メディアの怠慢、編集者の怠慢
noteでフォローしている松倉さんが、「毎日何かを書く」という習慣を続けている。
たぶん、松倉さんは自分よりも10倍以上忙しいはず。なのに、それができているということは、自分の時間の使い方が怠惰だということだ。
ほぼ日の糸井さんが「今日のダーリン」で、こんなふうに書いていた。
得意でないことは、毎日やるのが続けられるコツだぞ。なにせ、「毎日やってるっていうだけで感心じゃない?」とか、「継続が力ですよ」とか、「努力家だ!」とかね、他人が言ってくれるばかりでなく、じぶん自身でさえも、「ま、毎日やってるんだしね」と、半分くらいは得意げに、いけしゃーしゃーとしてられる。
最近、頭のなかでボーッと考えてメモしておくけど外に出さないままアーカイブされていくことが増えた。それをずーっと残しておくから、なんだかモヤモヤが溜まっていく。せっかくだから、吐き出していこうと思う。
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昨日夜、しおたんさんが鍵アカで深夜に投稿していたツイート。心当たりがあって、思わずギクッとしてしまった。
「いい記事なんですけど読まれなくって」はメディア側の怠慢
バズらなくてもいいから、読むべき人に届けばいい、ってのもわりと怠慢。読むべき人にも届かないのではダメなんだ。
もともと、あまり知られていない素晴らしいものに光を当てて広く知らせるのがメディアの役割。なのに最近の自分は、広く知られているお店に取材をすることでそのお店のパワーを使って拡散をしていた。
でも、それって役割としておかしいんじゃないかと薄々思っていたところだったので、その心を見透かされたような気分になった。お店ありきで、お店に寄りかかっているのを良しとしているのは、編集者として自分の怠慢だと思い、その夜は落ち込んだ。
ただ、次の日からアイデアがポンポン出てくるわけではない。でも、少しずつだけど、そういう意識を持っていかないと、いつかダメになってしまう。
ストレートに伝えることもひとつの方法だけど、伝わりづらいものをそのまま伝えるだけではいけない。少しひねって届けるために頭を悩ませることが自分のするべきことなのではないかと思った。
編集とは、既存のアイデアの掛け合わせで生まれるのだから。
(Photo by Sergey Zolkin on Unsplash)
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