「何故勉強するんですか?」

昔、塾で数学(確か立体図形の範囲)を教えていた中学生に聞かれた言葉。
ふと、昔の自分を思った。
勉強嫌いだった高2までの自分。
英語を学んでから、勉強の楽しさに気づいた高3の自分。ありがとう関正生
過去の自分を見て気付いたことは、結局なぜ勉強しなければいけないのか、という問の答えを出さないまま過ごしていたという事実だった。
気付いたら勉強の面白さを知ってしまった僕にとって、「なぜ勉強しなければいけないのか」という問を議論する必要性がなくなったのだ。「面白いからやるんだよ」という答えになってない答えを持ったまま高校3年生を過ごしていたのだ。今一度、この問にぶつかる必要がある。

僕は問題を解くために必要なものは2つあると思っている。それは「知識」と「思考」だ。自身の知識から引っ張り出してきた必要な情報を素材として、設問に対する解答を作り出す行為が「思考」である。知識があっても思考能力がなければ答えを生み出せないし、その逆も然りである。この2つは互いに必要不可欠なのだが、正直、記憶というものはいつでもできるのだ。本に書いてあることを覚える。教科書に書いてあることを覚える。人の言っていたことを覚える。これらは他人の力ではどうしようもない。その人自身が覚えようとするかどうかによってのみ決まるもので、極論どこでもできるのだ。僕が思うに、学校で行う勉強というものはこの「思考能力」を鍛えるトレーニングなのだ。覚えたこと=知識をアウトプットし、こねくり回す力を鍛える場所が学校であり、その行為を勉強と呼ぶのだ、と。

「何故勉強するのですか?」という問は2つの意味を孕む。
「何故(こんな内容を)勉強するのですか?」と
「何故(我々は)勉強するのですか?」の2つだ。
前者に関してはまぁ文部科学省さまの決めたことだしなぁとしか言いようがない(後述するがこれには最近後付けの理由ができた)のだが、後者に関しては明確に答えよう。「考えるため」だ。我々は考えるため、思考するために勉強している。その思考能力というものは、あって困ることはないが無いと非常に困るものであるからだ。つまり、自分の頭でよく物事を考えず、目の前の情報をすぐ鵜呑みにするような人間になってしまうかもしれない、ということだ。
そしてこの「目の前の情報をすぐ鵜呑みにする」と何がいけないか。
その情報がフェイク、嘘だったら?先の後付け理由とはこれである。現代社会ではフェイクニュースが当たり前のように流れてくるが、その中でも中学・高校レベルの学術的知識でも簡単に嘘だと証明できるフェイクは少なくない。そのような情報に出会ったとき、嘘を嘘と見抜くための知識と思考力を身に着けるためにこんな意味の分からない単元を勉強しているんだ、と説明できる時代になってしまった。正直、思考できれば単元は何でもいいと思っているのだが、まぁ思考力と一口に言っても様々な種類があるため、それらの思考力を満遍なく鍛えられるという点では、そのような内容を学ぶのが適しているのだろう。

まとめよう。
「何故勉強するのか?」という問いに対する答えは
「考える(力をつける)ため」だ。僕はこれからそう答えるだろう。

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