大切なのは、昔じゃなくて今じゃないかな〜
以前、同年代で車いす生活の知人が学生時代のアルバムを見せてくれたことがあります。そこには筋肉隆々で爽快な笑顔を浮かべながら優勝トロフィーを受け取る好青年(彼)がいました。
彼は学生のころに陸上競技のトップアスリートだったそうで、女性にモテモテのナイスガイだったみたいです。
それはとてもすごいことですが、当時の(アルバムを見せてくれた時点の)彼にはそんな栄光の1ミリも感じることができなかったのは僕だけではなかったはずです。
「俺の昔を知って今の俺を評価しろ!」
口にはしませんでしたが、そんな空気が彼から伝わってきていました。
彼は車いす操作もままならないほどの障害程度です。ですから昔取った杵柄をこれでもかというほど知らせて、今を評価する一手段?にしたい気持ちも少しわかります。
ただ、やはり大事なのは今どうなのかであって、昔のことだけで今を評価してくれる人もいるのかもしれませんが、大半の人には参考程度ではないでしょうか?
リアルな時間の今に輝きを感じられない人…
そこには、今に自信が持てないという面があるのかもしれません。
これはあくまで僕の推測なのですが、彼は障がいを持つことによって、自信を喪失してしまった。ですから…
「俺は障がいが抱えて何もできなくなった(障がいがあるからもう何もできない)」と思っていたのかもしれません。
障がいがあったら何もできない…本当にそうでしょうか?
五体満足な人であっても、若いころはいろんなことに挑戦することができますが、次第に選択肢が狭まってくると思います。それは心技体の衰え(老化現象)が大きな原因でしょうから、ある意味仕方がない事ででしょう。
ただ、年齢を重ねたら何もできなくなるとは思えません。
それによって選択肢が狭まるのは悲しいことではありますが、オジサンになっても若いころのように(選択肢が豊富で)あれもこれも手を出していたら、体が悲鳴を上げると思いますから、ある意味妥当なこと…
ですから、オジサンは今できることを見つけて渋々やっている(笑)
この考え方は障がいを持つことになった彼にも当てはまりそうです。
若いころ(障がいを抱える前)はスポーツマンだったけれど、年齢を重ねた今(障がいを抱える今)は、あのころのようにはいかなくなった。
そのこと自体は変えることはできない(昔には戻れない)かもですが、今できることは何かを探して挑戦すればいいだけのこと(何もかもできなくなったわけではない)
昔のようにいかなくなったのはある意味当然のこと。
今の年齢や自分に置かれた状態から、何か一つでも挑戦できることはあると思いませんか?
いかがでしたか?
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