多様性という言葉の違和感
多様性の時代だからこそ、自分と違うことを認めていかなければいけないという罠に陥ってはいけない。
こんばんは。
心理カウンセラーで文章屋の大山です。
多様性
多様性という言葉自体を否定する訳ではありません。
多様性を認めることは重要なことだとも思います。
では、多様性とはどんなことなのでしょうか
おそらく、「みんな違ってみんないい」、ということだと解釈しているのですが、もっと違った目線で向かい合っていこうと思っております。
まずは、みんな違ってみんないいという状況は変わらずでいいと思います。
相手を尊重すること、自分と違ったとしても認める、否定しない。
それはそれでいいし、今に始まったことでもありません。
では、私がどこに引っかかっているのかというと、多様性という逃げ道を作ってはいけないということです。
多様性だからといってなんでも受け入れることができるかというと、おそらくそんなこともなく、認められない、認めてはいけない部分も存在します。
もっと言うと、多様性が独り歩きをしてしまうとどこに向かっていくのかというと、「無関心」です。
自分と違ったことでも「それはそれでいいよね」
認めているようにみえて、あまり関心を持っていないことが分かると思います。
自分と少し違う、それは昔からあったことで、それを無理やり自分の思い通りにしたいとか、力で自分と同じ方向を向かせるというのは今も昔も間違った考え方のように思えます。
では、それはそれでみんな考え方が違うからいいんだよ。
と許せる範囲はどこまでいくのでしょうか。
少し前は共感というキーワードがあったような気がします。
これはSNSなどで共感を得ることが重要だった何年間か。
多様性の時代の共感。
自分と違う、でも多様性の時代だからそれはそれでいいよね。
共感しているように聞こえて、共感している訳ではなく近づこうとしてないだけ。
そうなんです。
多様性とは、人との距離を取ること。
自分の範囲に人を寄せ付けない考え方でもあります。
多様性
人との距離を取るときには最強の言葉だと思いますが、仲良くなるためには少しやっかいな言葉です。
ですが、多様性の時代だからこと、それはそれでいいと思いますし、違うと言うこともないと思います。
この感じ。
ちょっと人間関係を諦めた感がありませんか?
「いいんじゃない。別に」
といった印象を持ってしまいます。
人には踏み込んでほしくない領域があります。
そこには踏み込むことはしなくてもいいと思うのですが、人は誰かと違うところを見て、何かを学ぶんです。
それはそれだよね~といって流していたら、おそらく自分の範囲から抜け出すことができません。
つまり、成長しない。
成長しないとまではいかなくても、成長速度が遅い。
それも多様性という言葉で流されてしまう。
比べることから逃げる言葉として使ってしまうと、自分の自由にできると思いきや、苦しくなると思います。
かなり個人的な考えですが、多様性もいいのですが、例えば違った考えのj人と出会って、自分の行動が変わるとしたらどうなるのか、という興味の部分も大事にしたいものです。
では、本日は多様性についてお伝えしました。
おやすみなさい
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