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セブ島で考えた当たり前を変える必要性

こんにちは。セブにいます。しょうじです。

皆さんのセブ島のイメージってどんなんでしょうか。

はい、リゾート、海、キラキラ、バカンスどっかん。くらいかね。今回セブを中心にフィリピンを訪れてリゾートにはほぼ行かず、いろいろな地域のコミュニティやインフォーマルセクターを巡ったりしていた。

いわゆるゼミ合宿というもので、来るまではそんなに期待していなかったんだけど笑、なかなか学びがたくさんあったのでここに残しておこうと思う。

訪れた場所はセブ島マンダウエ市のとあるコミュニティ。

写真みてもらったらわかるくらいの貧困地域。

汚い水を汲んで飲み、洗濯物は汚い水で手洗いをし、子どもの体重はものすごく軽い(お腹ポッコリしてる子もいるけどこれ絶対栄養失調)。虫の数は他の場所よりかなり多いし、何より匂いがきつい。最初我々の車から降りたときは本当に吐くかと思ったくらいの悪臭。道端に溜まった水はなんだか緑がかっていて完全にやばいやつ。そして目の前にはゴミ山がどんと構えている。

そんな場所で、住民の方のお宅にお邪魔してお話を聞かせてもらったり、コミュニティに住んでいる子どもたちと触れ合ったりする時間だったのだけど、この子たちの人生は、この場所はこれからどうなるのかなあと漠然と考えさせられていた。

衝撃的だったのは、この場所に生まれ育ってきた彼らにとってここが当たり前であるということ。そりゃそうなんだけど、そりゃそうなんだけどね。

この環境がベースにあったら彼らの夢はなんなのだろうか、とベタなことを考えていた。

例えば、今私は就職活動中。いろんなやりたいことや志を6ヵ月間くらい語り続けているわけだけれども、私がこの場所で生まれ育っていたら今持つ志はたぶん全然違うものだ。

環境が違えば当たり前が違い景色が違う、見る夢も違ってくる。目指す場所が変わってくる。

彼らの夢はなんなのだろうか。

言葉が通じなくて彼らと会話をすることはできなかったけど、本当にたのしそうだ。見てくれこの笑顔を。なんていえばいい。

自分はここに生きたらこんなに楽しそうにできるだろうか。

自分は今この時を精いっぱい楽しんでいるんだろうか。

そんなことを考えさせられたりする。

このようなコミュニティでは犯罪もよく起きたりする。少年が薬に走ったりもする。少年が薬を売ったりもする。

それ以前に住む環境がひどすぎる。変えなきゃいけないのは明白だ。

でも変えるのは誰だ。彼らの当たり前を変える勇気がある人は誰だ。

政府かもしれないし、NPOかもしれない(実際、NPOの援助でこの地域の子どもが大学に行って一般企業に就職できた例もある)。

でもこの子たちの中から誰かこの当たり前を変革する人が現れてくれたら世界はちょっと動くかもしれないなって私は思う。弱者が弱者のままいてはいけないと。

当たり前を変える勇気はそう簡単にはもてない。だってこれが当たり前だから「こういうものなんだもん」ね。「え、今更なにいってんの?」とか「もう無理だよ」とかそんな言葉の全部を跳ね返さなければならない。あと「お前なんかができるわけない」とか、人の可能性を全否定するような冷酷な言葉とかね。

でもそれはこの日本でも日常的にある会話で、当たり前を変えたくない人も変えるのが怖い人も変えられたら都合が悪くなる大人もたくさんいる。だけどそれでも変えたい、変えなきゃいけないんだって意志を持ち、動ける人間がリーダーであり、世の中を変えてきた人なんだと思う。

不幸せな当たり前を疑い、変える強さを持ちたいものだ。私が。

まずは私が、そんな人間になる。目の前のものから。








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