古典と現代のクラッシュ、『カクシンハンのシェイクスピア』 4

(完全に「素」の舞台演出(2)からの続き。。)

完全に「素」の舞台演出(3):
うずだかく積み上がったパイプ椅子の山。そこで開幕した舞台に現れた俳優たちの姿は、なんと、「ジャージ姿」!

え、ジャージなの!?(笑)

思わず、笑いが生じてしまいます。先程まで感じていた、緊張感や不吉さ、不穏さ、居心地の悪さが、一瞬のうちに吹き飛びました。

「ジャージ」、という極めて日常的な、日本人なら絶対に誰でも着たことのあるそんな衣装での登場。緊張感は一気に親近感に変わり、舞台にそのまま入り込んだ気持ちになります。と同時に、中世ヨーロッパの舞台を鑑賞するという態度から、入り込んむ世界へと自然に誘われたように思います。

またしても見事に裏切られました。

また、俳優たちの赤と白のジャージ姿は、これから始まる「薔薇戦争」の白薔薇と赤薔薇を象徴しつつも、視覚的には非常にシンプルな情報だけを伝えることに見事に成功しています。シェイクスピアの戯曲というと、登場人物が100人以上ということも稀ではない作品で、この「ヘンリー六世」も例外ではありません。それを舞台衣装で細かく分けることで人物描写することを、あえてせず、白と赤のジャージだけで非常にシンプルにメッセージ化してしうまう、この大胆さ。大きく言うと、『白vs赤なんだよ』というとても単純な構図をヴィジュアルにメッセージ化してくれることで、「複雑な人間関係を理解しなければならない」という観客側の論理的な理解の負荷を極力排除してくれて、作品世界の中に見事に没入させてくれました。

この視覚的な演出はその後も継続していて、フランス軍は青というように、カラーによるシンプルなメッセージで、物語の構造を極力簡素化してくれます。通常一部一部が2時間以上で、3部合わせると8時間にもわたる超大作「ヘンリー六世」をぐぐっとまとめて4時間程度にするということなのだから、何かしらの演出的な操作は必要です。それを色という原始的な方法でやってのけていること、そして、ジャージというデザイン言語によって、「中世の遠いお話」というよりは、「2019年の東京」という場所に生きる僕たちと同じ世界に引き入れてくれ、親近感と没入感も生み出している。

『カラーとフォーマットによる、物語の単純化と、親近感・没入感の醸成』

一言で表現するならば、このような表現が見事に演出されていることになります。私はその魅力に一気に虜になりました。

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