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桜の季節がまたやって来たことが、とてもうれしい

ここ最近、大学生がSNSに卒業ポストをしているのを、そういえば大学生のころもあったな(あまり思い出せないので)、ぐらいに読み飛ばしつつ、桜の最新情報をせっせと追っています。やっと、一眼を新調したこともあって、桜の季節、すごくそわそわしてます。

去年、Mediumに書いたことがあるんですが、桜を見ると誰しもが上を向くんですね。それを端から見ると、その姿が何だか希望に満ちているようで、見ていてすごくいいなーと思うんです。今年も、その季節がやってきたことがうれしいし、今から待ち遠しいです。

桜があれば、上を向いて歩いていける。 - Medium

それまでは、寒い寒いなんてぼやいていたのに。ちょっとあったかくなって、桜の蕾を見てると思うんです。

「あ、もう桜の季節なのか」って。

去年は、まだ一眼すら持っていなかった。転職も、していなかった。住む場所も、ちがった。同じような毎日で、特に変化がないような生活をしていると思ってた。けど、いろいろな小さなことが積み重なって、大きくシフトチェンジした1年だった。

毎年思ってることだけど、去年よりも今年の方が、もっと面白くなってるなと感じます。

引っ越して、多摩川近くに住み始めたので、今年は河川敷沿いの桜を見たいし、自由が丘の緑道の桜を見たいし、目黒川の桜も見たい。他のところも桜も、見れることなら見たい。ゆっくり。こんな写真が撮りたいよ。

▶ Cherry Blossom 2015 - ORDINARY DAYS

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桜に関して、毎年この季節になると見返している文章があるので、最後に、それを紹介して終わりにします。せっかく見に来てもらったのに、どうでもいいことしか書いてないので。

以下は、ほぼ日で糸井さんが、2014年4月8日に公開した「今日のダーリン」。タイトルは『なくてもいいものとは、あってよかったなあと思うものだ』です。

桜の木があってもなくても、なにか困るかと問われたら、問う人を納得させられるようなことは言えない。 
桜の木などなくてもいいということばにくらべて、言い返すことばのほうは、かんたんではない。だけど、しかし、言い返すのはむつかしくても、ほんとうのことを、ぼくらは知っている。実は、桜の木ばかりじゃなくて、ぼくらの知っている世界のほとんどは、なくてもいいものばかりなのだということを。
手入れをしてきたわけでもないし、桜のことを思い続けていたわけでもないのに。この島国に、こんなにたくさんの桜の木がある。たぶん、その多くは、人が植えたり育てたものだろう。なくてもいいものが、こんなにたくさんあってよかった。

桜を見ると、少しだけエモくなっても許される気がするね。来週で、3月が終わる。BAKEに入って、そろそろ2ヶ月が経とうとしている。

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