見出し画像

言葉はいらない

昨年、知人に頼まれて外国人に仕事を教える機会があった。

本来の目的は、弟子入りして本格的に仕事を教えることと、日本語もついでに覚えて欲しいとの依頼であったが、人ひとりを雇う余裕が無いのと、言葉も通じないのに、日本語を教えることは更に困難になので、日本に慣れるまでのお手伝いということで、引き受けたのである。

彼は、ヨーロッパ出身で、イギリスで数年間過ごしていたので、母国語と英語、そして少しのイタリア語は話せる。しかし、日本語は全く話せない。私はと言うと、散々英語の勉強をしてきたのに、未だに英語は話せない。

そんな彼とのコミュニケーションは、互いのスマホの翻訳機能を利用して、最初の頃はやり取りした。例えば、「昨日は何してたの」「What did you do yesterday?」とか、「何食べた」「What did you have for lunch?」など、簡単な会話だ。しかし仕事の話となると、とたんに難しくなる。例えば、壁紙に糊を付ける時のポイントを細かく説明することや、壁紙のなぜ方、はたまた壁紙を切る時のカッターの角度や力の入れ方など、技術的なことは細かく、しかも一つのパターンだけでなく、様々なシーンに対して「こういう時はこう、でも違う場合はこう」みたいな、現場ごと、壁紙の種類ごとに細かく説明しなければならないのだ。

だから最初のころは、ルー大柴のように「ルック、ルック、ルック」と言って片言の英語で何とか説明して、私のやり方を見せて教えたものだった。

そんなことが1週間ほど過ぎ、これからどうするか悩んでいる時に、たまたま同郷の外国人が東京で仕事をしていることが分り、その彼の下へ就職することが決まった。

あれから1年が過ぎ、この一年間で数日間、私のところに手伝いに来るときがある。実は今日も来ていた。未だに私も彼も会話らしい会話は成立していないが、なぜか一日一緒に仕事をしていてスムーズに仕事が進む。

そして、何となく互いの日常も分かるのだ。たまたまかもしれないが、馬が合うとは、こういうことを言うのだろう。インストラクショナルデザインを学んだ私は、スモールステップで彼に仕事を教えようと思っていたが、彼は教える前から、自分で学ぶ技術を身に着けていたのだろう。

外国から日本に来ている時点で、学ぶ技術は当たり前の技術なのかもしれない。そしてやる気さえあれば、仕事をするのに言葉はいらないのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?