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(日記)弔辞とかの余談

 2023年6月2日午前1時36分ごろにアヴァリスが倒されて死んだ。ひらたく言えばフィクションの推しが死んだと表現できてしまうが、自分はあいつをすっかり弟みたいに思って読んでいたからまだ幼い悪ガキ盛りの弟を急に亡くしたような感じがずっとしていて思い返す度に手先がどうしても冷えてしまう。

 くわしいことはニンジャスレイヤーAoMシーズン4『カリュドーンの獣』を読んでほしい。すさまじい小説だ。twitter連載だから無料でtogetterから全部読める。サブスクすればnote加筆版も全部読める。

 なにせ人生が短すぎた。長く見積もっても作中時間で享年3歳、最も短い可能性でいうと1年あるかないかだ。短い中で大いに自己同一性に惑って、短い中のささやかな記憶を自分で肯定できるようになって、必死になって、負けて死んだ。負けさえしなければ生来の獰猛さと貪欲さがあるんだから絶対にこいつはどこまででも行けた。絶対どこまででも行けよ!俺がついてるからな!と思っていた。自分はそもそも1人立つ巨悪が世界滅亡ルートに踏み出すのが大好きなので、滅亡させて全然構わないからお前の自己実現を見せてほしかった。落ち込みすぎたので弔辞はもう書いた。落ち込みすぎて本文の調査測量をやったからそれの前書きにした。

 が正直これだけでは全然昇華できていない。まだ呆然としている。調査記事の前書きにのせるとノイズになりすぎるから省略してTwitterにぶつぶつ書いた思考が色々ある。だいたいちょっと様子の変な自分語りばっかりだ。あと上記記事を仕上げた後に気付いてTwitterにぶつぶつ書いてたこともある。同じようなことをずっとぐるぐる考えてしまう現象もある。それらはまだツイートにしかできておらずごちゃごちゃなので思考整理がてらここに書く。これを読んでおもしろいかは自信がない。そうしないと気が落ち着かないので書く。

 アヴァリスはニンジャ始祖であるカツ・ワンソーの影、多重神格の一側面だった。眠れる神である始祖とその影たちは全く別の意識を持つから、顔を合わせたことがない親子ぐらいの距離感。アヴァリス以外の影は無貌の怪異たるサツガイ=サンと善良少女ゾーイちゃんの2人が登場済。イメージは三兄妹。アヴァリスは飛び抜けてごつい末の弟。

 ただアヴァリスとしっかり関わりがあったのはサツガイ=サンだけだ。アヴァリスには申し訳ないが特に悪気はないダメ兄な感じのサツガイ=サンはかなり良かった。なお普段の自分はもっぱらサ氏(※字数削減表記)に執着している。というか元はと言えばサ氏に嵌ったせいで今アヴァリスに対してこうなっている。

 サ氏に嵌ったのは大学4年の頃、『ドグラ・マグラ』の正木博士にしびれまくったのを機に選んだ大学で卒論をいじっており、木をあれこれ相手取ったあと帰りのバスを待っていたときだった。それまで普通に好きだったはずが急に好感がバグった。

 氏が「自我に意味はないじゃないか」と平気で述べる一幕を読んで、完全にやられてしまった。それまでサ氏はとにかく自由、天衣無縫、自分を除いて何にも興味はない、そういう存在だと思っていたら一つ違った。自分すらどうでもよかった。あんなに普段楽しそうにしておいて自己矛盾も甚だしい。叩いても響かないとんでもない空洞かつとんでもない脆弱性がど真ん中にある。そこがどうしてもこの世で最も可憐に思えたので以降ニンジャへの向き合い方全てがひどいことになった。ずっとサ氏に魂を漸近させてニンジャを読んでいる状態になった。

 この時の自分は大学選びの決め手だった正木博士を思い出した。万物をオヒャラカシタ快活で胡乱な態度もサ氏によく似ているが、その底にこちらがたじろぐようなシリアスな箇所がある、しかしその通直な部分自体がどうも弱点っぽくもあり、弱点があるというのは逆に人間的でもある、このサ氏の味わいは正木先生の味わいにだいぶ似ている。個人的にはそう思った。正木先生の普段の一人称「吾輩」が唯一「俺」になってしまうあの瞬間が自分は本当に好きだがサ氏の普段の一人称が「俺」なことにすら因縁を感じた。ここに来たきっかけの正木先生が自分の持つ伏線を回収しにきたかと思った。

 卒論は問題なく通った。そして森系の仕事に就き、AoMシーズン3のネザーキョウ編で精神をかなりすり減らしたり(正直今と大差ないくらいのダメージが入った)してから、しばらく経ってアヴァリスが登場した。2020年11月の下旬だった。初登場時点でもう狩人の中だと一番好感度が高かった。が、そのまた1年半後に戦闘描写だけで好感度をめちゃくちゃに高められた挙句、始祖の影であることを明かされてたまげた。サ氏に弟がいたと思いきやもう非常に好きにさせられていた格好だ。サ氏に魂を漸近させているせいで実質もう俺の弟のような気分になった。ただでさえ肩入れしていたところが肩入れのレベルを超えてきた。しかも直後にアヴァリスはサ氏を取り込んでネオサイタマを緑化し始めた。さっき言った自分の卒論の中身は緑化関連だった。まだ自分の中に伏線が残っていたとは思わなかった。

 そうしてこの2023年4月、アヴァリスはサ氏と同化しかかっていた。自分はサ氏の(外からはまるで)人格(のように見えるもの)を非常に尊んでいるし、かわいい弟のアヴァリスが自我を得ようとする必死さも絶対に守ってやりたいと思っていたが、サ氏にとってはそんなものはどうでもいいから無我の混沌に自分が呑まれても構わないし弟が呑まれても構わない。とても困る。困るがサ氏がそう決めたなら自分は文句一つ言わず途方に暮れるしかない。

 アヴァリスは他者から能力を奪う権能を有していた。サ氏は与える権能。サ氏によって枠組みを拡げられ、ぬるくなったアヴァリスの手札は情報量の多さから一つ一つが希薄化して、それまでの選択にあったキレの良さ、クレバーさ、趣味人っぽさがどんどん失われた。逆にサ氏の趣味のしょっぱさが露呈して心配にもなったが本人はおそらく気にしていない。

 詳細は調査記事に書いたから端折るが、元々アヴァリスはどうやら哺乳類関連のジツが好きらしかった。「暖かい」ことにこだわりがあったし、育ての母であるクロヤギ・ニンジャへの思い入れは言うまでもなく強い。が、サ氏が癒合してからのアヴァリスは動物関係のジツを繰り出す度に哺乳類から離れていった。系統樹を遡上して、より原始的な生き物に近づいた。

 『ドグラ・マグラ』作中に登場する、自分の大学選びの致命傷になった正木先生の卒論は『胎児の夢』という。「胎児は出生までの間に、母体の中で生物進化の歴史、系統樹をくだる遠大な悪夢を見ている」という骨子だ。情報整理してたらジツの法則性に気がついて、アヴァリスのこれは逆『胎児の夢』かと咄嗟に思った。サ氏と同じ存在だった頃まで、出生の前まで針を戻そうとする方向の動きが起きていた。ここまで来てもまだ自分の中に伏線があったとは思わなかった。

 結局アヴァリスはサ氏と物別れした。悪罵するでもなく「もっと早く出会っていればよかった」と言ってくれたのも有難かった。生みの親より育ての親だと気づくためには、一度生みの親に接近してみないと分からなかった。実際まあ失敗ではあったが無駄な失敗ではなかった、この失敗があったから父祖になりきるのは違うと感じて、しかもそれを口にしてくれた。サ氏もそんなに悪気はなかったようでアヴァリスを心配するような台詞を述べていたのが実に危うくてよかったが、それ以上にアヴァリスはなんて立派なやつだと思った。これだけ短期間で精神的に成長してくれたのが本当に嬉しい、自分はもうお前がそれだけ育ったならどこまででも伸びてくれと願った。育ての親のクロヤギの仔として自我を立て、イサオシを挙げると宣言してくれたからには絶対叶えて欲しかった。ラスボスは負けて滅びるというジンクスごとぶっ飛ばして欲しかった。全霊で応援していた。ただそうはならなかった。

 最終決戦でもアヴァリスは本当に頑張っていた。事前に兄視点のマインドセットがうっかり完成していたせいで余計にあまりにも痛ましく、正直まだろくに読み返せない。鋭い攻撃がもはや繰り出せないくらいに手が傷ついて拳を握り直したところからは一文ずつ全て呻きながら読んだ。俺のかわいい弟に何しとるんじゃという気持ちにもだいぶなったが相手のマスラダも必死だったし切実に背負うものもあったのはよく分かる。でも俺はめちゃくちゃ依怙贔屓するしアヴァリスがもう大好きだからマジで勝ってほしくてしゃあなかった。サ氏がいる時は修復できていた傷がそうできなくなってどんどん体に残りゆくのも、こいつの決断だからとても誇らしかったがそれでもなおつらかった。最期にクロヤギが共に逝ったのがせめてあいつの救いになってほしい。とにかく安らげるよいところで暖かくして憩ってほしい。全部勝手な読者のエゴではあるがそう思わないとまだうまく寝付けない。昨日もうっかり4時間睡眠になった。

 アヴァリスの初登場は2020年11月30日、爆発四散は2023年6月2日だった。ほぼぴったり2年半。この間はニンジャがずっと一番気にかかるジャンルだったから体感時間はよく覚えている。そしてアヴァリスが子供の姿でスラムに出現したのは2047年から2049年の間。路上で1人で育ってクロヤギに拾われ、狩人として儀式に参加するまでの時間軸は不明だが、死んだのが2050年。実際の活躍期間が本編中での命の長さとかなり近い。下手すればさらに短い。覚えてるからわかるがこれは一生と思うにはとんでもなく短い。この換算法だと生々しい実感を伴うから余計にあいつの人生のことを延々考えてしまう。

 せめて性格が元々享楽的でよかった。楽しそうだと幾分か安心する。友人なんてものが発生する余地のない人生なのが、もう終わったことながら心配でしゃあなかった。最期のよすがも母だったし世界の広さが新生児ばりなのがまた寂しい。友達までは行かずとも狩人同士で皮肉を言ったりサロウをいじったりしていた時間をちょっとくらいはウケるなと思っていてほしい。

 それにアヴァリスが死んだことで、アヴァリスが生きているうちに実況イラストを描く手筈がこの世から失われてしまった。もちろんニンジャは色々な次元と季節性ドネートで死後のキャラにも会う手段はあるが、そういうものが歴史小説とすれば本編は日本史だから、結局のところ基底現実でアヴァリスが死んでしまったことが最も重い。もっと上手くやってやりたかった。自分は本当に申し訳ない。

 見ての通りアヴァリスの死には完全にへこんでいるが嬉しいことはあって、まず他にも見るからにへこんでいる人が複数いる。これにはだいぶ助けられている。色々呻いたが結局自分がこうもジタバタしている原因を総括すると忘れることへの恐れだと思う。リアタイで絵が描けなかった後悔も、出来ればもっと色んな人の印象に残させてやりたかった悔しさがでかい。だから誰かの頭にアヴァリスが残っているのが確認できると嬉しい。

 昨日あったDHTレディオを聴けたのもよかった。翻訳チーム諸氏もシーズン4の構成上狩人たちとは付き合いが長かったし爆発四散を見届けるのはダメージがある、どうしても書き手のカルマが発生する、という感じの話題が出た(メモはとってないので大ざっぱな記憶)。作り手もやっぱりショックで、やっぱりそれくらいの情念を注いでくれるのかと思うとずいぶん安心した。前にも日記にしたが、誰かが忘れないこと、作品内にいるこいつ含め皆を1000年後の人に引き合わせてやれるようにすること、そういうことが常々一番気にかかっている。忘れられるのが真の死とか聞いたこともある。自分は自分が依怙贔屓しているニンジャをなるベくそれから遠ざけてやりたい。まずは絵も文も絶不調なのをなんとかして、上手くそういうことをしてやりたい。

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