剰」といったように捉えられるかもしれない。でも、自己肯定感が高まっている状態って、実は自分のことをよく理解できている「いい状態」なんじゃないかと思う。自分の能力が分かっているから、能力に見合った成果が出たら素直に自分を褒められるし、成果が出なかったとしても、努力した自分を許せる。そして、次に向かって考える。ネタのようにいつも「自己肯定感」って言っているけど、実はそういう考えがあるんやで。(という言い訳)

ここまでの話を聴いて「マインドを変えていけばええんやろ」って思ったそこの君。

それは間違いじゃない。だけど、本質ではないと思う。僕が大切だと思うのは、堀江さんの本のタイトルの通り、とにかく0から1を生み出す行動だと思う。行動が伴わない「考え」、考えが伴わない行動は効果がないっていうのは、想像に難くないだろう。


まとめ

最近自己肯定感が上がった。これはおそらく、どうでもいいことに悩まなくなったからじゃないかな。何か一つでも得たいと思って生きてたら、友達と雑談している時間もすごく大切な時間にできると思う。

就職や抱えているタスクやら将来の不安。。背負っているものは人それぞれだろうけど、きっと「悩む」ことをやめたら客観的に自分を見られるし、何か前進できると思う。知らんけど。


久しぶりに文章書いた気がする。結構楽しかった笑

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