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短編戯曲『ルサンチマン』(習作)

[Side B: 環 英志]

▼登場人物は2人。年齢・性別は任意で。2人とも男性を想定して書いているが,女性でも構わない(その場合,一人称は変更の余地あり)。

A:「あのさあ,『ルサンチマン』って言葉知ってる?」

B:「ん? 確か,ニーチェが『道徳の系譜』って本の中で言ってたことじゃないの?」

A:「そう! さすが物知り博士! いやぁ,俺さ,最初その言葉聞いた時,『え? ルサンチマン…? スーパーマンとかウルトラマンの親戚? 新しいヒーローもの?』とかって思っちゃってさー!」

B:「あはは。まあ,知らないと無理はないよね。で,ルサンチマンがどうしたの?」

A:「いや,実はさ,俺も最近知ったことばなんだけど,何かこう,今の社会の現状を表すのにぴったりの言葉なんじゃないかな,って。」

B:「というと?」

A:「『ルサンチマン』ってさ,弱者が強者に対して持つ〈恨み〉の感情ってことだろ? いや,ほら,今ってさ,格差社会じゃん? だからSNSとかにもさ,『国』とか『上級国民』に対するルサンチマンがあふれかえっているんじゃないかなって。でもさ,そういうの見てると,なんだかみじめだよなぁ,って思うんだよね。そういう恨みごと言ってる連中ってたいてい,政治家や政府や金持ちを悪者にしてさ,てめえじゃ何にもできない下々の愚民のくせにさ,偉そうな物言いするじゃん。この前もさ,どこかの国の首相が健康問題を理由に辞任したら非難轟々でさ,もうなんか,みっともないったらありゃしないよね。政治家は社会のために頑張ってるんだし,完全無欠の政治家なんていないんだから,多少問題があっても下々の愚民共は黙って従ってりゃいいのにね。それに,そんなに文句があるんならてめえ政治家になりゃいいのにさ。」

B:「まあ確かに,ニーチェが『ルサンチマン』という言葉を持ち出したのは,高貴な人々とか,権力者とか,支配者とか有力者に対して,力では勝てないから,精神的な復讐を果たそうとした,つまり,奴隷による,道徳における精神的な反乱を成し遂げようとした,というところからきているから,君の言ってることはあながち間違ってはいないと思うよ。」

A:「うーん…。何か含みのある言い方だね。」

B:「そうかな?」

A:「うん。だってさ,『あながち間違っていない』ってのはさ,必ずしも正しいとは言い切れない,ってことじゃないの?」

A:「まあ,そうだね。」

B:「てことは,俺の言ったことに全面的に賛同できない,ってことだよね?」

A:「うん…」

B:「じゃあさ,どこに納得できないのか教えてよ。」

A:「ニーチェはさ,『高貴な人々』と『ルサンチマンを抱く人間』を対立的に描いているんだよね。で,高貴な人間にはルサンチマンは全く現れないって言ってるんだ。」

B:「ふむふむ。その通りじゃないの? だから政府とか上級国民とかを叩いている連中は,まさにルサンチマンのかたまりだよね?」

A:「でも,そうした二項対立の図式では,あまりにも単純化しすぎてるんじゃないか,って思うんだ。君が言っていた『上級国民』っていうのが,ニーチェの言う『高貴な人々』のことだとしても,それはごく狭い世界の中での上下関係を示しただけに過ぎないんだよ。」

B:「どういうこと?」

A:「上には上がいるし,下には下がいるってことさ。」

B:「…?」

A:「たとえば,ある国が戦争に敗れて別の国に支配された。仮に,負けた国をN国,勝った国をA国としようか。それまでN国の高貴な人々,つまり支配階級だった人々が,A国の支配階級に押さえつけられたり,処罰されたりすることになったわけだ。」

B:「うん。」

A:「そうなった場合,N国の支配階級は,上下関係で言えばA国の支配階級より下になるだろ?」

B:「まあそうだよな。占領されたら言いなりにならざるを得ないわけだし。」

A:「なら,N国の高貴な人々は,A国の高貴な人々に対してルサンチマンを抱くことになるはずだよね?」

B:「まあ,そうだよね…」

A:「だけど,N国の内部においては,N国の高貴な人々やその子孫たちがまだ実権を握り続けていて,A国から支配を受けていることなんてないかのようにふるまっているとしたら…?」

B:「うーん…」

A:「N国の高貴な人々を突き動かしているのは,実は,A国に対するルサンチマンなんだよ。そして,君の言う『上級国民』も,結局のところ,A国からすれば『下々の愚民』に過ぎないんだ。」

B:「まあ,そうだけどさ…」

A:「だからN国の高貴な人々は,A国から押し付けられたルールを嫌い,もともと自分たちが持っていたルールを取り戻そうとするんだ。それがあたかも美しく,正しいものであったかのように正当化しながらね。」

B:「てことは,社会のすべての人間がルサンチマンを持っている,ってことになるんじゃないの?」

A:「うん,そうだろうね。ルサンチマンのない人間はいない。そして,君が擁護したがっている政治家も政府も,言ってみればルサンチマンの塊なのさ。これはある国での話なんだけど,ずっと昔,戦争に負けて国の主要な指導者や役人たちが次々と処刑されたのに,なぜかたまたま処刑を免れた役人がいたんだ。」

B:「ふむ。」

A:「その役人は,どうやら勝った国に対して陰で賄賂を贈ったらしいんだ。あと,国の機密情報を横流しするスパイとしても働いていたらしいんだよね。戦後しばらくの間は,表向きは謹慎処分を受けていたんだけど,ある日突然,その謹慎処分が一斉に解かれたんだ。そしたらその役人は表舞台に復活して,その国の最高指導者になってしまったんだ。」

B:「どうしてそんなことができたの?」

A:「戦勝国の操り人形だったからだよ。さっき言ったように,賄賂を贈ったりスパイとして働いていたからね。」

B:「あー,なるほどね。」

A:「ただ,その最高指導者は,ある日突然失脚するんだ。」

B:「どうして?」

A:「その最高指導者が作った法律が戦勝国の言いなりになるような内容で,それに対して民衆が猛反発して大規模なデモが行われたからだよ。法律は成立してしまったんだけど,社会が大混乱を起こしたから,その指導者は責任を取って辞任したんだ。」

B:「それがルサンチマンの話とどう繋がるんだい?」

A:「いや,話はここからなんだ。実は,その最高指導者の孫もその後,政治家になって,国の最高指導者に上り詰めたんだ。ただ,その動機が問題で『大好きなおじいさんを失脚させた民衆に復讐する』って言ってたらしいんだ。」

B:「なるほど。その孫がルサンチマンを抱いていた,ってことか。」

A:「その通りだね。それに,この孫は,二重のルサンチマンを抱いているんだよね。一つは,おじいさんを侮辱した民衆に対して。そしてもう一つは,おじいさんを利用して言いなりにさせた戦勝国に対してね。でも,こうした二つのルサンチマンが,この孫の政治家としての基本原理だから,実際には中身なんて全くない,美辞麗句で飾り立てたスカスカの政策だったんだよね。まあ,その孫にはその後,利権絡みの疑惑が数々出てきたんだけど,どれも明確に説明もせず,おまけに公文書を改竄させて証拠を隠滅したり,議会でものらりくらりと逃げるだけで,最終的には健康上の理由にかこつけて何の責任も取らずに辞任したんだけどね。」

B:「へぇー。そんな酷い話もあるんだね。」

A:「うん。ところで,一つ,君に尋ねたいんだけどさ。」

B:「何?」

A:「気を悪くしないで聞いて欲しいんだ。君はさっき,『下々の愚民共は政治家の批判をするな』と言っていたけれど,それだとまるで君自身が『下々の愚民』には含まれていないみたいだよね。じゃあ,君はいったいどこにいるの?」

B:「…え,いや…。」

A:「おそらく君は,自分を『上の人間』と同一視して『下々の愚民共』を見下すことで自分を保とうとしているんじゃないのかな。本当は,君も僕も『下々の愚民』の一人なのに。そうやって自分のルサンチマンから目を逸らそうとしている。少なくとも,僕の目にはそう見えるんだ。」

B:「そ,そんなことあるわけねえよ!」

A:「じゃあ,君は一体,何者なんだい?」

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