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おとんとオカンのおかげで好きなことに出会えた。

長女「パパが子供の時、サンタさんから何もらったの?」

と4才になりたての長女に聞かれた。
しばし、考えた後に答えた。

よよ「ドルトムントのユニフォームかなぁ〜」

長女、一瞬ポカンとした顔になり、すかさず「なんじゃそらっ!」と小さいツッコミをいれた。

***

昨日、日本の偉大なサッカー選手が引退した。

小野伸二。

若い頃から天才といわれた名選手でありファンタジスタ。サッカーのうまい選手はたくさんいる。しかし、小野伸二のような優しいボールタッチ、柔らかいキック、誰よりもボールと仲良く、楽しく戯れるようにプレーする選手は唯一無二。

ボールを持つだけでワクワクする。

ボクら世代にとって、かけがえのないスター選手。

《以前一回記事書いてた↓》


試合終了後のセレモニー、小野の人柄が溢れる引退スピーチに泣いた。


自分を支えてくれた周りの人たちに感謝を述べた後、最後に天国のお母さんに贈った言葉。


「お母さんにひと言。僕を生んでくれて、このすばらしいサッカーに出会わせてくれて、ありがとうございました」



ボク自身、サッカーが好きだ。
多分、死ぬまでずっと好きだ。


人生において、好きなものことがある。


これだけでも人生勝ちな気がする。

好きなサッカーでご飯を食べているわけではないが、好きなものがあるだけで日々のモチベは上がる。いつまでも楽しめる。

好きなことをしている瞬間だけは、どんなときよりも自分らしく、正直かつ素直になれる。いつでも少年に戻れる。純度100%の喜怒哀楽が出る。


これはとっても幸せなことだ。


好きなものに出会ったのは、自分だ。
好きになったのは自分自身だ。

けど、好きなものに出会わせてくれたのは、周りのおかげであり、その最たるは親だと思う。

***

幼稚園の時に、Jリーグのシューズを買ってもらった。みんなヴェルディだったが、ガンバを買ってもらった。

初めてJリーグに連れていってくれたのもオカンだ。神戸ユニバー記念競技場で行われたグランパスVSエスパルス。スマホのない時代、人に聞いたりしながら、なんとか競技場に辿り着いたらしい。

ガンバ大阪の試合を観に万博によく連れていってもらった。阪急に乗って茨木市駅へ。そこから激混みのバスに乗って試合会場に行った。

WOWOWで、セリエAを観せてくれたのはオトンだった。ユベントスのラバネッリ、ミランのウェアが全盛の時代。海外サッカーに興味を持ったのは、オトンのおかげだ。

小3からサッカーを習い始めた。ほぼ毎日、片道チャリで50分かけてグラウンドに通った。今思えば、あんな遠いところまで、よく通わせてくれた。


***


1998~2000シーズン
ドルトムントのユニ

今から25年前、1998年のクリスマス。
ボクが10歳のとき。
サンタさんからもらった最後のプレゼント。

サンタさんには「ドルトムントか、マルセイユか、ラツィオのユニが欲しい」とお願いしていた。

我ながら、ひねくれ小僧である。

今でこそ、ネットがあるので簡単に手に入るが、当時は海外サッカーチームのレプリカユニは入手困難だった。

しかも、サッカーに詳しいわけではないサンタさんからしたら「どこやねん」なチームばかり。

そんな無茶振りに対応してくれたのが我が家のサンタさん。

クリスマスの日に置いてあったときは嬉しかった。

「うちのサンタさんすげーな」って思った。



大人になってから「ドルトムントのユニ、どうやって手に入れたん?」とオカンに一度聞いたことがあるが、軽く一蹴された。


母「いやいや。オカン、サンタさんじゃないから分からへん」


その答えを聞いたボクは「そらそうよな〜。オカンはサンタさんじゃないよな〜」と思い、無粋な自分を少し恥じた。



今、親となり、娘二人を見て思う。

二人にも好きなことが見つかって欲しい。

子供達に好きなことをさせてあげたい。

おとんやおかんが自分にしてくれたように、娘たちにも親としてできる限りのことはしたい。

そんな感じ。


・こぼれ話

ドルトムントのユニフォームは、大人サイズのMでした。当時、子供サイズは、相当メジャーなチームでない限り、日本には置いてなかったと思います。ボクは中学に上がるまで140cmもなかったおチビだったので、当時はダッボダボでした。結果的に、大学のサークル時代に1番着用した記憶があります。なんなら今でもたまに着ます。


・最後に一曲


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