妊娠生活:妊娠後期にやってきた虚無感との戦い

仕事について

優秀な人を後任にあててもらったこともあり、私が担当していたマネージャー職の引き継ぎは早々に終わってしまった。
産休に入るまで毎日、自分がいなくてもまわっているプロジェクトを眺めていた。
引き継ぎが上手くいっていることは喜ばしいことなのに、ひとり取り残されている気持ちになった。
私に次のプロジェクトが用意されているのなら、自分がいなくても大丈夫なプロジェクトを見てこんな気持ちにはならないだろう。
会社やチームとしては健全な状態なのに、嗚呼、私には次がないんだなぁ…と考えてしまって悲しくなった。

私の上司は子供もいるし、子育てについては理解がある方だと思う。
復帰後の仕事についてはある程度相談しているものの、復帰後どれくらいのペースで働けるかはわからないから、次の仕事については復帰してから考えよう、ということになっている。
今、私が担当している仕事はとても責任がある仕事で、障害が発生すれば深夜だろうと土日だろうと連絡がきて、対応しなければならない。
仕事を生活の最優先にできるからこそ担当できているような業務なので、復帰後に今と全く同じポジションで働くことは難しい、ということが予想できる。
だから、上司が言っていることは正しいと思う。
私自身も復帰後はどんな形で会社に貢献できるか、今の段階ではわからないのが正直なところである。
復帰できる職場があることはとてもありがたいことだけど、出産前と同じようには仕事に関われないことがただ悲しく、仕事との関わりかたがイメージできないことが不安だった。

仕事を引き継いだら暇になる、そんなことはわかりきっていたのに、いざその状態に置かれたら想像以上に悲しくて立ち止まってしまいました。
「出産前に戻れないこと」の視野が狭くなってしまっていて、仕事の「過程」にとらわれ過ぎていたんですよね。
「育児という新たな責任が発生しているのだから、出産前と全く同じ働き方は無理」という前提にたって、その中で出産前と同じ「結果」を残すにはどうすればいいのか?を考えるべきだったのです。
育児も仕事もやり方や工夫は無限にあります。
その中で、仕事の過程を同じにする必要はなく、結果(やりがいや報酬)を同じにすれば良いんですよね。
それは自分の働き方や考え方次第で可能な範囲だと思うので、そこを目指すようにしよう、と気持ちを切り替えてからは随分楽になりました。

趣味について

趣味で長年続けていたオンラインゲームがあるのですが、チームプレイが前提のため、数年間所属していたチームを抜けることにしました。
本当は抜けたくなかったけど、今までのように夜遅くまでプレイしたり
何時間も連続で練習に参加したりができなくなり、迷惑をかけてしまうからです。
それぞれ住む地域も会社も違う社会人8人が、ほぼ毎日のように時間を決めて集まって練習しているのだから、趣味といえどみんな真剣です。
(おかげで私は「たかがゲーム」という言葉が大嫌いです。どんな趣味だろうと、やっている本人が真剣に打ち込んでいるものを軽視する権利は誰にもないはずです)
チームで最後の練習をしている時「ずっとこの時間が続けばいいのに」「終わりたくない」と心の中で泣きました。

このゲームは8人揃っていないと遊べないので、私の代わりとなる人を探してもらいました。
無事、代わりの人が見つかって安心したものの、自分以外の8人が集まって、楽しそうに遊んでいる姿をただ眺めているのは悲しかった。
私の帰る場所がなくなってしまった。
皆には次の約束があるのに、私だけ次の約束がない。
ただ、悲しくて泣いた。

このオンラインゲームはもう、ほぼやらなくなると思う。
ゲームそのものを辞める必要はないじゃないか、と言われた。
娯楽であるゲームは時間をかけて練習したり、装備を集めたりする必要があるため、他プレイヤーと比較した場合、どうしても私のプレイは私にとって見劣りするものになるだろう。
仕事と違ってゲームだけは「今までと同じプレイが出来ないこと」がフラストレーションとなることは想像できる。
そんな形でゲームを続けてもストレスしか感じないので、きっぱり断つしか道はないと思った。
オンラインゲームは他人とプレイするすることが前提なので、しばらくはひとりで楽しめる趣味を主体にしよう、と創作活動の方になるべく意識を向けることで、ゲームをやっていた習慣を徐々に忘れるように努力した。

出産前にやりたいことリストの消化

妊娠安定期に作ったやりたいことリスト(https://note.mu/yozi_note/n/nd58b4f077713)をやり遂げてしまったことにより、目の前の目標がなくなってしまったんですよね。

時間が解決してくれる

次の仕事もない、ゲームの約束もない、やりたいことリストもない、という状態になった時に「あれ?私には次が何もない…」という状態になってしまい、すごい虚無感に襲われてしまいました。
自分が色々な輪から外れてしまったように感じ、泣きながら帰る日もありました。
「育児が楽しみで仕方ない!」と感じられていたら多分違ったと思うのですが「育児が不安で仕方ない!」という私は、しばらく虚無感で何も手につきませんでした。

結局、この虚無感を解決してくれたのは時間でした。
仕事も趣味も、この瞬間が来ることは何ヶ月も前からわかりきっていたので、構えていたつもりでした。
しかし、いざその立場になったら想像以上にショックだったんですよね。
想像以上に悲しかった。
瞬間的な心へのダメージはもう、仕方ないものとして受け入れるしかないです。
誰だって、殴られた瞬間は痛いですから。
しかし、時間が経つにつれ痛みはやわらいでいくものです。
無くなってしまったことに対して心が慣れていくと、それらについて考える時間も減っていき、自分の中で存在が小さくなっていくのを感じました。
「新しいことに打ち込もう」「出産までの残り時間は減っていくだけだぞ」と気持ちが切り替えられるようになり、次に進むことができるようになりました。

出産・出産後について考える

今までは「自分の時間は自分のためだけに使うぞ!」という気持ちが強く、出産や出産後のことについて考えるのことを避けていたところがあるけれど、そろそろそうはいかないところまできてしまいました。
入院の準備、退院後の準備、保活のこと…などなど。
今まで調べていなかったので、漠然とした不安しかなかったのですが、調べていくうちに不安は少しずつ解消されていきました。
やはり、わからないものをわからないままにしておくのは良くないですね。

妊娠が発覚したときから出産・育児に対して「恐怖と不安のイメージ」しかなかった私ですが、今日までの妊婦生活を通して「恐怖と不安のイメージ」をだいぶ減らすことは出来ました。
このイメージを完全に払拭できるのは「出産した後」しかないと思っています。
だって、赤ちゃんはまだお腹の中にいるから。
どんなに出産や育児の尊さを調べたところで、実際に体験していないんだからわからなくてもいいんだ、これからわかっていけばいいんだ、と思えるようになったことが大きな進歩かな、と思っています。
妊娠生活において、調べても実際に体験するまでわからないことが本当に沢山あったので、そう思えるようになったんですよね。
また「出産後も自分の時間を持てるのか?」とか「自分らしく生活できるか?」についても「今までと同じ過程」を求めるのではなく「得られる結果」を求めるようにすれば、自分次第ではなんとかできるんじゃないか、とも思えるようになりました。
あと、やはり「世間が押し付ける聖母のような母親像の呪い」に囚われすぎていたなーとも思います。
今は「聖母?うるせーぞ!」と言えるくらいには呪いがとけたとおもいます。
こういう考え方でいないと、自分がすり減ってしまい、良い状態で子供と向き合うことができないです、少なくとも私は。
なので、今は妊娠初期や安定期の頃と比べると、とても穏やかな気持ちです。
(このあたりは別の記事でもう少しかきたいです)

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よじ

俗にいう「日本社会が求める妊婦・母親像」から解放されて自分らしく生活する。そのために考えた事などを整理する目的で記事を書いています。少数派だからこそ、同じような悩みを感じている人がが少しでも共感・安心することで気持ちが楽になったら嬉しいです。

よじの妊娠生活

自分の妊娠生活についてまとめています。 妊娠・育児に関してネガティブなイメージが先行して悶々としていた日々を忘れたくなくて記録しています。 「子供ではなく、自分を主体とした育児」を目指したい。
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