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煉獄さんに学んだ「ノブレスオブリージュ」「諸行無常と諸法無我」「火花を散らして今を生きること」

息子と劇場版「鬼滅の刃」無限列車編を観てきました。煉獄さんのあまりに壮絶な生きざまを目の当たりにし、あてられたので長文投下させて頂きます🙇‍♂️ #煉獄ロス

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無限列車編を観て、煉獄さんの死闘を巨大なスクリーンでみて、心にじわっと感じたことを言語化してみる。


ー煉獄さん、あの年齢にして完全に悟ってる。。


彼の身体的、精神的強さはノブレスオブリージュの強さだ。他人より強く生まれたものは、その才を私利私欲のために使ってはならない、それは自分より弱き物を守り助けるために使わなくてはならない。それは生まれながらに背負った責務であり天命である、と母から教わる。まさに、滅私奉公。


それは理想に酔えるはずの夢の中でさえ。彼の夢の世界では、父は引き続き自分のことを認めてくれないし、子供の頃に亡くなった優しかった母は生き返らない。現実をどこまでも受け容れて、「頑張って生きていこう。寂しくとも。」と体の弱い弟を励まし続ける。そしてその言葉は、自分に対しても言っているのだ。全国の「周囲に期待されながら育ってきた長男/長女」セグメントの人々はうんうんうなづいているだろう。僕もそれだ笑


そして彼の無意識世界にはどこまでも荒涼なまさに「煉獄」が拡がっている。キリスト教における「煉獄」とは、神性を帯びながらも死んだ魂が、浄化のため苦しみを受けてさまよう場所のこと。僕の解釈では、彼は肉体的には生きていながらも、精神的には既に自分を殺し(滅私)ていて、正しく死ぬ(奉公する)ために命を燃やして闘い続けている。名が体を表しているというやつね。。

終盤。敵である上弦の鬼は煉獄さんを「お前のような才能を持ったやつは鬼になれ。勿体ない。鬼になれば強さも命も失うことはない。こっちの世界に来い!」と何度も何度も誘う。人間のベストパフォーマンス期は短く、老いるし、病気になるし、体が欠損すれば治らないし、いつか死ぬ。仏教でいうところの「四苦」だ。

でも煉獄さんは「老いることも死ぬことも、儚い人間の美しさだ」「死ぬからこそ愛おしく尊いのだ」「強いという言葉は肉体に使うものではない」と最後まで強き人間として生を全うすることを選んだ。すべてのものは、はかなく移り変わり、普遍のものは無いとするのが「諸行無常」。また同時に世の中のあらゆるものは、全てがお互いに影響を与え合って存在していて、自分という存在すら主体的な自己として存在するものではなく、互いの関係のなかで"生かされている"とするのが「諸法無我」。この2つの概念を、スクリーンの煉獄さんを観ながら思い出していた。

仏教の感覚からすれば輪廻転生で命は巡るので、人間という種全体で見れば彼の死は無駄ではない。彼は肉体的に死んでも、彼の精神はその生き様を見せつけたことで炭治郎たち後人に受け継がれた。人間は心に宿した炎を死後も誰かに灯すことができる。逆に鬼はどこまでも個の「生」という鎖で、この世界に繋がれ続ける可哀想な存在でもある。「永遠の生」ということはは、言い換えれば「不死の苦しみ」ということだ。

「いいアニメだったなー」と思いエンドロールを観ながら、ふと思った。「待てよ、、これは人生そのものを描いてるぞ。」ひとりの苛烈に闘う男を描くことで、人生そのもののことを表現している。先の見えない世界、苦しい悲しいことが起こる世界に生きてるけど、それでも心を燃やして生きるべきなんだよと。

「君は子どもたちの心に何かを残せるような生き様をしているか?」と煉獄さんに言われているような気分になった。いい映画だった。

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