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feb 26, 2021

 昨日、史上最年少で岡本太郎賞を受けた大西茅布さんの展示を観に、初めて岡本太郎美術館へ。正直賞にはあまり関心なく普段生きているのだが、テーマ、規模、世代からして、日本の流行を無視した骨のある絵画が受賞したことが話題で気になり午後駆け込んだ。

 絵画という最も古典的なメディアが、他を圧倒していた。その様子に、人と絵画の深い繋がりに想いを馳せずにはいられなかった。スペインの教会で観たエル・グレコをはじめとする宗教画や、ルーブル美術館で観た手の届かない高所にある巨大古典絵画の迫力、キャンバスを超えて額縁にまで緻密に絵を描いたフリーダ・カーロの魂こもった作品群を思い出す。塩田千春展の木の窓枠が天井高くまで敷き詰められたイメージも頭によぎるが、やっぱりその額縁の中身にぎっちりと「人類の悲惨」が入っている点で、具象を用いることが想像力を奪うのではなく、最も見たくないけれど見なければならないものを直視させていて、それが良かった。表情の切り取りが巧妙で、目を離させない。ジョージ・フロイドさんもいた。

 人のイメージが紡ぐ物語性、現実の鏡としての絵画。"新しい絵画""新しいモノ"を追究する中で、置いていかれがちになる人間の世界。なんとなく雰囲気が良くてストレス度の低いオシャレなものや、完成度のよくわからない(とされる)抽象画、「どうだこれが男の欲望だ」というようなセクシズム作品が日本の美術界に溢れる中で、最も抑圧され声を消された者は誰なのか真剣に考え、エネルギーが画力に伝わる若い作家が出てきたことに希望を持った人は多いようだ。私自身も抽象的なイメージにこだわることの必然性を考えさせられる。彼女の作品には、一般に人の考える美というものがあまりにも軟弱になってしまったことを反省させられるようなアイロニーもある。今回の展示の普遍性ある力強さは、流行にとらわれず現実にある問題をよく観察し正確に描こうとする冷静さ、なんにしても誤魔化さないことに裏打ちされているように感じた。上の世代が避けたり茶化してきた問題を正面から取り扱うところに、新たな世代の希望と切迫がある。いや、世代の話ではなくもちろん彼女独自の力と視点であるのだが、これを才能と一括りにして他人事にはできないまさに我々の問題、が沢山描かれている。「芸術を好き嫌いで語るな、好き嫌いで見るな」という恩師の言葉はこういうことだな、とも思った。

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