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真の学習とは

学んで理解するということはどういうことなのだろうか、ということがやっと分かった。

つまり、向後先生の「教える技術」で言うならば、領域固有性からの転移でJUMPしたと言うことだ。

領域固有性とは、学んだことを他で活かせない状態を表す。つまり応用が利かないということだろう。例えば、数学の足し算がわかると、買い物をするときに合計金額を確認できたり、引き算がわかるとおつりが予想できたりする。 もしこの応用が効かず、教室の中で黒板やノートによる計算のテストだけに有効で、それが教室以外、もしくが黒板やノートの中でしか使えなかったとしたら、無益だし、果たしてそれを学習とよべるのだろうか。

ベイトソンの理論で言えば、それは学習0と定義つけられているので、何かを知ったということであれば、学習なのだろう。しかし真の学びとしては、実社会で実践的に使えなければ学習したとは言えないのではないだろうか。

それは、即ち領域固有性からの脱却、もしくは応用のような、転移が必要なのだろう。その転移を起こすのには、学習した本人の態度が重要になってくるのだが、自分一人で転移を促すのは難しい。なぜならば態度のように習慣つけるのには、日数が必要だからだ。一朝一夕には習慣を変えるのは難しい。

一方で他者を介在して、自分の取り巻く環境を変えることで態度を変えることは比較的容易だ。それは、場の心理のように、人は自分の居場所によって態度を変えている。例えば家庭では父として夫として自分を演じるだろうし、職場では、部下や上司として、その態度を振る舞うのだろう。

こうしたことからも言えるように、普段接しないような人との場を作ることによってその態度を比較的自由に変えることができるのである。

そこで、最初の領域固有性から転移の話に戻るのであるが、今いる環境が領域固有性の中であると考えるならば、そこでの学びは学習0もしくは学習1にすぎない。 しかし環境を変えてもそこで応用が効き、違った形で活かせるのなら、それは転移して学習2の領域にいけるのではなかろうか。

それが、つまり学んで理解すること。何にでも応用が効くようになったことが真の学習と言えよう。

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