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「できない」のはその“方法”を知らないだけである

「〇〇ができない」は、限りなく「できる」に近づけることができると、僕は考えています。「できない」ということは、その方法を知らない(自分の中の解を持っていない)ということ。その方法が分かって実践すれば、完ぺきにまではいかないものの、「できる」のレベルを上げられるではと思っています。

というのも、ほぼ日で、糸井さんと西條剛央さんが対談をしているコンテンツの中で、「構造構成主義」についてこんな話が書かれていて、それを読んだときすごくうれしかった。それがこの考え方の原点になっています。

「方法」というのは、必ず「ある特定の状況」で使われますよね。「ある特定の状況」のもとで「ある目的を達成する手段」のことを「方法」と呼びますが、これって「例外」がないんです、定義上。ようするに、考えればいいポイントはふたつしかない。それは「状況」と「目的」です。今はどういう状況で、何を目的にしてるのか。このふたつを見定めることで「方法」の有効性が決まってくるんです。

つまり、方法には例外がないということ。

もちろん、その方法を得るには相応の時間やお金が掛かるかもしれないけれど、できないことはないということが、当時の自分にとって目からウロコが落ちるようでした。

それをつくることができた人たちにリスペクトしながら、すごいと思う作品は読み返したり見返したり模写したりして、その人の考えを追憶する。観察し、思い巡らせ、やってみる。そのために動いてみることが大事なんじゃないかと。

「できない!」で終わらせるのではなく、「自分はその方法を知らないだけなのだ」と考え方を少し変えてあげること。そして、【今はどういう状況なのか】【何を目的にしているのか】を定めてあげることで、自分のできる幅はもっと広がっていくのではないかと、考えています。

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