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妊婦日記:出産・育児の楽しみや価値がわからないという不安について

私がずっと感じていた不安や恐怖の原因は、全てここに集約されていると思っています。
私の自由な時間と引き換えにするほど、価値のあるものなのか?
今の生活は気に入っているのに、この生活を壊してまで欲しいものなんだろうか?
これがわからないから、迷ったり悩んだりするんですよね。
夫とこういう話を一度だけしたことがあるのでが「価値とかそういう問題じゃない」と言われたので、そもそもこういう考えが違っているのかもしれない。

この記事を書いている今、妊娠はしていますが出産はまだしていない状態です(現在妊娠9ヶ月目)
本当は出産してからの方が正しい情報?を書ける気がするのですが、どうしても出産する前にこの記事を書いておきたかった。
出産前と出産後では、考えが変わる可能性があるからです。
ひねくれている私は、出産後の人の意見はどこかハイテンションに思えてしまって、でイマイチ信じられないところがあるのです…(すみません)

失うと考えていたもの

ひとりの時間、今まで築き上げてきた仕事のキャリア、打ち込んでいた趣味のこと…全部が今まで通りにできない=失うこと、だと考えていました。
ただ「子供のせいでできなくなった」と考えてしまうと、それは自分にとっても産まれてくる子供にとってもマイナスでしかなく、本当に地獄への入り口に見えたので「子供のせいで」とは絶対に言いたくなかった。
だからこそ、出産や育児をどのように捉えたらいいのかがわからなくて苦しかったんですよね。

私と両親について

習い事や塾に行かせてもらい、大学まで出させてもらった両親にはとても感謝しています。
母親は毎日手料理を作ってくれていたし、私は母親の料理が大好きで、実家に帰るのも大好き。
両親との関係は良好なのに、なぜ私は子供が欲しいと思えないんだろう?と余計悶々としてしまいました。
お母さんが私にしてくれたこと、とても感謝しているけれど、私はお母さんと同じことを自分の子供にしてあげる自信がないなぁ…。
お母さん、ごめんね。
そんな気持ちになるのです。
もはや、両親との関係性は問題ではなく、自分自身の性格に問題があるように思います。

子育てをする中で自分も成長できるよ、という言葉

実際に自分の母親にも言われたこの言葉、ネット上でもよく見ます。
うーん、全然信じられない…。
仕事をして社会と繋がっていた方が刺激もあるし、成長できると思う。
それ以上の成長ってどんなことなんだろう?
わからない。
子供が苦手な私にとって「自分の子供は特別だよ」という言葉も、同様に信じられない。

もう、こればっかりは、産んでみて当事者にならないとわからないのだと思います。
妊娠生活だって、想像していたり説明を聞いていたのとは全然違っていて、当事者にならないとわからないことばかりだった。
今、どんなに言葉を尽くして説明されても、なんだかんだと理由をつけてしまって理解できないんだと思う。
なので「これらの言葉がわからないこと」について悩むことはやめました。
お腹から赤ちゃんが出てきて、私が当事者になってからもう一度考えてみることにしました。
もうね、わからないよ…。

「妊婦」「母親」という枠に押し込められてしまう恐怖

私はそもそも世間が求める「女性」という枠に押し込められるのが苦手で、ずっと悩みながら生きてきました。
年齢を重ねキャリアを積むことで、ようやく「女性」という枠に押し込められずにいられる居場所を作ることができた。
また、性別に囚われない考え方ができるようになってきた。
そんなふうに、やっと思えてきたところなんですよね。
ようやく生きやすくなったなぁ、と。
しかし妊娠した途端にまた「妊婦さんなんだから」「お母さんなんだから」という、世間の呪いの枠に押し込められてしまうのを感じました。
妊婦検診などで病院の先生はお腹のエコー写真をみて「かわいいですね!」と言ってくるのですが、私は全然かわいいと思えませんでした。
だけど、空気を読んで「そうですね」とぎこちない笑顔で返事をしたことが、すごく苦痛だった。
こんな形で自分を押し込める感覚は久しぶりだった。
そう「世間が求める女性」の枠に頑張ってはまろうと自分を偽ってきた20代のことを思い出したんです。
またこの苦しい場所にきてしまったのか?と絶望した。

今となっては「おいおい、また世間の呪いに囚われるなんて、全然成長してないじゃん…」という感じなんですけどね。
そうなってしまった理由として、格好良いな、憧れるな!と思える母親像が、私の中で確立できなかったせいかな、と思っています。
なんせ、モデルケースが自分の母親と世間が求める「献身的な母親像」しか、私の中になかったから。
お母さんのことは大好きだけど、ここまで子供(私)に尽くすことなんて私にはできないよ…(だからこそ感謝しているのだけど)
どっちを選んでも「私が私でなくなってしまう」と思って苦しかったんです。
完全に視野が狭くなってしまっていました。

私の中で見つけた母親像

こんなこと誰にも相談できなかったので、とにかく育児に関する書籍やブログなどを読みあさるしかなかったです。
そこでようやく、世間が求める「献身的な母親像」にならなくても、子育てはやっていける、ということを理解しました。
まずは「私の心の余裕」を持てるように自分の時間を無くさないこと。
子供と適切な距離を保ち、私の人生(趣味や仕事)を無くさないこと。
そういう前提にたつことで、私はようやく自分の子供と向き合うことができる。
それこそが、私の育児のやり方なんだ、と思えるようになってからはだいぶ気が楽になりました。
「子供と適切な距離を保つこと」と書くと格好良いな、憧れるな!というイメージとはちょっと違うかもしれないけど、私のアイデンティティが喪失してしまうかのようなイメージを払拭できたのは、本当に良かったです。

なぜ子供を産もうと思ったのか

夫と両親から望まれていたし、結婚もしていて健康な女性である私は、社会一般的に見て子供をもつべきなのかもしれない…という考えになんとなく流されていたところがありました。
私自身は子供を好きになれる自信がないし、自分の時間が制限されそうだからあんまり欲しくないんだけどなぁ…と、ぼんやり考えてばかりで、結論は出せずにいました(そもそも、誰にも共感してもらえず相談できなかった)しかし、子供を産むためにはタイムリミットがある。
このタイムリミットに迫られて、自分の中の気持ちに整理をつけられないまま妊娠してしまったので、妊娠してからだいぶ苦しんで考え抜くことになってしまったのである。

考えに考えた結果、産みたくない理由が、産まない(堕ろす)理由を上回らなかった、というのも理由のひとつだと思っています。
本当に嫌で嫌で耐えられないのなら、離婚覚悟で切り出していたと思う。
この時、一番心に響いた言葉はネットのどこかで見つけた「子供を育てて良かったかどうかは、死ぬ瞬間にならないとわからない」という言葉でした。
そりゃそうだな、とやけに腑に落ちたのである。
結局「自分が良かったと思えるかどうか」であって、誰に聞いても答えなんかない問題なんですよね。
しかも、自分が死ぬ瞬間まで、どっちが良かったか、なんてわからないような問題。
妊娠初期の私は「子供を持たなくても楽しく生活する自信はあるけど、子供を持った時に楽しく生活する自信がない」とか言いそうですが。
しかし、今が楽しいのはわかるのですが、10年後、20年後が今と同じなんてことは絶対にあり得ないんですよ。
確実に体力は落ちているし、社会の中で目新しい体験はどんどん減っていく。
そうした時のことを考えると、どっちが良いかなんて、今の段階ではわからないのも当然だな、と今は思えるようになりました。
結局、自分が選択した道をより良くしていくしかないんですよね。
妊娠をきっかけに、こういった人生の問題を先送りせずに考えられるようになった、というのは良いことだったなぁ、と思っています。

与える喜びについて

ネットのどこかで、育児というのは「与える喜び」という言葉を見ました。
ああ、私に足りないものは「与える喜び」なんだ、とすごく納得したのを覚えています。
部下の教育に熱心な人、夫に尽くすのが楽しい人はこの「与える喜び」を手に入れているんですね。
私も部下の教育は熱心にやっていたと思っていたのですが、それは私の評価に繋がるという「報酬」のためにやっていたのであって、本当に心の底から部下のためを思っての行動ではなかったな、と今更感じたのでした(
業務に直接関係ない=私の評価に関係ない部分では、教育に関して手を抜くところがあったので)

私が子育てを通して勉強すべきはこの「与える喜び」なのかもしれないなぁ、とぼんやり思っています。
「自分が一番」な私にとって、別にそこまで欲しい能力ではないけれど、仕事や人生に役立つのかもしれない、と思うようにはなりました。
この能力が身につくかは、実際に育児をする立場になってみないとわからないですが…。

結論

子供を産むのか産まないのか、どちらが良いかは「死ぬ時になるまでわからない」が今のところの結論になってしまいました…。
ただ、どちらを選んでも自分らしく生活していくことは可能だし、それを決めるのは自分自身である、ということだけは言いたいです。

子供を産んだ場合:生活は間違いなく変わります。良くも悪くも。その中で、自分を見失わないよう努力できるかどうかは結局のところ、自分次第です。
子供を産まなかった場合:今と同じ生活がずっと続くことはあり得ないし、歳を重ねていく中で色々な問題に直面すると思う(今はそんな先のこと、あんまり考えられないかもしれないけど)
その時にしっかりと問題と向き合い、自分なりに解決できるかどうかは結局のところ、自分次第です。

うーん、この記事を一番混沌としていた妊娠初期の私が読んで納得するだろうか…。
ただこんなにひねくれた考え方からスタートしたけど、今は子供を産んでみるのも良いかもしれない、というところまではたどり着けました。
もちろん、産まなくても楽しく過ごしているんだろうなぁ、とも思うのですが。
今は選んだ道で、自分の人生を良くしていくことを考えて
選ばなかった道を選んでいた場合のことは、あまり考えないようにした方が健全だなーと思っています。

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