ようこそ!2台目の車いす・・・お前の明るさに負けずに、僕もまだまだ頑張るよ!
今回は自身2台目の車いすを作成し完成を待っていたころの話です。
車いすの販売業者さんから、ようやく完成して引き渡しができると連絡があったとき、残念ながら脳腫瘍(髄芽腫)が播種したため、急遽治療が必要になり県外から帰省して実家に戻っていた僕。
(あ〜あ、ついてないな…)
2台目の車いすを作成しようとした動機は、1台目が消耗してきたからですが、どうせ作るなら真っ黒だった1台目と正反対の明るいカラーにしようと決めました。
今は亡き実家は、20段くらいの階段を上ったところに玄関ドアがありました。当時すでに車いすマンだった僕は、誰かがいなければ上り下りは不可能でしたし、いても体力的に考えたら日に何度もというわけにはいかない状況…
(まったく、播種はもちろんだけど自由に外出できないのも地獄やわ~)
そんなことを思いながらテレビを見ていたある日…
ドタドタドタドタ…(階段を激しく駆け上がる音)
(ピンポーン!)
「辛島く~ん!(車いす)持ってきたで~!」
(な…なんだ?)
玄関に行くと、注文していた車いすを抱えて階段を上ってきてくれた車いす販売業者さん!
「え〜それ(車いす)担いできたんですか〜?」
「そうで〜」
「え~大変だったでしょ?ありがとうございます」
完成した2台目の車いすは、カタログよりも蛍光色が際立って見えました。
(こんなの…派手すぎで乗れるのかな…)
そんな思いを巡らせていると、業者さんはこのようなことを言われます。
「辛島君、以前ドラマで車いすのヒロインがいたやろ?あれくらいから明るいデザインがウケるようになっていて、今はこれくらい派手なのが多いよ」
「そ、そうなんですか…」
(カタログ通りの色合いじゃないかもだけど、これに乗ってまた活発に動いていけば、それ自体が起爆剤となって、真正面から今と向き合っていけるのかもしれないけど…やっぱり乗る自信が…)
そう思いながら、無言で考え込む僕に対して、業者さんがこんな熱いエールをくれたんです!
「辛島君、この明るい車いすのように、もう一度明るく前向きに頑張ってよ!まだまだ辛島君はこれからなんだから!」
…
(そ、そうだ!僕はまだ…終わっちゃいない!)
その後、治療を受け終えた僕は、再び県外の学校を受験し入校します。
そのおかげもあって、オジサンになった今の僕がいます。
あのとき…2台目のド派手な車いすと業者さんの一言がなかったら、どうなっていたのでしょうか…
2台目の車いすへ…
「お前の蛍光色のフレームとか黄色いタイヤは、当時の僕には派手すぎじゃないかってびびったもんだけど、ショックで塞ぎ込んでいた僕を奮い立たせてくれるには十分やった!今があるのはお前のおかげでもあるよ!」
業者さんにも…
「あの時の一言がなかったら、ヨワヨワマンの僕には立ち直ることができなかったかもしれません。本当にありがとうございました!」
あ~僕は幸せだな~
いかがでしたか?
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できましたら、これからもたくさん手紙を送りますので、どうか目を通してほしいです。
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