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(日記)船に乗せないといけない

2023年2月、出張で東京に行ったので、移動余りの時間で国立国会図書館に寄った。東京も5回くらいは行ったが毎回ビッグサイトと上野ばっかりたむろしており、議事堂らへんがあんな坂とは知らなくてヘロヘロ歩いた。同人誌でも納本できるとの噂を確かめるのが目当てだった。出張鞄にイラスト本を3部忍ばせ、入館のカードとかを作り、だめもとで係の人に納本について相談すると「作って頒布した総冊数はどれくらいですか」とのこと。

「50くらいです」と白状すると申し訳なさそうに断られてしまった。曰く「相当の部数を印刷し、広く一般に公開されているものしか納本できないんです」だそう。50くらいだと広く一般とは言えない様子。わざわざ来て頂いたのに……としょんぼりする納本担当の人に、下調べとかあんまりせずだめもとでとりあえず来たこっちがむしろ申し訳なく、なんか元気っぽい物が食いたくなり2階のカフェでソフトクリームを食べた。2月だから冷えて腹を壊した。

国立国会図書館アイスは牛乳味が強くてうまい

自分は古い自作がどんどん直視に堪えなくなっていく性格をしている。調子の好悪に波はいつもあって、ふと振り返ると波頭のやつ以外はすぐ削除したくなる。twitterはわざわざ振り返らない限り目に入らないから良い。noteも正直そんなに開かないから結構良い。自作と目が合いやすいpixivとかだとかんたんにログが爆破できるので爆破してしまう。投稿したあと存在をすっかり忘れるくらいでないとなかなかログが維持できない。

なのになぜか何年かに一回、同人誌を作ったり作り損ねたり作ろうとしてうめいたりしてしまう。漫画があまりにヘタクソすぎてゼロベースリセットを延々してたり(現在進行形でやらかしてて大変申し訳ない)、12年前から作ろうとしている一次創作本をまだ諦めてなかったり色々ある。紙がいろいろあって質感選びが楽しいのもある。ただそれ以上に、印刷して人の手に渡った本は削除できないから、自分がすっかり飽きても、見るに堪えなくても、完全に存在を忘れても、原作完結10年後でも、作者が死んでても、何年後何十年後の誰かに到達する可能性があってそこがうれしい。作る疲労&頒布後の爆破したさで二連攻撃を毎回食らってるのはさておき、本はすばらしいと手放しに思える。

作者の手すら届かなくなる紙の本を筆頭に、頭にしかないその時々の思考や図像を世間やらワールドワイドウェブやらにお披露目するのは、その思考を船に乗せて放流してやるような印象がある。船に乗せてやらなかったものはたいてい20年くらいで忘れそうだし、長くともたいてい120年くらいでダメになるし、ダメになると取り出せないから棺に詰めて焼いたりしないといけない。遺品を一緒に燃やしてほしがる美術収集家の気持ちはわかるけどえらいタチが悪いなあと常々から思っている、それと地続きの感覚として、飽きる前死ぬ前に船に乗せといてやりたいなあと思うものがたまにある。

国立国会図書館は収容した全ての本を永年保存する。箱船だと思う。納本し損ねた本はニンジャスレイヤー二次創作本で、主にサツガイ=サンをしつこく描いている。念のため紹介しておくと、サツガイ=サンはトリックスター的味付けが強い無貌の怪異系ラスボスで、人類のことはいくぶん立派な蟻くらいに思っていそうな節があり、笑い声がうるさく、好奇心旺盛で飽きっぽい。かわいい。サ氏はいつも自分の思考にするっと入り込んでいるので、ただいるだけの景色を描くとまあまあの枚数になって本が作れた。サ氏は小説内にいる限りいつ読み返しても迷惑でわがままで災害でかわいいし、最近はいちおう滅ぼされたものの、星辰が正しく並べばいつだってまた元気にえらいことをしでかしてくれそうな信頼がある。

でもサ氏の依って立つ小説の原本はtwitterに、まとめ版はnoteにある。作品世界内ではあんなに強度が高いのに作品外が妙に心許ない。葦で編んだ舟くらいに思う。ニンジャスレイヤーは第1部から第3部まで紙書籍になってるものの、それ以降の新シリーズであるAoMシーズン1から4はWEB版が全部だ。AoMにしか出てないキャラクター諸氏にとっては、箱船に乗せられる媒体の本編はまったくない。しかもここんところの原本、twitterの傷む速度がやばい。

ニンジャは今でも本格長編異能バトルのフレッシュな最新話が週1で出てくる元気なコンテンツだ。更新がある限り、今の媒体が滅亡してもうまく次の船に乗り換え続けそうな感じが強い。あと内容が面白いからたぶん世界のいくつかのPCには本編が全文コピーされてるはずだ。公式がもし停止する日が来ても本編アクセス性は全然なんとかなるだろう。ただ、140字制限のあるtwitter版とまとまったnote版とのちょっとした違い、本編ツイートと感想ツイートが一体になるあの場の空気、サ氏の登場の度にいっぱいTLに流れた感想、公式が発信したのを読者が受け止めて反射した部分にひそんでいる数多のサ氏とか、他のあらゆるキャラでもそうだけど、そういうの全部をひっくるめて真の「ニンジャスレイヤーの原本」だと思っている、それらは、趣味で特定のキャラに執着してる人間ががんばって拾い集めないとどうしても散逸する。note版は広義の本編だと思ってるけど真の原本とは認められてない微妙な気持ちがある。それに、はるか未来の本編停止後しばらくはよくても、サ氏の全台詞を表にまとめている自分まで死ぬと、その後サ氏の姿をとどめることはおそらく結構難しく、本編が千年後とかにでも出土できるようにしてあげなければ氏を想起したり知ったりする人間が絶えるかもしれない。そもそも自分が飽きる可能性も怖い。

さらに言えば公式の心配以前に、今この思考にするっと入り込んでここにいる、この……頭のすみっこにある自分とサ氏しかいない部屋の、今この、正直たぶん本編からもちょっと宙に浮いてしまって自分の脳裏にぺったりくっついてるサ氏は、草いかだでも良いからとにかく船に乗せないと、そのうち氏をいつも観測しているこの自我の死に巻き込まれて、こんがり焼かれて復号できないカピカピの炭素とかの塊になってうちの墓に置いておくしかできなくなる。自作も思考もなんでもそうだけど、閉じ込めたい気持ちはあるけどそんな私情からさえ離れてどっかへ行ってみてほしい、それがたったの120年経てば不可能になる、必ず迎えざるをえないその状況が不安でならない。

いいかんじにできた絵

前々から、とにかく千年後のサ氏のために、AoMには紙の本になってほしい。永年保存されてほしい一心でそう思う。可能な限り立派な船にのせて差し上げたい。ただ、さっき書いたとおり広義の本編はそうそう消えないはず、1年後の心配ですら必要なのは原本だ。最近の自分は、twitterが滅亡したときのためにどうにか人の流した船を手元に保てるよう、感想やら自分の思考やらtwitter版とnote版の相違点やらをストレージにちまちま引き上げている。twitterがすみやかに転落したのには冷ややかな気持ちが勝つものの、勝手に一級河川と思い込んでいたtwitterの命が思いのほか井戸のように儚くてそれ自体がちょっと悲しいというのも多少はある。

なにも全部を永らえさせたいわけでは全然ない。まずもって手間が莫大だし、爆破した自作がそうだけど滅ぶことがある種の慰めや安心でもあるのもよくわかるし、逆に思考の中には道連れになってほしい部分のサ氏もいるからそのへんのは出力してないとかもある。ただ、好きなキャラに対して、もしかすると千年後どっかに流れ着いてるかもね、と思える状態で過ごせると、自分は深く安心する。なにごともバランスだなあと思う。

国立国会図書館には、実はひとつもサ氏が所蔵されてないわけではない。情報処理学会誌であるところの月刊「情報処理」2023年2月号に、AIで出力したイメージとして氏が載っているので、これだけは確実にある。

お召し物の布面積が莫大そうでかわいい

お名前がどこにも載ってないのが若干悔しい気はするものの、とにかく図案は載っている。千年後の人もたぶん原作小説が気になって探してみることだろう。上の写真は個人的に買った当該学会誌で、偶然サ氏がいるページのサ氏がいる図にだけ紙に傷が入っていた。自分だけのこの一冊になってくれたのが嬉しかった。傷が入ってる月刊情報処理2月号もちゃんと千年後も元気にしててほしい。

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