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去年のドイツ旅行記3

Dresden

 ベルリンから高速鉄道で2時間。前情報のドレスデンの右傾化を気にしていたが、出会う人達はベルリン同様、気さくで優しかった。地下鉄は走っておらず、トラムが移動手段。観光客と年配者が比較的多い街だった。
 ドイツに来てからサンド続きの朝昼だったので、アジア的なものが食べたくなっていた。ベルリンで働く先輩にお会いしたときに、ケバブがドイツアレンジも加わり最も美味しい食べ物になっていることを聞き、すごい熱量でケバブ屋を探した。後からいくつも発見することになるのだが、最初に見つけた新市街のモール近くで食べることができた。本当に美味しかった!

 街中をあてどなく歩くことにした。まずは有名な旧市街から。古いバロック様式の宮殿、オペラ座など。黒く焦げた箇所は爆撃でそのまま焦げたのではなく、焼け残った断片を組み合わせて再建しているものかもしれない。想像以上にごつく大きい建物が人間の身体に対して圧迫的だ。線形のイタリア建築と異なりやたらドームや円形を好むのは、もしかしたらロシアから続く東側の文化なのかもしれない。
 今の時期はクリスマス後のオフシーズンで、教会の多くが改装工事中で入れなかった。旧市街を一周していると、想像以上の発見があった。まずはシナゴーグ。入り口が目立たず、おそらく観光客向けには開放されていない。その近くに何かしらのモニュメントがあり、英語がなかったのでホテルに帰ってから調べるとそれはクリスタルナハトで破壊されたシナゴーグのモニュメントであることが分かった。たしかに1938年11月9日の日付があったので、想定すべきだった。あの日、首都近郊だけでなく全国的にユダヤ人への迫害があったことを、長く鉄道に乗ってきただけにその規模の広さを実感する。差別的な思想がこれだけ広くの大地を覆っていて、一斉に行動に移された過去の事実を忘れてはならない。

 ドレスデンは東ドイツ時代の旧共産圏とだけあり、それらしいアパート群や文化施設があった。オレンジやピンクなどで塗られた外壁も色褪せ、楽しげに見せようとしたものがかえって過ぎ去りしものを彷彿とさせている。
 観光地区の旧市街と新市街の間にある文化宮殿と呼ばれる現文化センターは、建物外壁のレーニン混じりの巨大壁画がソ連共産党プロパガンダをもろに表している。ただでさえ旧市街と新市街のタイムスリップ的な違いに驚くのに、この光景は異様だったので中に入ってみた。建物に顕著に表された政治と文化の歴史、思想。建築的にはコモのカサデルファッショの遺伝子を継いでいるような随所の美が見られる。多面のガラス窓が内外ともに明るい印象にしている。ガラスの透明性が、単に白壁にすることよりも景色と生活に馴染み、威圧感を軽減している。

 ドレスデンに来てモダニズム建築にしか入れていないので、最後の望みを託し帰り道に文化宮殿近くの教会をあたると、入ることができた。この街が全般的に爆撃を受け、かつて世界一美しい街と言われた景色が灰に化したことは知っていたけれども、この教会はそのインパクトを残していた。建築内装飾を一切排除し、コンクリートで固められたグレー一色の内装は洞窟のような空間で、かえって祈る場としての普遍的な教会のかたちをとどめている。再建とはどうあるべきなのか。新しい素材で元通りに似せて作ることだけが復興の象徴ではないだろう。建築とともに破壊された心が求めるものは、こうしたものかもしれないとも思う。今も使われ続ける、生きるメモリアル。併設の小さな祈りの場に、教会の過去の写真が複数展示されており、あまりの違いに驚く。どちらが良いとか美しいとかはない。

 足を休めて新市街の名物牛乳屋へ向かったが、早い時間に終わっていたのでまた近くをあてどなく歩いた。飲食店のようなbgmの響く大きな雑貨屋で、かわいらしいドイツ小物に出会いお土産を買えた。

参考 https://www.alamy.com/stock-photo-memorial-at-the-place-where-the-old-synagogue-stood-until-1938-dresden-16888811.html

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