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台本をすべて読む

ぼくが以前専門学校で講師をしていた頃、
「台本は一日一回以上、自分の出ていない部分も含めて最初から最後まですべて読む事」
と伝えていました。

今もこの考えは変わっていません。

どんな仕事でも言える事ですが、仕事は仕事であるからです。
たとえ誰かに支持された『仕事』であっても”動作”や”作業”ではなく、あくまでも結果が伴う仕事だからです。

つまり、世の中にあるありとあらゆる『仕事』は『結果』が伴う仕事だからと考えています。

そして、自分の持てる力を出し切る為には『情報』を仕入れ、理解し、分析し、活用することが大事だと考えています。

▼どうして全部読まないといけないんですか?

とある時、生徒から
「どうして全部読まないといけないんですか?自分が出ているところだけではダメなのですか?」
という質問をもらいました。

ぼくは「ダメです」と即答しました。
理由は色々あります。

まず第一に、毎日読んでいれば、セリフが入ってくるようになります。
第二に、すべてを読む事で情報が入ってきます。
第三に、サブテキストを作る礎になります。

こうした理由と共に当時生徒に伝えていました。

無論、今でもこの考えは変わっていませんし、できれば、黙読1回以上、音読も1回以上するとこの3つの効果がさらに高まると考えています。

とくに僕が大事にしているのが、第二、第三の理由の部分です。

▼作業ではなく、仕事

どんな仕事でもそうだと思うのですが……やたらと時間がかかり、面倒くさい作業というものがあります。

個人的な見解でいえば、セリフ覚えの悪いぼくは俳優時代には、セリフを覚えるのが本当に苦手で嫌な作業でした。
稽古をしていても、セリフを若干変えてしまったり飛ばしてしまうことで、相手役や演出、スタッフに迷惑をかけた事が多々あります。

システムエンジニア時代も、膨大な量のコーディングをするのは面倒で嫌でした。

目覚めたら、セリフが入っていないかな~
目覚めたら、単体テストまで終わっていないかな~
と夜寝る前に思ったほど、こうした事が嫌いでした。

ある時、気付きました。
情報をたくさん仕入れることで、こうした時間がかかり面倒だと思う作業もスムーズに行くのだな、と。

情報というのは、この『作業』が何のためにあるものなのか。
この『作業』を行った後の『効果』、この『作業』の次の『作業』といった計画に関する情報もそうですし、『作業』自体の”意味”や"位置づけ"といった仕事そのものに関する情報もそうです。

具体的には、台本で言えば、
『セリフを覚えた後には、どんな喋り方にしようか』
『このセリフを大きな声で喋ったらどんな感じになるのだろうか』
『セリフを覚えられたら段取りに移れるな』
『そのセリフが何故そこで喋る必要があるのか』
『このセリフが出てきた意味はなんだろう』
『そもそもこの登場人物はどのような生い立ちなのだろう』
などなど…様々な情報を得ることで台本を読み、セリフを覚えることの重要性がさらに認識できてきたのです。

▼天才ももちろんいる

もちろんどんな世界、どんな仕事でも天才は居ます。
台本を自分の出ている場所だけ読めば、そのキャラクターをものの見事に掴み、演じる事ができる人がいます。
ベテランになればなるほどそうした方はいらっしゃいます。
以前、別記事でも述べましたように、その方独自の理論が構築され、物語全体をざっと読み、自分の出ている箇所を重点的に読む事で役作りをするめられる方はもちろんいます。
新人と言われる人でもそうしたことを当たり前にできる人はいることはいます。

と同時にやはり、毎日、最初から最後まですべてを読まないと役に向かい合う事が難しい人もいるわけです。

ぼくは明らかに後者ですし、慣れるまでは『一日一回以上、最初から最後まですべて読む』をした方が良いと考えています。

▼何故”毎日”すべて読むのか。

稽古が進んで行くと、自分の出演していない部分についての稽古の日もあります。
そうした中で、自分では想像も予想もしていなかった喋り方や動きが稽古されていたらどのように感じるでしょうか。

自分が出ていないシーンだから関係ないと思うでしょうか。
自分が出ていないシーンでも自分の役になんらかの影響があると思うでしょうか。

影響や関係がないのであれば、共演者の表現やイメージを気にする事なく練習も稽古も進めればいいのですが……多くの場合、物語はつながっています。ですから、大きな影響はなくてもヒントであったり、自分がもっていなかった解釈やイメージで自分の役と向かい合うのに必要なことがたくさん含まれていると考えています。

最初に一度だけすべてを読んであとは、自分の所だけとなってしまうと……こうした情報が遮断されてしまうと考えています。
もちろん、稽古などで情報を入れる事は出来ますが、その情報を分析することはやはり、台本を目の前にしないとできないですし、活用するためにも、『物語』を最初から最後まで読む事で別の解釈や別のイメージ、アイデアが出てくることがあります。

▼作業ではなく仕事

冒頭にも書きましたが、

どんな仕事でも言える事ですが、仕事は仕事である。

と考えています。
以前、10年ほど前、高校生向けの『仕事』について書かれている冊子に

仕事は作業であって、それに何の意味もありません。
作業は作業であって、淡々と進めれば良いのです。
仕事は自分に任されたものを期限通りに淡々と進めれば良いのです。

というような意味合いの事が書かれていました。
今その冊子があるかどうか知りませんが……ぼくはこれを読んだ時に背筋が凍る思いがしました。

もちろん、自分が望まない仕事だったり、嫌な仕事であれば淡々と進める事も時には大事だと思います。
しかしながら……どんな仕事でも目標や意味を知らなければ自分の持てる実力が出せるわけがない、とぼくは考えています。

また。
システムエンジニア時代によくセンパイに
「お前は知らなくていいんだよ、言われたことだけやっておけ」
と言われた事を思い出します。

もちろん、言われたことについては期日までにやることは大切です。
しかし、『仕事をする』ということ、『働く』ということは奉仕することはあっても決して奴隷や召使いのような
「ぐだぐだ言うな、考えるな、言われたとおりにやれ」
というものではない
、と当時も感じていました。

新人だろうとベテランだろうと。
『仕事をする』『働く』上において、最低限の情報は必要ですし、情報はあればあった分だけその人の能力や潜在的な力を発揮できると考えていますし、可能性を広げると考えています。

もちろん、仕事によっては秘匿の内容もありますし、すべてが開示できるわけではありません。また舞台演出をしていても、故意に『言わない』という選択をすることもあります。
そういう場合を除いて、取れる情報は取り、共有するべき情報は共有したほうが個人の力も組織の力も全体の力も上がっていくものだと感じています。

▼舞台演出家として

以前にも書きましたが、演出家はスタッフの側面も先生の側面もあると考えています。
冒頭の生徒の話は『先生』の時の話ですが……
舞台演出家としても「台本は一日一回以上、自分の出ていない部分も含めて最初から最後まですべて読む」は俳優さんには求めています。

劇団新和座の座員にはこれは徹底してもらっています。

ぼくと一緒に作品を創ってもらえる俳優さんやスタッフはぼくが一緒に仕事をしたいと感じた人々です。
ですから、その人たちの実力を余すところなく出し切ってもらえるにはやはり情報を仕入れ、分析してもらい、活用してもらうことが必要だと考えています。

お芝居を創る上で台本は情報の拠り所ですから、やはり一日に一回以上読んでもらえると嬉しいな、と思っています。
と同時にぼくの気付かない情報や解釈、イメージを稽古の度に感じる事ができるわけです。
こうした事から、『作品』『物語』の中に無限に広がっている情報を共有し、俳優さんもスタッフも実力を十分出し切れると考えています。

そして、実際に演出する時にも、情報はできるだけ簡素に的確に提供できるように心がけています。
全部が全部できることはありませんが……それでも中途半端なイメージではなく、俳優さんにイメージしてもらえる言葉と情報を提供できるように研鑽しています。

▼情報は回ってくる

こうした仕事を続けていくと……
自分の発した情報が俳優さんやスタッフの精査や解析、活用を経て、稽古や打合せでまた自分に戻ってきています。
情報は回ってくるのだな、と稽古をする度に感じています。

こうした情報の元になるのがはやり『台本』であり、『台本は一日一回以上、自分の出ていない部分も含めて最初から最後まですべて読む』事はこうした情報発信の礎になっていると強く感じています。

繰り返しになってしまいますが、どんな仕事でも自分の持てる力を発揮するためには『情報』は必要不可欠だと考えています。


舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!