ツイッターをヤメッター

ということである。
早かった。ものの3、4か月であるが、俺にしてはもったほうだ。
こういうのの「退き」は早い方がいい。

KNKSが発覚、酒をやめ、挙句、はじめたばかりのツイッターをやめると、なんかアレである。

「こいつ、マジで、死ぬのか?」

そういう風に思われた方も多少いたようだ。
「終活」をはじたのか、と。

そうとも言えるし、そうでないとも言える。
とかそういうことを言って、何か深そうなことでものたまおうと思ったが、ツイッターをやったがためにそれも今はできなくなってしまった。

それこそがツイッターをやめた理由である。

要は向いていなかったのだ。

あの短い文字数。
適当でライトなことは言えても、自分なりにでもそれなりにちゃんと考えたことはなかなか言いつくせない。

そこがつまらない、と言ってはなんだが、自分には向いていなかったと思う。

やっぱり、それなりに長めの文章をぐだぐだだらだら書くのが自分には性に合っている。

そうでなくとも、ツイッターになじむ「適当でライトなこと」は、現場でさんざん言っている。
リアルで死ぬほど言ってきたし、今も言っているし、これからも言う。
死んでからも多分、言う。

つまり、俺の生活にツイッター(やSNS)はもとより必要なかった、というわけである。

ライブやオプマの宣伝の意味もあったが、さほど効果はなかった。
やはり現場で楽しい経験を共有した人ほど来てくれるし、そこでまた楽しい経験をリアルで味わってくれた人はまた来てくれるものだ。

つまり宣伝・集客に関して、ツイッターはほぼ関係ない、というのが実感だ。

まあ何万人とフォロワーがつけばまた別の話なのだろうが。
それはそれで、考えものである。

あるハコで、素敵女子アーティストさんらと対バンすることがあった。
んで、ライブ終わりに演者だけでSNS用に記念撮影をした。
俺はそこに映らなかったものの、「タグ付け」がされた。

すると、そこから連日、一日に何度も考えられない数の通知がくるのだ。
やれ××さんが、やれ●●さんが、やれ□□さんが、あなたがタグ付けされた写真に、やれコメントしただのイイねしただのリツイートしただの、と。

驚愕した。
通知はもしかしたらオフにすることができるのかもしれないけれど、中には俺に直接言及するコメントなどもあり、タグ付けされた以上、やはり一応反応しないわけにはいかない。
数日間、地味~に、その対応に煩わされた(本当はありがたいといわねばならないのだろうけど)。

それを投稿した本人である彼女たちの作業量は俺の比じゃないだろう。
来ている通知をいちいち確認するだけで一苦労だろうし、コメントしている「お客さん」への対応を一つ一つやらなければならないのである。

それで食っていこうとしているのだから、仕事だ、と思えばそれはそれで当然のことである。

が、俺はまっぴらごめん、と思ってしまった。
仮に数千人規模のフォロー関係ができてきたときのことを想像すると、ダメだこりゃ、俺にはつとまりそうもない、楽しめそうもない、と。

そんなようなことを思いながら、このままツイッターをやり続ける意味を見出せなくなり。
早々に撤退。

いやはや、向いていなかった。
ただそれだけのことだ。

当面は、ここ、noteでよろ。

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