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自己紹介します!

は、辛島 裕樹(からしま ひろき)と言います。

noteでは、「ヨワヨワマン辛島」

現在は、車いすに乗って生活しています。

どうか、これからもよろしくお願いします!


簡単な自己紹介

蚤の心臓でいつもオドオド・自分に自信がなく自己決定がなかなかできない・気にしすぎ、考えすぎで失敗を繰り返す…

そんな年齢だけは立派なオジサンです。

なので、「ヨワヨワマン

ただ、そんな情けない僕も、体を壊してからの目標であった「単身生活をしながら車を運転して仕事をすること(僕の考える自利した生活)」を、車いすに乗ってすべてこなしているのは間違いないですから、その腕前はプロ級と言っても良いですよね?

ですから、ヨワヨワマンでありながら、プロ車いすマン」なのかもな~とも思っています。

noteを始めようと思った理由と、書いてみたいこと

そんな今の僕が、自分の目標に向かって元気で健康であり続けることが、支えてくれた人に対する恩返しになるのかもしれませんが…

体を壊してから出会えた尊敬する人たちのこと体験したこと考えるようになったことそれまでとは変わったことなどを多くの人に紹介することで、誰かの力になれたらいいなと思うようになったのが大きいです。

無茶はしませんが、少しでもみなさんにプラスになるようなことを全身全霊で書いていきたいです。

※note開始は2023年12月です

僕の記事は、こんな人におすすめします!

僕からのアウトプットなので…

そんな人には、プラスになることがあるかも?

ページ内の紹介

・「出会いに感謝!」というマガジンには、
体を壊してからの出会えた人についての思い出を綴った記事をまとめています。

・「どうかな?」というマガジンには、
体を壊してから体験したこと・考えるようになったこと・気を付けるようになったことなどを紹介する記事をまとめています。

・「わたくしごと」というマガジンには、
これまで患った病気の備忘録?体験記?を紹介する記事をまとめています。

・「車いす」というマガジンには、
僕が車いすで生活する日々を紹介している記事や、車いすについて紹介している記事をまとめています。

・「自家用車」というマガジンには、
障がいのある人が運転できる車について紹介している記事や、運転が苦手な僕の珍道中を紹介している記事をまとめています。

・「障害者スポーツ」というマガジンには、
障がいのある人が行っているスポーツを紹介する記事をまとめています。※ただし、僕が学んだ知識を元に記事を書いているため、情報が5〜10年昔です。障害者スポーツは日進月歩ですから、「あれっ何か違う?」と感じる情報があるかもしれませんので、その点はご了承ください…

・「指導員」というマガジンには、僕が取得した障害者スポーツ指導員に関係する記事を集めています。※ただし、体調が優れなくなってからは活動を自粛しているため、ここで紹介していることは活動していた当時の記憶を頼りに作成しています。そのため、日進月歩の障害者スポーツの今の情報と異なる点がある可能性があって、「あれっ何か違う?」と感じる情報があるかもしれませんので、その点はご了承ください…

共感してもらえる記事が一つでもあれば光栄です!

僕が書く記事を読んでいただける、すべての人へ

これから、たくさん記事を書いていきます。
それらが、何らかの形で、みなさんのプラスになったら…
スキを押してもらったっり、コメントを書いてくれると励みになります。

また、フォローも大歓迎です!

頑張って書きますよ~
頑張って書きますよ~

病歴


少し長いですので、僕のことを今すぐに詳しく知りたいという方以外は、お時間があるときにでも目を通していただければうれしく思います。

それでは…五体満足で高校2年生まで行けてたので、そこからの病歴を書いてみますね!


①1995年  (平成7年) 18歳のとき

・高校3年のころです。時々なんですが、後頭部を時々トンカチで殴られているような激痛がするようになって、病院を受診して調べてもらったら、頭蓋内(脳)に腫瘍があることが判明して、開頭による腫瘍摘出手術を受けました。(腫瘍の種類は悪性度が高い髄芽腫:ずいがしゅ)

そのおかげで一命を取り留めることができましたが、左半身が麻痺し一時的に声を出すことができなくなってしまいます。状態が少し落ち着いてから、放射線治療と抗癌剤を体の中に入れる治療が始まります。(抗癌剤は、ACNUという薬だったと思います)

・放射線治療中に、「脱毛」「嘔吐」「食欲不振」の各症状が出てきます。おそらく、これらは放射線障害だと思います。

※2~3か月後に、治療が一段落して声も出るようになって左半身麻痺も改善して歩行ができる状態になったので退院。大学へ進学しました!


②1996年 (平成8年) 19歳のとき

・大学生活を初めて1か月も経過していないころ、段々と「聞こえづらさ・排尿障害・歩行障害」が出てきました。(感音難聴・神経因性膀脱・放射線障害?)そこで、大型連休中に帰省し病院を受診します。

検査の結果、血行障害?が判明。命の危険もあるらしいので、残念ながら大学は中退して治療に専念することに…

インターフェロンという薬を体内へ入れたり、高気圧酸素という日焼け装置みたいなBOXに入る治療を受けたり、大量化学療法という血液成分が低下する治療?のため無菌状態の部屋に閉じ込めらたおかげで再び一命を取り留めることができた僕は、翌年1月ごろに何とか退院にこぎつけることができます。ただし…これまでに書いた3つの症状は改善せずに残存していました。

・この頃から右側の顔面神経麻痺が出てきていました。(額を縦に半分にしたときの右側にシワが出なくなったり、右側の目元が時々ピクピクと動いたり…)

それが手術の影響なのか、術後に受けた治療が影響しているのか、僕にはいまだにわからない謎です…

※その後は、「確実・安全な歩行ができるようになるため」専門病院で訓練を積んだのですが、残念ながら車いすでの生活を勧められてしまいます。そこで、(かなリショックではありましたが)日標を修正し「車いす生活で社会参加するため(単身生活をしながら仕事をして車を運転する)」の訓練を専門施設で受けることを決心します。その一環で、自動車の運転免許取得に挑戦し、なんとか手だけで全ての運転ができる免許証を手に入れました!
3~4年という長い時間がかかりましたが、車いす生活で自立可能なレベルとなり施設を退所した僕は、障がいのある人が通うことができる専門学校へ入学しました。


③1997年 (平成9年) 20歳のころから


・主に下半身がタコみたいにクネクネ?したり、意図しない動きをするようになります。(拘縮:こうしゅく)


④2000年 (平成12年) 23歳のとき

・専門学校の夏季休暇中に帰省し定期検査を受けたところ、脳腫瘍が再発したことが判明したため急遽入院。患部に一極集中たくさんの放射線を照射できるガンマナイフという治療を受けました。 

えっと…厳密に言えば再発でなくて、播種(はしゅ)と言って、髄芽腫という種類の腫瘍が頭の中の水を泳いで別の場所で大きくなった状態です。

※残念ながら専門学校が1年制だったこともあり後に中退しましたが、翌年再受験し今度は最後まで通い卒業します。しかし、就職先は見つからず…福祉ホームという障がいのある人が単身生活できるよう訓練できる長屋のような住宅に入居します。


⑤2006年 (平成18年) 29歳のとき

・2000年とは別の場所へ髄芽腫の播種が見つかったため、自身2度目のガンマナイフ治療を受けました。

※このころ、福祉ホームから一般住宅に移り、なんとか就職することができた僕は、いよいよ体を壊してからの目標でもあった「僕の考える自立した生活(単身生活をしながら仕事をして車を運転する)」に向け本格的に挑戦を始めます。


⑥2017年 (平成29年) 40歳のとき


・後頭部に皮膚癌が見つかって摘出手術を受けました。(摘出した細胞は基底細胞癌という種類)


⑦2020年 (令和2年) 43歳のとき


・これまでは右顔面だけに神経麻痺症状が出ていたのですが、このころから左側にも出てきてしまいます。いわゆる両側顔面神経麻痺の状態で、その後も緩やかではありますが症状は悪化傾向…

・後頭部に自身2回目の皮膚癌が見つかって摘出手術を受けました。(摘出した細胞は基底細胞癌という種類)

・お尻(仙骨部)に褥瘡が見つかって1週間ほど治療を必要としました。


⑧2021年 (令和3年) 44歳のとき


・後頭部に自身3回目の皮膚癌が見つかかって摘出手術を受けました。(摘出した細胞は基底細胞癌という種類)

・お尻(仙骨部)に褥瘡が見つかって100日間ほど治療を必要としました。

・2006年ごろから定期検査(MRI検査)で映し出されていた「出来物」に対して、開放を目的とした開頭手術を受けました。その結果、出来物の正体は放射線壊死の可能性が高いみたいです。

えっと…放射線壊死(ほうしゃせんえし)というのは、以前そこに放射線を照射したことで正常な細胞がダメージを受けてしまっていて、段々と腫れ上がったり傷ができたりすることなんですが、僕の場合は出来物が映るようになった場所に以前ガンマナイフ治療を受けています。(2000年)
これも放射線障害の一つなのかな?


⑨2022年(令和4年) 45歳のとき


・顔面神経麻痺の症状は以前悪化傾向でしたが、このころから顔面痙攣だけはなぜか改善傾向(少なくとも悪化はしていない)

・お尻(仙骨部)に褥瘡が見つかって18日間ほど治療を必要としました。

・額の左側(左眉毛の上あたり)に出来た豆粒大の隆起した皮疹から、ドロドロした液体が出てきたため検査したところ、鼻みずが溜まる空洞から漏れて額の内側に溜まっていることが判明してしまいます。(長期服薬治療でなんとか軽快)

えっと…これは皮下膿瘍(皮下膿瘍)という状態で、21年に受けた手術の合併症です。


⑩2023年 (令和5年) 46歳のとき

額の中央(髪の毛の生え際あたり)に出来た米粒大の皮疹から、ドロドロした液体が出てきました。診察の結果、これも昨年同様で皮下膿瘍の状態が悪化している証拠だということで、服薬治療が始まりました。


以上、現時点(2023年)までの大まかな病歴でした。これ以上詳しく知りたい人がいましたら、「わたくしごと」を覗いてみてください。


この記事が参加している募集

自己紹介

僕が書くすべての記事(手紙)は、長い時間かけて継続して書いてきた記録や、そうでなかれば得られないであろう考え方や貴重な体験を基にしています。いただいたサポートは、その評価だと捉えさせていただき、それを糧に今後も多くの記事を書いていきますので、どうかよろしくお願いします。