あいちトリエンナーレについて

芸術系の大学に通信教育ではあるが在籍していた私は、正直現代アートの世界は知らない。
古典的な美術史を学んだり油絵やら版画やらをやったが、現代におけるアートの基準は分からなかった。
元々、漫画を描いて投稿していて絵がもう少しうまくなれば、という思いと就職したくなかったのでそのモラトリアムとして入学し、家にもいずらくなったので大学のある京都へ出ていったという流れ。
だからアートが好きだとか、崇拝している画家がいるとか、全くなかった。
そんな奴がアートを語るな、と言われればそれまでだが、閉鎖的な世界というのはアートに限らず似たような状態になる。

今回シェアした記事は、今年愛知県で開催される“あいちトリエンナーレ”の芸術監督に選ばれた“ジャーナリスト”津田大介氏のインタビュー。
読めば今回の決断(アファーマティブアクション)に関して、津田氏の意図がよく分かると思う。
  
ジェンダーの問題については多くの言説が飛び交うが、そんな発言をしていた言論人、政治家等が、“変える”ことが可能な実行権限を持った場合、有限実行できる人はどれだけいるだろうか。
それを考えると、これはとてもすごいことだと思う。
津田氏の他、東浩紀氏や宮台真司氏が好きなのも、こういった“エートス”を持った人だからなんだと思う。
特に津田氏はバランス感覚がとても優れていると思う。
 
しかし、彼らとて一人では何もできない。彼らの行動を支援する多くの人たちがいることも重要で、幸運にもこういった機会が生じ、実現を目指せることは微笑ましい。
 
男性優位社会を“変える”ことの障害はどこにあるのか、そしてこのように敢えてセンセーショナルな展開をすることで何が“変わる”のか。
過剰なフェミニズムや“名誉男性”の存在など、女性自身が目覚めなければならない部分も大いにあると思うが、それすらも男性優位社会だからこそ存在するものであるので、それが変わることでその存在自体が意味を失うだろう。

明治維新はやってのけたけど、結局のところキリスト教国家ではない日本において精神的に近代化は果たせなかった。資本主義システムだけが浸透し、再帰的近代化が進む。
ポストトゥルースによって真実は個別化し、共通前提を失った正義が時に悲惨な事件を引き起こす。
  
ジェンダーギャップ指数110位の日本。
男はこれを自覚しなければならない。
とりあえず『あいちトリエンナーレ』に行ってみよう。


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