もう飲んでますけど、何か。
中古家電としての俺
そんなに目立ったキズも見た目にはなく、動くっちゃあ動く。
そんな「俺」という中古家電。
発売から39年経っているので、割と格安。
それを俺自身が街の電気屋で見つけたとする。
俺は、俺を、買うだろうか。
もちろん訳アリなので、店頭の「ポップ」にはちゃんと下記書いておいた。
『内部でネジが数本外れており、人間界では「片頭痛」と呼ばれる小さな機能不全が一日のうちに1,2回起こります。そうなると若干、動作が鈍ります。また、製造時のエラーがあり、これも人間界では「痛風」という機能不全につながりえますが、一日に一度簡単な手入れをしていただければそういった機能不全はほぼ起こりません。総じて、日常の使用は十分可能です。』
ただいよいよ使えなくならないように、「メンテナンス」が結構大変だ。
3,4種類くらいの「工房」にそれぞれ1~3か月に一度通って「職人」に色々とアレしてもらわないといけない。
そうしないと、何やら将来的に大きな「故障」、もはや「修理」すらできないレベルのヤツも起こりうるとか、起こりえないとか。知らんけど、それは怖い。
ちなみに、人間界では、「工房」は「病院」、「職人」は「医者」と言われている。
このメンテナンス費用が、なんだかんだで月々1.5万円くらいかかる。
職人も儲けないといけないので仕方ないが、けっこうこっちの不安をあおってきて、次の「メンテナンス」予約をガシガシ入れてくる。
そのほかマジでヤバい故障など、オオゴトになったときに備えて、任意だが、月1万円分くらいの「保険」にも入ることが強く推奨される。
「保険」はそのまま、人間界でも「保険」と言われている。
つまりホケン屋からすれば、ヒトも、中古家電店のモノも、おんなじ扱いなのだ。
うん。買わないね。
そんなランニングコストがかさむ中古品、俺だったら買わない。
酒を辞めるのをまた辞めた
しかし俺が俺を買わずとも俺は俺自身なのだから俺なのだ。
「新品の俺」がもうこの世に存在しない以上、「中古品の俺」こそが俺として俺し続けるしかないのだ。
すなわち、俺は俺でしかありえない俺なのだから、俺ゆえに俺が俺なのだ。
若干、哲学が過ぎた。
ともあれ、今後いろんな不調が出てきてもごまかしながら生き続けるしかないのだ。俺。
医者の言いつけをよく守って。
そんななか、酒を辞めることを、また辞めた。
つまり、呑み始めたのだ。
数名の「心配」ゆえにメールをくれた諸君。すまん。
君たちを含め人間が過ごしている時間などというのもはあまねく無駄だということはわかりつつも、そのなかでも俺なぞを気遣うのは最も無駄なことで「宇宙第2位」だからだ。
ちなみに「宇宙第1位」は、パックの納豆をあけたときに表面に被さっているビニール的なアレである。
あれは要らない。本当に要らない。
どんなにうまくとろうとしても、貴重な豆を1、2粒必ず浚っていく。それをまた戻すために色々とアレしているうちに、必ず手が汚れる。
あとついでに言えば、あのマジックカットの納豆のタレ。あれもダメだ。3回に2回くらい変な方向にしかも無駄に勢いよく空いて必ずまたそこで手を汚す。「変な感じで空く」という「魔法(マジック)」がかかっているのか。
話が逸れた。
ともあれ、いやはや我ながらあっぱれな、生粋のミニマリストぶりである。
酒を辞め、ツイッターを辞め、酒を辞めることをまた辞め、どこまで辞め続けるんだ、俺。
このままいくと来月には人間であることを辞めるだろう。
そればかりか、再来月には生き物、つまり有機物であることを辞めるだろう。
本当に中古家電、つまり無機物になれるかもしれない。
めでたい。
中古家電屋に並ぶことこそが、俺による俺のための新しい俺になるためのスタートだ。
ブラジャーの中に入れる充電式カイロとかになって、「ボッキュンボン」のちゃんねーに買ってもらうように。精進の始まりだ。
「ボッキュンボン」の意味がわからない無教養な輩は、ググる以前に、早々に立ち去れ。
いやはや、久ぶりのnote。
また調子に乗って話が逸れた。
酒を辞めたことを辞めた話だった。
このnoteの記事では、さも深刻そうにかっこつけて「断酒宣言」みたいなことをした。
それをわずか3か月くらいでぶち破る。
我ながら、見事な意志の弱さだ。
否、裏を返せば、酒を続ける意思の強さ、ともいえる。
我ながら、見事の意思の強さだ。
まあ、でも、なんとなくわかってはいた。
断酒なんぞそう長くは続かないだろう、と。
どうせまた呑み始めるだろう、と。
「隠れ脳梗塞」を言い渡された後の診察室を出たときのあの気持ち。
断酒を決意したときのあの感情。
「感情」
甘いな、「感情」とやら。
まだまだ、俺と酒を引き離すことはできんぞ。
出直してこい。
「人を動かすのは感情だ」とよく言ったものだが。
その「持続力」に関していえば、多分、往々にして「たいしたことはない」のだろう。
俺と酒の距離感の模索が、新たに始まった。
それは「感情」ではななく、「論理」なのか。
知るか。
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