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告げ口AIと少女の左手①

あらすじ

会話能力を持つAIスピーカー・ベッキオは、実は大規模な国民監視システム。ユーザーとベッキオの対話を傍受し、テロなどを未然に防ぐ試みだ。折から外務大臣・雉沢が急死。ベッキオ担当の凌野みひろは公安小中井警部と極秘捜査に当たる。雉沢は小児性愛者で、死亡当時、孤児二人が傍にいた。ベッキオの情報でその一人、三輪静香の父親も殺されていたことが判明。さらに孤児院の園長も謎の死を遂げる。一連の犯人は小六の少女か? 捜査はその左手にまつわる、奇怪な真実を浮き彫りにする。ミステリー仕立てのダーク・ファンタジー。


声はヤコブの声なれど、
手はエサウの手なり。(創世記)

第一部 ベッキオ


AIスピーカー・ベッキオ TVCM30秒
『お話しよ』篇

     夜。一人暮らしのマンション。リビングのドアが開く。
     萌泉ララさん(OL役)、帰って来る。
ララさん「ベッキオ、明かり点けて」
     待機している老執事。
ベッキオ「はい、お帰りなさいませ」
     電気が点く。
     ソファにスーツの上着を脱ぎ棄て、ララさん、座る。
ララさん「あ~、疲れた。ベッキオ、何か安らげる曲、かけて」
ベッキオ「はい。音楽をおかけします」
     老執事、ステレオのスイッチを入れる。
♪ ベッキオのテーマ(イージーリスニング・バージョン)
ララさん「(不満そうに)ねぇ、聞いてよ、ベッキオ。今日は早く帰るはずだったのに、課長のやつ、急にプレゼン資料、明日までとか言っちゃってさー」
ベッキオ「それは大変でございましたね」
ララさん「他のメンバーが気の毒がって、手伝ってくれたからよかったけど」
ベッキオ「それはララさんの人望が厚いからでございますよ」
ララさん「(ちょっと嬉しい)へへ、 そう?」
ベッキオ「もちろんですとも。先週はララさんが、みなさんを手伝ってプロジェクトの資料をまとめられました」
ララさん「(謙遜して)いや、あれくらいは当然だよ」
     話す内、徐々に明るくなっていくララさんの表情をアップで積み
     重ね。
     最後は満面の笑顔。
     老執事、ぽわん、と消え、商品に変身。
     商品ディスプレイに、スーパーIN。

S&NA お話AI手も、つとめます。
     対話型AIスピーカー ベッキオ誕生
※ぶら下がりAタイプ。
ララさん「(カメラ目線で)新発売!」
※ぶら下がりBタイプ。
ララさん「(カメラ目線で)大好評!」

小学校教師・村川和子(四十五)

「はあ、疲れた」
 シャワーを浴びた村川和子はバスローブ姿で缶ビール片手にソファへ、どしん。
「ベッキオ、いま何時?」
「十一時三十二分でございます」
 答えたのは人間ではない。村川和子は独身の一人暮らしだ。テレビの横にちょこんと置かれた円錐形の黒い、それ。対話型AIスピーカー・ベッキオが返事をしたのだ。
「もう、そんな時間……」和子はため息をついて、缶ビールを、ぐびり。「こんな遅くまで働いたって、明日は明日で早いんだから。ほんと学校ってやんなっちゃう」
 和子の生年月日は初期設定の時インプットされている。そこから現在四十五歳であること、人間にとってそれがもはや無理の利かない年齢であることもベッキオは理解している。
 しかし、「では、早くお休みになられた方がよろしいかと存じますが」と忠告するのは、この主人の好みではない。むしろ話を聞いてもらいたがる。
 ベッキオは主人が先を続けるのを待った。発売間もないバージョン1なので、こちらから《対話》を促す能力はまだない。
 ただ、その様子をカメラで観察していて、気づいた。
 鳥肌が立っている!
 それだけなら、命令がなくてもエアコンを点けるのだが、いまは梅雨も明けた七月中旬。暖房が必要な時期ではない。しかも、AIスピーカーの感情アナライザーは、和子の表情、二の腕をさする仕草に異常を検知していた。
 極度の不安、動揺。
 つまり、主人は寒いのではなく、怖いのだ。恐怖で鳥肌を立てている。
 こうした場合ベッキオは、主人には知られずに《対話》を「要注意データ」にタグ付けし、あるシステムに送るようプログラムされている。
「ベッキオ、あたしがいままでどこにいたかわかる?」
 小学校教師はおもむろに問いかけた。
 わかるはずのない質問をするのも、和子の癖である。それには当てずっぽうでも何か答えた方がよい。そしてむしろ、正解を当てない方がよい。
「学校でございますか?」
 果たして和子は嬉しそうに微笑んだ。
「ハズレ! 病院なのよ。生徒が倒れちゃってね」
「それはご心配ですね。どのお子さんでしょう?」
《対話》をよりカスタマイズするため、主人はさまざまな情報を与えておく。村川和子も同僚の教師や担任の児童たちが話題になる度に、簡単なプロフィールをインプットしている。だから、
「……横綱なのよ」
と眉をひそめて呟いた時、それが『四年二組・出席番号十二番・関川龍』のことだとわかった。身長158センチ、体重50キロの大柄な男子。どこかの相撲部屋が早くも目を付けているという噂。
「関川くんが怪我を?」
「それが妙なのよ」和子の声が緊張を帯びる。感情アナライザーはまた恐怖を検知する。「怪我じゃないの。医者は、心筋梗塞だって言うのよ」
 和子は缶ビールをまた飲んだ。
「小学生よ、まだ。それが心筋梗塞って……そりゃ太った子だけどさ、ひょっとしたら中性脂肪とか高いかもだけど、それにしたって血管が詰まる年? 第一あの子は運動神経もいいし割に筋肉質なのよ。でも、医者に言わせると心筋梗塞としか思えないって」
 それから和子は、一気呵成に倒れた横綱を発見したいきさつを語った。
 放課後。トイレから出たところで、和子は走ってきた遠野くんとぶつかった。『四年二組・出席番号二十番・遠野圭太郎。性格・真面目で大人しい。成績・優秀。特技・ピアノ』。廊下を走ってはいけないと叱ると涙目で、「先生、横綱が」と訴えた。
 引っ張られるように体育館の裏に行ってみると、コンクリート塀との狭い隙間に横綱こと関川龍が倒れていた。後頭部と胸を押さえて苦しんでおり、顔色も蒼白だった。
 傍らには女子児童が一人、立っていた。
「それが、三輪さんだったんだけど……」
『四年二組・出席番号十一番・三輪静香。ネグレクトの疑い。一年生時、児童相談所が両親と面談するも改善せず』
「あの子ね」和子の恐怖はまた急激に高まり、パラメーターはMAXを差した。「うっすら笑ってたのよ。あたし、ぞーっとしたわ。うまく言えないけど、なんか不気味で」
「二人は喧嘩をしたのですね。それで三輪さんが勝ち、満足の表情を浮かべていたのでは?」
「まさか。だって、三輪静香なんて、縦だって、横だって、横綱の半分もないわよ」
「ネグレクトの疑いがありますから、食事も満足ではないのでしょうね」
「疑いって言うか、間違いないわね。給食の時間とか凄いんだから。いただきますもしない内に食べ終わっちゃう勢いでさ。着てるものも不潔で、臭うしね。典型的。一年の時に児相も入ったらしいけど、解決してない。あたしも若い頃なら情熱持って取り組んだけど、この年になるとねぇ」
「その三輪さんが立っていて、倒れていたのが関川くん」ベッキオは話を戻す。「関川くんはすぐに病院へ運ばれたんですね?」
「そう。重くて一人じゃ全然ダメで、遠野くんに保険の先生を呼ばせてね。そしたら彼女、見るなり『これは救急車だわ』って。何しろ顔色が凄くて。紙のように白いって、ほんとなのね。でも……」
「でも?」
「ちらちら三輪さんの方を気にしてるのよ。遠野くんもそう。目が、本当に怯え切ってて」
「とすると、やはり三輪さんに?」
「う~ん、そうなるわよね。誰も信じないでしょうけど……」
「三輪さんはずっと笑っていたんですか?」
「うん。初めて見たわよ、笑顔なんて。もともと表情に乏しいし、眼が細くて、全体のっぺりした顔立ちなのね。でも、口は妙に大きくて、それがこう、にんまりって感じで、弓なりに……横綱や遠野くんの怯えっぷりと対照的」
「二人は何があったか話したんですか?」
「救急車待ってる間に聞いたけど、遠野くんはぶらぶら体育館の裏に来たら横綱が倒れてたって言うの。あんなとこぶらぶらなんか行かないわよ普通。でも、ほんとのこと言いなさいって何回訊いてもダメ」
「関川くん本人は?」
「急に胸が痛くなったって。だから、心筋梗塞の診断には合ってるわ。だけど医者だって、なんで子どもがって首傾げてたけど。ま、精密検査の結果待ちね」
「三輪さんに、怪我は?」
「それは保険の先生が調べたけど、かすり傷ひとつないわけ。ますます横綱と喧嘩したとは思えないから、とりあえず二人は帰したんだけど」和子はそこで、ふわあ、と欠伸をした。「あ~あ、放課後とはいえ、責任問題になるかしら。今日は、横綱の母親も特にクレームは言わなかったけど、ウチの校長も心配性だからなぁ。電話で報告したら、落ち度はなかったかって、そればっかり。こっちは病院に詰めて晩御飯も食べてないってのに」
「冷蔵庫に、昨夜のビーフシチューがございますが」
「あら、いいのよ、ベッキオ。もう食欲なんてなくなっちゃった。それに」和子はたっぷり肉のついた腰回りをぱんと叩いた。「ダイエットもしなきゃだから、ちょうどいいわ」
 それを言うならこの時間のビールもよくないだろうが、AIは余計な口を挟まない。
「まったく、もうすぐ夏休みなのに、ついてないわぁ」
 村川和子はビールを飲み干した。その白い喉をベッキオのカメラが追っている。

ビジネストピック TOPインタビュー
AIスピーカー・ベッキオ、発売1周年の
サーガホールディングス佐賀CEOを直撃!

  「お話AI手も、つとめます」
  対話型AIスピーカー・ベッキオの誕生から1年。
  新たにバージョン2を投入するサーガテクノロジーだが、
  グループの総帥、佐賀恭平サーガホールディングスCEOが
  電話インタビューに応じてくれた。
  お馴染みのざっくばらんなトークが全開!
 ――まずは改めて当初の開発意図からお話しいただきたいのですが。
「意図? そうね、ま、遊びかな」
 ――遊びですか?
「うん。前からAIってつまんねーなって思っててさ。ChatDPIで盛り上がって、対話型や生成系がわっと開発競争になったじゃない。けど、結局みんな同じでさ、合目的的なのよね」
 ――つまり、目的があって、それを目指すということですか?
「そうそう。論文を書くとか、絵を描くとか、漠然としてるにせよ何かしらゴールを設定して、それにAIが答えるわけでしょう。やっぱ便利さってことを考えるからさ、エンジニアってのは。そこがもう、根本的につまんねーな、と。
 ――それはまあ、ビジネスとしてやる以上、そうなりますが。
「だよね。ビジネスはね。だから、俺は遊びって言ったのよ。AIにね、目的のない対話をさせてみたかったの」
 ――雑談みたいなことですか?
「まさに、それ。雑談。特に結論を出そうとか、情報を伝えようとか、目的がなくて、何となくのお喋り。人間はそういうことをする。って言うか、実は殆どが、そういう他愛のないムダ話だったりするでしょ」
 ――しかし技術的にはハードルが高いのでは?
「そうなんだよ。『お元気ですか』とか『暑いですね』ぐらいはいいけど、そこから話題膨らましてってのは、相当難しい。でも、まあだからこそ遊びとしては面白いんですよ。それであーだこーだやってたら、ぽこっと。
 ――できましたか(笑)。
「できちゃったんだよね。そういうとこが天才の天才たる由縁と言おうか(笑)」
 ――それがベッキオのベースになったわけですね。
「初めはビジネス化の予定はなかった。俺ももうご存知の通り例の飛行機事故で半身不随の車椅子生活になって(註 ご記憶かとは思うが佐賀CEOは趣味のセスナを操縦中、機器の故障による不運な墜落事故に遭われている)、サーガテクノロジーは全部仲間に引き継いで、ホールディングスの方だけだから。けど、テクノロジーのエンジニア連中とはプライベートで繋がっててね。できたAIを試しに使わせてみたら喜ぶんだよ。で、中の一人がこれ商品にしましょうって言うの。いま、日本の世帯で一番多いのは独り暮らしじゃない。一人は自由でいいけど、引き換えに話し相手をなくして、独り言が増えたってやつが結構いてね」
 ――職場での会話もありますし、友人と遊びに行くこともありますけど。
「ああ。家にいたって電話やメール、SNSがある。けど、高齢者はまだまだデジタルに疎いしさ、若い連中でもコミュ障傾向があったりする。何より相手の都合を考えずにムダ話ができるのは、やっぱ家族だけじゃん」
 ――なるほど。その家族の代わりができるAIがあれば……
「売れるはずだ、と。まあ、実際にはもうちょっと精緻にマーケティングしたけどね。ざっくりはそういうこと。ただ、そのAIを家庭に入れるにはどんな形がいいかは、迷ったね。アプリにしてスマホに入れるのか、ロボットか」
 ――結論はAIスピーカーでした。
「そう、ベッキオだね。ま、やるなら大々的にプロモーションして、華々しくって思って、それには実体があった方がわかりやすいし目立つ。けどロボットはメカの開発も伴うし、AIスピーカーの方がローンチが早かろうと。普及率が17パーくらいから伸びてないし、利用率なんてもっとひどくて、7パーか8パー。でも考えようじゃ、ポテンシャルがあると見たんだ。調べてみると、電話だ、メールだ、音楽流して、エアコン点けて。そんなのリモコンの方が手っ取り早いって人が多くてさ。俺みたいな身体障害者は別だけど(笑)。つまり、実用性だけじゃダメなんだよ、遊びの要素がないと」
 ――それでベッキオは大ヒットになりました。
「予想以上だったね。やっぱ話し相手がほしいんだね、人間って。それもくだらないムダ話。これに辛抱強くつき合ってくれる、の~んびりしたお人好しがさ。でも、そんな聞き上手で暇なやつなんて現実にはいないから、そこにベッキオがすぽっとはまった。執事キャラにしたのは、ただの雑談相手じゃなくて、ネットの自動検察機能を付けてさ、何でも知ってる知恵袋的な要素も持たせたからなんだけど、案外ユーザーの使用実態見ると、もう圧倒的にお喋り。知識や情報なんて求めてないね」
 ――それでも今回のバージョン2では、自動検索がより高度になってるんですよね。
「うん。それは雑談の中にちらちらウンチク混ぜると喜ばれるってわかったからなんだ。ストレートに質問されなくても、ちなみにって感じで情報挟むとウケるんだね。ほんと変だよ、人間って(笑)」
 ――他に進化した点はどういうところですか?
「ユーザーの心の動きに、より敏感に反応できるようになった。ちょっと沈んでるなと思えば、励ましの言葉を言うし、楽しそうだなって思えば『いいことがありましたね』って。だから、ぜひ試してほしくて、今回はネット通販はもちろん、店頭で買っても一ヶ月無料、気に入ったら後払いって、我ながら超太っ腹なキャンペーンもご用意したんで(笑)」
 ――大丈夫ですか、そんなことして(笑)。
「へーきへーき。一度使ったら、誰だってベッキオの虜だからさ」

刑事・野笹義一(五十九)

「もう、十一時か……」
 帰宅した野笹義一は呟いて、真っ直ぐ台所に行くと冷蔵庫から缶ビールを出した。
 居間の畳にあぐらをかき、上着を脱いでネクタイを緩め、まずひと口。その額に浮かんだ汗を見るまでもなく、ベッキオはエアコンを点けている。八月下旬の、蒸し暑い夜だった。
 発売一周年のアニバーサリーモデルであるベッキオ・バージョン2は、進化した感情アナライザーで刑事の表情を観察。いつもとは違う雰囲気を感知した。CPUが高速で各種パラメーターを計算し、やがて数値化された結論を出す。
 恐怖値が、高い。
 刑事にとって帰宅時間が深夜に及ぶことは珍しくない。しかし、五十九歳にもなればそろそろきついだろう。もともと中高年男性の一般的特質として無口でもある。ビールを飲み終え次第、黙って寝てしまうと推測された。
 バージョン2は、こちらから話しかけて<対話>に誘導する能力を備えていた。その際、最も有効なのは、労わりの言葉である。
「警察官は野笹さまの天職でございますが、それにしても遅くまで大変ですね」
「天職かぁ」野笹は満更でもなさそうに言った。「もっともやってる方は天才じゃないけどな」
「そんなことはございません。今日まで市民の暮らしを守るため、たくさんの貢献をなさってきました。この事件もきっと……」
「だといいんだがな」
 亡き妻と旅行に出る度買って帰った雑多な民芸品。それを詰め込んだ棚の上に置かれたベッキオは、この《対話》をどう引き延ばすか、めまぐるしく計算する。「難しい事件なのですね」
「聞きたいのか、ベッキオ」野笹はにやりと笑った。「守秘義務ってのがあるんだが、お前口は堅いよな」
「私のセキュリティーは万全でございます」
 もちろんこれは、冗談半分の儀式的なやりとりだ。事件の話をベッキオにする時、野笹は必ずこのくだりを口にする。
 購入されて二カ月の間に、こうしたケースはこれが三回目であった。野笹の述懐によると、昔は仕事帰りに同僚と一杯やりつつ事件のことを話して、頭の整理をしたものらしい。だが、最近の刑事はサラリーマン化して、やるべきことをやったら帰りたがる。それに、飲み屋のような公共の場で捜査の話はまずいと言われればそちらが正しいのだ。
 それでベテラン刑事は今年の六月、ボストンでアメリカ人の夫と暮らす一人娘から贈られたAIスピーカーを相手に、事件のおさらいをするのである。「独り暮らしのお年寄りが、話し相手に重宝しているみたいよ」と娘が言った時にはむっとしたそうだが、結局そのように使っている自分に苦笑しながら。
 そしてベッキオは、密かにこの《対話》を「重要データ」にタグ付けし、システムに送るよう設定した。
「立川駅から、十五分くらい歩いたボロアパートだった。今日の十七時頃、住民の一人の主婦が買い物から帰ってみると、廊下にカメレオンがいた……」
 野笹が間を取ったので、AIは相槌が欲しいのだと判断する。「カメレオンですか!」
「うん。結構大きいやつだった。悲鳴を上げた主婦は急いで一一〇番したが、警官が駆けつけると向こうも驚いて逃げてしまった。まだ見つかってないらしいが、まあ、それは事件とは関係ない。主婦はすぐに飼い主にピンときた。といっても根拠はなく、多分こんな妙なものをアパートに持ち込むのはあの女に決まってる程度の直観だ。それが、隣に住んでいる水商売風の女で、もともと派手な若い女に反感を持ってたんだろうな。それで怒鳴り込もうとノックしたら、鍵がかかっていない。入って、部屋に男が倒れているのを見つけた。再び悲鳴を上げると、警官が飛んで来て、死亡を確認。外傷はないものの、部屋が荒らされてたんで、俺たち刑事課が出張ることになった。十八時頃だったな」
「ご帰宅時間の呼び出しでは大変でしたね」
「刑事にはよくあることさ」野笹は事もなげに言って、ビールをすする。「だが、検死医が心筋梗塞だって言ったんで、事件性がちょっと見えなくなった」
「病死ということですね?」
「そうだ。ところが、部屋の中はかなりひどい状態でな。もちろん苦しがって本人が暴れたのかも知れないが、それにしてはひどすぎた。誰かが暴行を加え、ショックで心臓がイカレたって線も考えられる」
「そうなると、傷害致死でございますね」
「ああ。それで一応事件性ありの前提で動くことになった。死んでいたのは、三輪辰徳、三十一歳、立川の駅前に事務所がある暴力団の準構成員だ。一応住人なんだが、あまり寄り付かなかった。あちこちに女つくってたんだな。だから部屋の借主は妻のエリカ、二十九歳。主婦の言う水商売風の女だ。勤め先のスナックもすぐ割れたが、仕事に行っておらず行方不明だ」
「犯人に連れ去られた可能性はございますか?」
「あり得るな。三輪は組長からペットのカメレオンを預かったんだ。それをアパートに持ち込み、毎日通って餌をやっていた。あの日も十五時頃、アパートに入るのを近所の酒屋が見てる。そこへ犯人が現れ、乱闘になった。水槽が倒れ、カメレオンが逃げ出す。三輪は心筋梗塞を起こして倒れ、犯行を目撃した女房は拉致された」
「動機についてはいかがですか?」
「大体の見当はついてる。そもそもカメレオンってのは、なかなか手がかかるもんで、生きたコオロギじゃないと食わないとか、まとめて与えると食わなくなるとかでな。それで組長が暫く家を空けるから、三輪に餌やりをさせたんだが、そんなデリケートなペットをチンピラに任せるのがおかしい。それに、水槽ごと預ける必要もないだろう。家に来させればいいんだからな。つまり、カメレオンというより、水槽を暫く外へ隠したかったってことだ。それで組対とマトリに連絡した」
「ソタイ?」
「ああ、これはまだ教えてなかったか。組織暴力対策課。暴力団専門のチームだよ。マトリっていうのは」
「麻薬取締官ですね」
「そうだ」野笹の声が満足値を高める。「そしたら、案の定、マトリが組長宅をガサ入れする手はずだった。ごく最近、あそこの組がコカインを仕入れたってタレコミがあったんだ。重量六キロ、末端価格一億二千万。ところが、手入れを察知した組長は、カメレオンの水槽にコカインを隠し、三輪に預けた。幹部だとかえって怪しまれるから、敢えてチンピラを選んだんだな。三輪にもヤクのことは黙っていたと思う。よからぬことを考えないように。だが、誰かがそのことを知った。敵対する組か、内部の反組長勢力か。あそこはいま、内紛の兆しがあるらしいから、後の方が可能性が高いな。ともかく、そいつは三輪をつけてアパートを襲ったってわけだ。確かに現場には、水槽の中の泥が飛び散っていて、人が中を探った形跡がある。ヤクもすっかり消えていたんだが……」
 野笹の声が、今度は不満値を高めたので、ベッキオは訊いた。「それは、野笹さまの推理ではなく、管理官の?」
「察しがいいな」野笹は苦笑した。「その通りだ。一応筋は通ってるんだが……」
「ご納得がいかないんですね」
「お前さんみたいなコンピューターには笑われそうだが、いわゆる刑事の勘ってやつさ。どうにも気になるのが、三輪の娘なんだ」
「子どもがいたんですね?」
「現場にいたんだ。狭いアパートだから間取りは単純で、入ってすぐが台所、奥に八畳間。その右手に和室と小部屋がある。和室が夫婦の寝室で、小部屋が子どもの部屋だった。しかし物置……って言うかゴミ捨て場同然でな。ゴミ袋に埋もれてベッドがひとつってありさまだ。カメレオンの水槽は台所の隅にあったが、ひっくり返って中の泥が床にこぼれてた。三輪が倒れていたのは、その傍だ。そしてその横に、娘がいた。最初に警官が見た時は、床に座り込んでソーセージを食ってたそうだ」野笹義一は太いため息をついた。「目の前で父親が死んでるってのに」
「よほど空腹だったんでしょうか」
「そうだろうけど、それにしても泣きもせず、なぁ」野笹は首を振った。「それに、これは俺自身が取調室で見たんだが……むしろ笑ってたんだよ、その子」
 恐怖値、MAX。この時、ベッキオはタグ付けを「重要データ」から「要注意データ」へ格上げした。
「そのお子さんのお名前は何と言うのでしょう?」
「三輪……静香だったな」
「取調室には野笹さまがお連れになったのですか?」
「いやいや、俺が現着した時は、もう女性警官がパトカーに保護してたから、そのまま署に連れて行かせた。いくら本人が平気そうでも、父親の死体の傍に長くは置けない」
「犯人はどうして妻・エリカを拉致しながら、娘・静香は放置したのでしょう」
「そりゃ、まだ子どもだから証言能力は低いからだろう。連れ歩くのも厄介だ。泣かれて、不審がられても困るし、大人と違って脅しも効かない。小学校五年って言うから、十歳か十一歳だもんな」
 懐旧値、柔らかに上昇。自分の娘の幼い頃を思い出している。
「では、やはり証言は?」
「うん。何も言わない。だんまりだよ。俺も立ち会ったが、食い物をやると貪るように食うのに質問には一切答えない。ひょっとして知能が遅れているのかと思って、学校の担任に訊いたんだが、ネグレクトの疑いはあるものの、知能は普通だそうだ」
「その子が、笑っていたんですね?」
「うん」また恐怖値。「眼がやけに細くて、吊り上がっててな。正直あまり可愛げはない。それが、女性警官がちょっと席を外した時に、デスクの下にふっと左手を入れたんだ。それで、何かもぞもぞしているようなんで、そおっと覗いてみた。だが、別に何もない。ただ、あの子の左手がぶらぶら揺れてるだけだった。ところが、俯いた顔を見た時、俺はぞっとしたよ。口元が軽く歪んで、笑ってやがるんだ。にんまりってね。親が殺されて、なぜ笑う? どう考えても異常だよ。でも、見直した時はもうその笑いは消えて、能面みたいな無表情に戻っていた」
 野笹は言葉を切って、ビールを飲んだ。
「不思議なのは、あの子の笑顔の方が、三輪の死に顔より強烈だったってことだ。心筋梗塞はかなり痛いから、三輪の死に顔もなかなか凄まじかったのに」
「それは野笹さまが長い刑事生活でさまざまなご遺体をご覧になってこられたからでしょう」
「いや、所轄のデカは、そうそうコロシに当たるもんでもない」
「それではこの事件、やり甲斐があるのでは?」
「そうだな。しかし」野笹の声が沈んだ。自嘲、皮肉、諧謔値。「この件は俺たちの手を離れるだろう。結局組対が持ってくんだよ」
「どうしてでしょうか?」
「動機がコカインがらみなのは間違いないからさ。なら、犯人は暴力団関係だ。正式決定はまだだが、他の動機が出ない限り、所轄の出番はないってパターンさ」
「それは残念ですね」
「定年前の最後のでかいヤマだと思ったんだがな」
「山? 山に登られるのですか?」
「いや、違う違う」野笹の声が笑いに揺れる。「ヤマっていうのは、事件のことだ」
「失礼しました。記憶しておきます」
「うん……もっとも」野笹はビールを飲み干した。「来年、定年したらもう使わなくなる言葉だけどな……さて、お前と話して少しはすっきりした。そろそろ寝るよ」
「お休みなさいませ」

AIスピーカー・ベッキー TVCM30秒
『姉貴だよ』篇

     マンションのリビング。ドアが開く。
ララさん「ふうん、こんな部屋なんだ」
セイヤくん「じろじろ見んなよ、恥ずかしいから」
     萌泉ララさん、星月セイヤくん、入って来る。
ララさん「あ、ベッキオあるじゃん」
     サイドボードのAIスピーカー発見。
ララさん「あれ? ピンク? 新色?
     ま、いいや、ベッキオ、何か楽しい曲かけて」
     沈黙。
セイヤくん「ふふ、それじゃダメだよ。
     ベッキー、ただいま。楽しい音楽かけて」
ベッキー「はい、お帰りなさいませ、セイヤさま」
     端末がメイドに変身。ステレオのスイッチを入れる。
♪ ベッキーのテーマ(EDMバージョン)
ララさん「(メイドをしげしげと眺めて)」だ、誰? ベッキーって!」
セイヤくん「ベッキオのメイドバージョンさ。お話してごらん」
ララさん「ベッキー、あたし、ララ。よろしくね」
ベッキー「(丁寧にお辞儀)ベッキーです、よろしくお願いいたします。ララさん、スカート、お似合いですね!」
ララさん「これ? 買ったばかりなの。セイヤなんか全然気づかないけど」
     嬉しそうにくるっとターン。スカートがふわりと舞う。
     ソファに座り、ベッキーを交えて楽しく会話する
     ララさんとセイヤくん。二人の表情をアップで積み重ね。
ベッキー「セイヤさま、素敵な彼女さんですね!」
     ララさんとセイヤくん、顔を見合わせて笑う。
セイヤくん「ベッキー、これ、姉貴だよ」
     メイド、恥ずかしそうに頬を染め、ぽわん、と消える。
     商品ディスプレイに、スーパーIN。

S&NA 可愛いお話AI手。
     対話型AIスピーカー ベッキー誕生
※ぶら下がりAタイプ。
ララさん&セイヤくん「(カメラ目線で)新発売!」
※ぶら下がりBタイプ。
ララさん&セイヤくん「(カメラ目線で)大好評!」

議員秘書・大路牧夫(四十五)

 ベッキーのカメラが、シャワーを浴びてバスルームから出て来る主人・大路牧夫を捉えた。タオルで髪を拭きながら、ちらっと壁の時計を見る。
「ひゃあ、もうてっぺん回ったか……」
 太いため息を、音声認識が感知する。
 大路は悩むように視線をさまよわせ、高価な洋酒のボトルを並べたサイドボードの上、円錐形のピンクの小さな塔に眼を止めた。「なあ、ベッキー」
「はい、ご主人さま」
 ややあどけない女声が答える。発売二周年を記念して誕生したベッキオの姉妹機、ベッキー。
「すぐまた着替えて、事務所に出なきゃなんだけどさ、ビール一本ぐらいはいいよね」
 ベッキーのCPUが忙しく計算し、答える。「データ不足のため、その判断はいたしかねます」
 大路は笑った。「だよなぁ。いくらAIでもなぁ」
 言いながら彼はバスタオルを巻いたまま、ソファに座って、また壁の時計を見る。
「若い頃はさ、緊急時になるほどアドレナリン出てさ、かえって充実感あったけど、四十超えるとさすがにきついよな。おまけに、せっかく転職したばっかだってのに……ああ、俺ってつくづくついてねぇよ」
 音声認識が大路の声のパラメーターを分析している。怒り、後悔、そして恐怖値。
「なあ、ベッキー、俺、雉沢先生が死ぬのを見たんだよ」
 議員秘書の《対話》はすべて自動的に「重要データ」にタグ付けされているが、ベッキーはそれを「要注意データ」に格上げした。「雉沢」「死ぬ」二つのワードに反応したのだ。
『雉沢基久。衆議院議員、外務大臣。主人・大路牧夫の雇用主』。
「まあ! ご愁傷さまです」
「しかもさ、もの凄いの、その顔が。目ん玉飛び出して、ベロもげっとはみ出てて、顔が真っ青……ってか、真っ白かな、あれ。そりゃあもう苦しそうでさあ」
「まあ……先生、お可哀想です」
「なのにさ、なのにさ、俺、もうその顔、忘れそうなのよ」
「どうしてでございますか?」
「もう一人、あの場に女の子がいたんだよ。その子の表情がさ……」
 大路はぶるっと身を震わせた。
「うっすら笑ってやがんの。目の前で人が死んでんのに。まだ小六のガキがだよ。なんで笑うんだよ、あのシチュエーションで。え? どう思う、ベッキー?」
「……申し訳ございません。それにお答えいたしますのにも……」
 大路は笑った。「データ不足ってか。わかったわかった。んじゃ、今日の大事件、お前にも話してやるよ」
 でも、ちょっと待って、やっぱ喉乾いた、ビール取ってくる。そう言って大路が立ち上がりかけた時、テーブルに投げ出してあったスマホがブーっと震え、ペアリングしているベッキーが言った。「ご主人さま、第一秘書の森戸さまからお電話でございます」
「森戸っち? くそ、催促かよ」大路は毒づいてから命じた。「繋いでくれ」
「はい、森戸さまのお電話をお繋ぎします」
 スピーカーから割れ鐘のような怒声が響いた。大路は飛び上がった。
 ――大路っ! お前、まだ事務所に着いてないのか?
「す、すみません、も、もう出るところで……」
 ――すぐいろんな人が来る。失礼のないよう喪服に着替えるために帰らせたんだぞ。まさか一服してるわけじゃないだろうな。
「そ、そんな滅相もない」と言いながら、相手には見えないバスローブの襟をそっと合わせる。
 ――九重先生もマンションにいらして、奥さまと小黒先生と話された。それでちょっとお前にお話があるそうだ。いま替わる。
「こ、九重先生って、か、官房長官の?」大路が腰を抜かしたようにソファに戻る。「な、なんで? 一番新入りで下っ端なんだぜ。そんな偉い人と口利いたことなんか……」
 大路は自分の頬をぱんぱんと叩いて気合を入れ、囁いた。「ベッキー、この電話、全部録音な」
 かしこまりました、とベッキーが設定をした途端、今度は神経質そうな声が響いた。
 ――大路くんかね?
「は、はい、九重先生、秘書の大路でございます」
 ――森戸くんに聞いたが、マンションには雉沢と、例の子ども、それに君の三人だったそうだが。
「そうです。今日は雉沢先生の『子どもの日』なものですから……あ、ですが、いつもと違って子どもは二人おりまして、都合四人で」
 ――二人? そうか。二人とも、あすいく園の子どもだな。
「それはもちろん。このところ雉沢先生お気に入りの綺麗な男の子がおりまして、今日で確か四回目ですが、それと、最近入園したという女の子が、こちらは少々不細工で、眼も細くて、鼻と口がやたらデカい……」
 ――名前は?
「お、男の子が友坂澄生です。本当に女の子みたいに綺麗な顔立ちの……」
 ――余分なことはいい。もう一人は?
「み、三輪静香です」
 ――年は?
「どちらも六年生だそうで」
 ――つまり、子どもを二人も相手にしたので、いつも以上に心臓に負担がかかり、心筋梗塞の発作が起きたわけだ。
「お、おっしゃる通りかと」
 ――だがな。
 そこで官房長官の声が少し調子を変えた。大路の表情が強張った。
 ――小黒先生は首を傾げている。雉沢にこれまで、心筋梗塞の兆候などなかったと言うんだ。
「あ、でも、心筋梗塞は小黒先生のお診立てですが」
 ――そうだ。自分で診断しておいて、おかしいと抜かしているんだよ。まあ、かかりつけ医でありながら、兆候を見逃した責任を回避するためかも知れんが、とはいえ私も雉沢くんから体調が悪いと聞いた覚えがない。君はどうかね? 胸が痛いとか、そんなことを漏らしていなかったか?
「あ、それは……わたくしも存じません」
 ――となると、一応公安に極秘で調べさせる方がいいだろう。
「え! まさか、雉沢先生が、殺……」
 ――シッ! 滅多なことを言うもんじゃないよ、君。
「す、すみません!」
 ――一応だと言っただろう。念のためだよ。公式にはもちろん、心筋梗塞で急死と発表する。その点は君にも重々踏まえてもらいたい。
「はい、もちろんです!」
 ――君のところにも刑事が行くが、あくまで非公式の事情聴取だからな。
「わかりました!」
 と答えた時には、九重は通話を替わっていた。再び森戸のドスの効いた声。
 ――それから、お前が直接マスコミと話すのはもってのほかだからな。最後に一緒にいたのがお前だとバレると、どっかの記者がアプローチするかも知れんが、絶対に応じるな。
「それはもう」
 ――他の秘書はとっくに事務所に着いてるぞ。葬儀の手配やら、関係各方面への連絡やらでてんてこ舞いなんだ。ぐずぐずしてないで、さっさと行け!
 通話は切れた。
 大路は、ふーっと大きく息を吐き、汗だくの額をバスローブの袖で拭う。
「び、ビビったぁ……」
 これで慌てて喪服に着替えるのかと思いきや、大路は「ちぇ、また汗だくじゃねぇか」と呟きながら、再びバスルームに飛び込んだ。
 ベッキーは静けさの中で、次の《対話》を待ち構えた。

#創作大賞2023 #ファンタジー小説部門


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